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アイルランド/アラン諸島/ドゥーン・エンガス

※アラン諸島
 『アラン諸島』とは、アイルランド西部・ゴールウェイ湾口を塞ぐように並ぶ3っの島で、西北から東南にかけて“イニシュモア島”(大きな島)・イニシュマーン島(中の島)・イニシィーア島(東の島)と並び、全島、石灰岩からなる荒涼たる島として有名である。
 今回訪れたのは、最も大きいイニシュモア島で、この島のみが観光地化しているらしい。

 ケルト人たちがやってくる紀元前100年紀のアイルランドには、来寇の書にいうように先住民がいたが、彼らのもっていた青銅製あるいは石製の武器ではケルト人の敵ではなく、次第に追い詰められ屈服して隷属するか、抵抗して西の荒地へ追い詰められるかのいずれかであった。
 その追い詰められた先に一つがアラン諸島で、その人たちが残したと思われるのが【ドーン・エンガスの城塞跡】と思われる。

 かつてのアラン島の生活を描いたものに、『アラン島』という紀行文がある。
 19世紀末から20世紀初頭にかけて、毎夏アラン島を訪れたというシング(1871--1909、劇作者)によるもので、今から100年余り前の島に生きた人々の暮らしを暖かく描いた紀行文の名作といわれ、
 その冒頭には
 「私は今アランモア(イニシュモア島)にいる。炉端の火に少し身を乗り出すようにしてあたりながら、階下の小さい酒場から聞こえてくるゲール語の話し声に耳を傾けているところだ。

 アラン島へ向かう汽船は、潮の干満につれて航行するので、今日、われわれが濃い霧につつまれたゴールウェイから出向したのは朝の9時だった。
 3時間ほどすると、アラン島が見え始めた。寂しげな岩肌を見せながら、斜面が海から姿を現して上に伸び、頂は霧のなかに消えている。近づくにつれて、沿岸警察隊の詰め所や集落も見え始めた。

 それからしばらく後には、私は、両側につづく低い石垣越しに、その石垣で細かく区切られた不毛の岩地を眺めつつ、島のただ一本の道をゆっくり散策していた。
 これほど寂しい風景は見たことがない。平坦な石灰岩の地面は、至るところで溢れだした鈍色の水で覆われている。低く連なる丘辺りの襞や岩の窪みの間を、あるいは石垣にひっそりと囲われている狭いジャガイモ畑や草地の間を、小径がうねうねと延びている。
 ・・・中略・・・
 とても住むに適した土地とは見えなかった。何処にも緑が見えないし、蜂の巣型をした人家以外に、人の住んでいる気配は何処にも見えない。あとはただ、空を背景として島の稜線に輪郭を見せている城塞の廃墟があるだけだ。

 たちこめる霧に覆われて一週間になろうとしている。私は、不思議な孤立感と寂寥感をずっと味わっている。ほとんど毎日、島を歩き回っているが、何処へ行こうと目にするものはただ濡れた岩場の広がりで、磯波の打ち寄せる岩場の寂しい光景のみ、耳にするのは潮騒の音のみだ」(甲斐萬里江訳・2000)

 一読、過酷な自然なかに生きる人々の素朴な生き方と、その奥にある苦悩に満ちただが勇気ある魂の美しさを、感傷を排した筆つかいで淡々と描くなかに、島の人々に寄せる暖かい眼差しを感じさせる名作である。

 jまた、今から約100年ほど前のアラン島の生活を描いたものとして、『 Man of Aran』との記録映画があり(1934作)、そこに描かれた島の景観のひとつに、畑地・牧場を細かく区切って連なる背の低い“石垣”(H=1mほど)がある。
 今、記録映画の名作といわれるこの映画を見ることはできないが、そこには、こんなカットがあるという。
 ・粗末な黒い木綿服を着た若妻が、石垣の割れ目に手を突っ込み、風が運んできた土を両手で掬っては岩盤の上に置きつづけている。
 ・若い亭主が、岩盤を砕いて石くれを作っている。石垣を築いてせっかく集めた土が吹き飛ばされないようにするのである。
 ・若妻が、海藻を背負って岩盤を登り、畑のわずかな土を助けるための肥料として、畑の土に被せている。(司馬遼太郎・アイルランド紀行より)

石垣で区切られた畑と牧場
(資料転写)

