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アイルランド/聖ブリギット

 アラン島から本土へ帰った夜、ゴールウェイの町でアイリッシュ・ダンスのショーを見た。ショーは熟練した芸人によるタップダンスと楽器演奏が主体の無言劇で、そこでは、こんな寸劇が演じられた。

 “足の萎えた子供を持つ両親が、舟に乗って何処かの聖地に渡って、足を治してくれるよう神に祈る。祈り疲れた両親がまどろんでいる間に、精霊(女神)が顕れて子供の足に触る。眠りから覚めた両親は、立ち上がっている子供を見て驚喜し、子供とともに感謝の踊りを踊りながら退場していく”
というもので、台詞はないが、見ているだけで“病治しの奇跡”を表していることがわかる。

 興味を引くのは寸劇だけでなく、黒い幕を垂れただけの簡素な舞台の右寄りに、“藁製の正十字架”が唯一の舞台装置として掛かっていることである。
 この十字架は“聖ブリギット・クロス”と呼ばれるもので、そこから、顕れた精霊は“聖ブリギット”、あるいはその前身というべき“女神ブリギット”であったと推測される。

聖ブリギット・クロス(資料転写)

 また、ゴールウェイからリムリックへ至る道端に、人丈ほどの聖女像が祀られ(ガラス張りのケースに収められている)、傍らに小さな洞窟が口を開いていた。洞窟に入ると、小さな泉から清水がこんこんと湧き出ていて、入口から奥の泉までの狭い通路には聖女像・キリスト像・十字架・聖画像といった奉納物がぎっしりと並んでいた。特に聖女像が多い。

 説明では、この泉は『聖ブリギットの泉』といって、万病に効くといわれる霊泉として多くの巡礼を集める聖地だという。聖ブリギットから聖水をいただいて病を治したいという願い、病が癒されたことへの感謝、そんな諸々の祈りが込められているのが、通路を埋める奉納物である。

アイルランド/聖ブリギットの泉
聖ブリギットの泉・全景
(ケースのなかに聖女像、
その左手に洞窟の入口がある)
アイルランド/聖ブリギット泉の奉納物
洞窟・通路を埋める奉納物

※聖ブリギット
 聖ブリギットは西暦500年前後に実在した修道女(453--523という)で、アイルランドにキリスト教をもたらした聖パトリックに次ぐ守護聖人として、全アイルランドで敬愛されている聖女だという。聖パトリックから洗礼を受けたという彼女は、司教の資格を持ち、アイルランド東部のキルデアにある二つの女子修道院の長として、布教と教化に努めたといわれ、彼女の修道院は、訪れる人の男女を問わず暖かく迎入れることで知られていたという。

 当時のローマン・カトリックの世界では、女性が司教になること、ましてや修道院長として男女を問わず人々を導くなどは仰天すべきことだったという。それが当然のこととして受け入れられたことは、ブリギット本人の資質もさることながら、ローマにはないアイルランド・カトリックの特異性をみることができる。

 聖ブリギット信仰は、彼女の死後100年ほどたった7世紀頃からアイルランド全土広まり、加えて、修道士たちの布教活動にともなってヨーロッパ大陸まで広まったという。ブリギット本人の活動はキルデアを中心とした地域だったと思われるが、伝承のなかでは、その足跡は全国津々浦々にまで及んでいるわけで、、そこには、わが国における弘法大師信仰と通底するものがある。

 こんな伝承がある。
 「聖ヨセフは、聖母マリアの出産を助けてくれる人を求めてベツレヘム中をまわるが、頼みに答えてくれたのは宿の娘・ブリギットだけだった。だが彼女からどれだけの助けが期待できただろうか、彼女は生まれつき腕がなかったのだから。
 ところが、いよいよ出産というときになると、聖ブリギットの身体から腕と手が生え、生まれたばかりの神の子を抱くことが出来た」
というもので、ここでの聖ブリギットは、出産を助ける助産婦として登場している。
 そして、この出産というキーワードを通じて聖ブリギットは、異教時代の女神・ブリギットへと連なっていく。

※女神ブリギット
 アイルランドにキリスト教が伝来する以前、異教(ドイルド教)時代の女神ブリギットは、「全アイルランドの女神は、ブリギットという一人の女神の名で呼ばれて」いたように、すべての神々を生み・育て・包み込む母なる女神・大地母神として崇拝されたケルトの女神である。
 ケルト神話における女神ブリギットは、主神ダグザをはじめとする神々の母である偉大な女神であるとともに、ダグザの娘でもあるという複雑な系譜をもつ女神だが、通常、並んで座っている三幅対の女神像として、乳飲み子・山羊の角・果物籠といった豊穣のシンボルを抱いた姿で表されるが、三人の女神はいずれもブリギットと呼ばれている。

 それは、ブリギットという名が豊かさ・富裕を意味するリカンティーからくるように、豊穣・出産・医療・学芸・鍛冶工芸といった豊かさ・繁栄にかかわる分野を司る女神であることを示すものだが、加えて、女神ブリギットは日の出とともに生まれた“炎の女神”でもあるともいう。

※女神ブリギットから聖ブリギットへ
 女神ブリギットがもつこれらの神格はキリスト教伝来後も生き残り、伝説のなかの聖ブリギットへと引き継がれていったという。
 それは、名前が同じだからというだけでなく、大陸のキリスト教社会にあって、豊作・多産・長命といった大地母神のもつ神格が聖母マリアへ引き継がれたと同じく、アイルランドでは、ケルトの昔から続く大地母神信仰が、聖ブリギットを通じてキリスト教社会へ引き継がれたとみるべきであろう。
 これら引き継がれた神格のひとつ“医療神”を表すのが、寸劇で演じられた“萎えた足を治す聖女”であり、洞窟に奉納された多くの聖女像である。

 聖ブリギットは2月1日に天に召されたとされ、その日は“聖ブリギットの祭”として各地で祭がおこなわれるというが、異教時代にあっても、この日は“インボルグ”と呼ばれる祭の日で、春分の祭として、その日はじめて搾られた雌牛の乳が女神ブリギットに捧げられ、盛大な火祭りがおこなわれたという。
 またその日は、“聖母マリアの浄めの日”という祝祭日であり、妊婦たちが安産祈願のための新しい灯明を教会に奉納し、キルデアの修道院では、異教時代のままに19人の修道女たちが祭壇に新しい灯火を献じ、その火が絶えぬように日夜見守るという(今もって続いているという)。これらもまた、炎の女神ブリギットに捧げられた春を祝う火祭りからきた風習といえる。

 このように聖ブリギットの祭には、農耕や牧畜にかかわる多種多様な民俗習慣が各地でおこなわれるというが、それは、キリスト教布教に際して、それまでの土着信仰のすべてを抹殺するのではなく、信仰の形を容認しながらその中身を変えていったアイルランド・カトリックの特異性であり、そのひとつが、先の芝居小屋でみた“聖ブリギット・クロス”である。

※聖ブリギット・クロス
 聖ブリギット・クロスとは、草で編んだ正十字架(縦横同じ長さの十字架)で、通常、灯心草(トウシンソウ、イグサの別名で、髄の部分を灯火に使ったことからこの名がある)と呼ばれる草で作られるという。

 アイルランドでは、女神ブリギットの祭・インボルグの前の晩、緑の灯心草で編んだクロスを軒先に飾り、春分・春の到来を祝うとともに、きたるべき一年の豊饒を祈ったという。また、このクロスは邪気悪霊を祓う護府でもあるというから、わが国で節分の晩に柊を挿した鰯の頭を軒先に飾る風習と同じといえる。

 春のはじまりの日に緑したたる灯心草で作った十字架を飾り、その年の幸せを祈ることは、四季の順調な巡りとそこからもたらされる豊穣を求める、人々の素朴な願いのあらわれといえる。そういう願いを込めて掲げられるこのクロスには、キリスト教にいう救済の十字架という意味はない。それは、キリスト教以前の十字架がもっていたイメージ、回転・循環・輪廻のイメージであり、十字架に円環を付けたケルト十字架に通じるものである。

 今、インボルグの前の晩に聖ブリギット・クロスを戸口に飾るという風習が、そのまま残っているかどうかはわからない。たた、2・3の土産物店で、普通の十字架を付けたネックレスと並んで、このクロスを付けたものをみたから、少なくとも護府として身につける風習は残っているのかもしれない。

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