 また、紀行文『アラン島』にも、映画と同じことが記されている。
 「ある日、私が寄宿している家の男たちは、新しい畑を作ることにした。
 庭の石垣の根元とキャベツ畑の隅に、わずかな土が片寄せられていたが、男たちは、まるで金鉱の鉱夫のように注意深くこの土をすくい上げ、籠に詰めて、周囲に石垣を巡らせた平たい岩場へと運んでいった。土は、ここで砂や海藻と混ぜられ、岩盤の上に薄く広げられる。島のポテト栽培は、こうした岩場でおこなわれているのだ」と。

 石灰岩からなるアラン島は、太古の昔はいざしらず、土というものがほとんどなく、岩盤の上に薄く乗っている程度だという。加えて、風が強いことから、せっかくの土が吹き飛ばされてしまうという。
 それを防ぐのが、島一面にパッチワークのように張り巡らされた石垣で、家の周りにも、道の両側にも、畑も牧場も、すべてが荒削りの人頭大の石を積んだだけの、それでいてしっかりとした背の低い石垣で区切られている。

 道ばたの石垣の隅に溜まった僅かに砂混じりの土を集めて畑に戻す、それでは足りなくて、、石を砕いた僅かな土を混ぜ、海藻を被せて肥料にする、それが紀行文や映画に描かれたアラン島だが、港からドゥーン・エンガスへの道すがら、ミニ・バスから見える風景は、網の目のように張り巡らされた石垣で作られた網である。

 シングが訪れた頃のアラン島の生活は、薄い土を耕してジャガイモをつくるという.非効率的な農業と、防水した獣皮が布を張った小舟・カラックを操っておこなう小規模漁業だけだったといわれ、そんな島に電気がきたのは1974年だったという。
 電気がきたということは文明がきたということで、それは生活を一変してしまう新しい風かもしれないが、そこからもたらされる利便性と引き換えに、それに倍する何かが消えていったことを意味する、と感じるのは、ひとときの旅人がもつ感傷なのかもしれない。

 シングが訪れたとき3時間かかったという連絡船は、今、約40分ほどのフェリーで着く。港の辺りには、教会や特産のセーター販売所・土産物店・食堂などが並んだ観光地へと変貌しているが、一歩島内に入れば、張り巡らされた石垣だけが昔のままの姿で人々を迎えてくれる。
 今のアラン島は、多くの人々を招き寄せる観光の島となっているが、下記するドゥーン・エンガス遺蹟以外に是といったものはなく、かつての苦しかった生活を偲ばせるものもほとんどない。

 訪れた初夏、石垣のなかは緑一色で、ところによっては羊が草を食み、ポツンポツンと背の低い灌木が茂っているが、当地の主食だったというジャガイモ畑も、畑で働く人影も見えない。
 確かに緑はある。ただ、その緑は土の表面を覆うだけの緑であって、われわれが知っているような四季折々の豊かな緑・森の緑ではないことは確かである。

 アラン諸島だけでなくアイルランド観光では、その訪問地について、ある程度(出来れば、ガイドブック以上の)の予備知識を持っていかないと、そこがどんな処か、何故こうなっているのかなど、その面白さもわからず、せっかく遠いところまで出かけた価値がない。

※城塞遺蹟・ドゥーン・エンガス

 島の南岸、大西洋に面する90mほどの断崖絶壁の上に、古代の城塞遺蹟【ドゥーン・エンガス】がしがみつくように残っている。

 ドゥーン・エンガスは、紀元前1〜2世紀頃(あるいはそれ以前)の城塞というが、実際のところ、誰が・何時・何のために造ったかは不明という。

 この遺蹟は、真ん中から断ち割ったような三重の半円形城壁(内城壁・半円形:H=3〜4m、外城壁・半楕円形:H=2mほど)を有する要塞跡で、海側にあったと思われる半分は断崖の彼方に沈んでいる。

 最初から半円形に作られたという説、初めは円形だったが、ある時、半分が海に沈んだという説があるという。
 当遺跡以外にも二重城壁をもつ円形城塞跡があることから(下右写真)、当城塞も円形だったかと推測されるが、城塞築造後、半分が海の沈むような大きな地殻変動があったかといえば疑問もあり、防御を考えて、最初から半円形に造られたとみるのが順当であろう。


ドゥーン・エンガス全景(資料転写) 

同左・海側より(資料転写)
 
(参考)円形要塞跡
(資料転写)

 島内を巡る観光ミニバスを降りて緩やかな坂を登っていくと、岩の節理が縦横に走った凹凸の激しい荒漠たる岩場にでる。
 その中に、黒褐色をした高さ1mから2mほどの雑石積みの石垣が大きな円を描いて伸び、その彼方に一段と高い内城の城壁が聳えている。

 城壁の外側には、大割にした岩塊をばらまいたような地帯が5・60mほどの幅をもって拡がり、その中に数本の通路めいたものが見える。岩塊で作られた侵攻防止用の逆茂木というところか。

 
岩場の先にある内城
   
城壁の一部と内城



城壁の一部と岩場
(遠くに内城が見える) 

城塞を取りまく逆茂木様の岩場 
 
城壁の一部(中より外を望む)

 ドゥーン・エンガスは、その造りからみて城塞であろう。
 とすれば、海側からは断崖で近寄れず、唯一の侵略路・陸側は姿を隠す障害物のない広々とした荒野が広がっているこの城ほど、守るに易い城はないであろう。ただ、食料は、水はといえば、頭を傾けざるを得ないが。

 上記したように、この城塞を造ったのが誰かということは不明である。
 “誰が”といえば、「先史時代にやってきたフィル・ヴォルグ族が、後からきた他の部族に追われて、この島に逃れてきて是を築いた。エンガスという名も、フィル・ヴォルグ族の王子の名からきている」との伝承が残っているという。
 フィル・ヴォルグ族といえば、アイルランドに残る“来冦の書”にあるトゥアタ・デ・ダナン族に追われた先住民族といわれる。前1〜2世紀築造という時期には合わないものの、敗れ去った人々を悼むかのような話しで、夢のような話しであ

◎断崖
 海に面した広場の端はストーンと落ち込んでいる。
 風のない穏やかな日和だったにもかかわらず、立ったままでは怖くて1mと近づけず、腹這いになって匍匐前進、なんとか頭半分突きだして下を覗くと、はるは90m下には大西洋の白波が岩場を咬んでいる。

 断崖の左右に見通すと、垂直に切りたつというより、処々でオーバーハングした岩の塊が虚空に突きだし、その先は何も見えない大西洋が広がっている。
 風がなかったから何とか際まで近寄れたのであって、風があったならとうてい不可能だったろう。


ドゥーン・エンガス・断崖

同 左

 なお、アイルランドの西海岸には、高さ200mほどの断崖絶壁が約80kmほど続く“モハーの断崖”と呼ばれる観光名所があるが、訪れたときは濃霧のため何もみえなかった。
 アイルランドは、時々刻々と天候が変わる土地である。


霧のモハー断崖 
 
モハー断崖(絵葉書転写)
 
同 左

(注)来冦の書
 アイルランドには多くの神話・伝説が残っているが、何故か天地創造神話はなく、それに代わるものとしてキリスト教伝来後に文字化されたという「来冦の書」(10世紀後半、侵略の書ともいう)というのが残っている。

 その概略は
 ・アイルランドに最初にやってきたのは、かの大洪水のなか唯一生き残ったノアの子孫であるフィンタンという男で、彼は魔法の力で大洪水を逃れたのであった。
 ・次ぎにやってきたのはパルトローン族で、彼らは、森を切り開いて平原や湖に変え平穏に暮らしていたが、古くからこの地に住む姿の見えない邪悪な部族・フォウォレ族との戦いに敗れ、死に絶えてしまった。
 ・200年後、エヴェド族やってきて森を切り開いて新しい平野や湖を作ったが、フォウェレ族との戦いに敗れ、生き残った人々は東に逃れていった。
 ・何百年かたって、新たな侵略者・フィル・ヴォルグ族がやってきて、アイルランドを五つに分けて住み着いた。彼らは平原や峡谷を耕し平和に暮らしていたが、
 ・次ぎに、かつてない強力な魔法を使うトゥアタ・デ・ダナン族がやってきて、フィル・ヴォルグ族を西部のコナハトに追い、何百年もこの島を支配した。
 ・その後、背の高い美しい男たちがスペインからやってきて、ダナン族の攻撃をことごとく打ち破ったが、最後に和平が結ばれ、国を二分して、ダナン族は地下の世界を支配することになった。
 ダナン族は地下の霊となり、今でも魔法を使ったり、太古の物語を語ったりしている。
 ・それ以来、アイルランドの地上世界は、スペインからきた背の高い戦士たちに支配されるようになったが、これが、我々の知るケルト人である。
というもので、冒頭に大洪水が語られるなどキリスト教的潤色を受けてはいるものの、アイルランドの神話・伝承のなかには、この書を下敷きにしたものが多く、特に魔法を使うトゥアタ・デ・ダナン族の名が何度も出てくる。

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