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アイルランド/ケルト十字架
(モナスターボイス修道院跡)

 十字架といえば、通常、長い縦棒の上部に短い横棒が十字の交差した所謂“ラテン十字架”を想定するが、アイルランドのそれは、柱頭の十字を“円環”でつないだ特徴のある形で、ほとんどが屋外に立っている。
 この十字架はケルト文化圏を中心に見られる特異な形で、なかには人の背丈を超えるものもあり『高十字架 ハイクロス』とも呼ばれている。

 今回の旅でも各処の教会・修道院などでケルト十字架を見たが、なかでも有名なものとして、モナスターボイス修道院跡に残る“ムルダクのハイクロス”がある。

※モナスターボイス修道院跡--ダブリン近郊

 モナスターボイス修道院跡は、ダブリンから北へ35km、ニューグレンジにほど近いボイン川北岸に拡がる田園地帯に位置し、5世記末頃(521との説もある)、この地にやってきた聖パトリックの弟子・聖ブイトによって創建されたという。

 9世記の一時期バイキングによって占領されたものの、10世記にタラの王によって奪還されて以来、ルース州最大の修道院として栄えたというが、
 それよりも、境内に残る二つのケルト十字架(ハイクロス)によって有名である。


 

修道院跡全景(資料転写)

◎ムルダクのケルト十字架(ハイクロス)
 入口を入ると、低い石額に囲まれた境内の奥に、修道院の小さな建物跡が残り、傍らに、頭部が壊れた円塔(H=30m)が一基、境内にはケルト十字架を主とする墓標が林立している。

 そのな廃墟の中、南と北に立つひときわ高いハイクロスが目をひく(南H=5.5m、北H=8m)

 南側入口近くに立つのが【ムルダクの十字架】と呼ばれるハイクロスで(南のハイクロスともいう)、高さ5.5m。
 ムルダクとは、これを建立した修道院長ムルダク(922没)の名で、ハイクロスの基台には、彼が10世記初頭に建立した旨の銘文が彫りこまれているという。

 このハイクロスについて、地元ルース州の地誌「ルティアーナ」(1748)には、「この十字架は、教皇の命によってローマから運ばれた」という地元の伝承とともに、「風変わりな彫刻で埋めつくされており、浮彫のなかには聖書の主題に合致したものがある」とあり、古くから注目されたものという。
 ただ、地誌には地元の伝承として、ローマ教皇の命による云々とあるが、修道院長ムルダクの建立という基台の銘文と整合せず、またローマにこのように異様な十字架かあったとは思えず、何処にもありがちな権威付けのための付会であろう。

 地誌にいうように、このハイクロスの正・背面には新・旧約聖書の主要な場面を表す浮彫で埋めつくされ、聖書図像を彫りこんだハイクロスでの最高傑作といわれている。
 ただ、聖書の主要場面を彫りこめるだけの幅をとっているため、5.5mという高さよりも、ずんぐりとした太さが目につく。

 
左:ムルダクのハイクロス
右:北のハイクロス
 
ムルダクのハイクロス
(正面)

同 左
(背面)

十字架中央部拡大(正面) 
   
同左(背面)

 ハイクロスの正面浮彫は旧約聖書の場面が主で、資料によれば、下から
 ・1段目左--蛇が巻き付いた知恵の木をはさんで、リンゴを手にするアダムとイブ
 ・ 同  右--棍棒を振りかざすカインによるアベル殺し
 ・2段目--ダビデとゴリアテの闘い
 ・3段目--9人の民を従えて 岩を打つモーゼ
 ・4段目--マギの礼拝
 ・十字架中央--最後の審判
とつづく。

 また、十字架中央の最後の審判では、
 ・キリストが、復活を象徴する十字架と正義の審判者であることを示す花の杖をもって座し、
 ・両側にはラッパを吹いて死者を蘇らせる大天使ガブリエルと、裁きの書き付けをもって跪く小天使が、
 ・下には、死者の魂を秤にかける大天使ミカエルと、その天秤に手をかけようとするサタン
が見える。

 背面の浮彫は新約聖書がテーマで、下から
 ・1段目--キリストの捕縛
 ・2段目--トマスの不信
 ・3段目--聖ペトロに鍵を、聖パウロに書物を渡すキリスト
 ・十字架中央--磔刑のキリスト
が彫りこまれている。

 聖書の主要場面で埋めつくされた正面・背面に対して、側面に見られるのはケルト的な渦巻文様であり組紐文様である。

 その中にあって、円環部側面には、両側の組紐文にはさまれた間に、絡みあった2匹の蛇が彫られ、その蛇が人頭を抱え込んでいるように見える。
 旧約世界(創世記)で、“あらゆる家畜、あらゆる野の獣のなかで呪われるもの、這いまわり、塵を喰らうもの”と呪われた蛇が、ここでは堂々と十字架を飾り、且つ人頭を抱きかかえている。
 これぞケルトの神髄といったところであろう。

 
絡みあった蛇と人頭
 

組紐文と渦巻文(下) 

 ムルダクのハイクロスに対して、境内北寄りに立つ円塔近く、廃墟化した修道院跡に接して立つのが“北のハイクロス”で(H=8mほどで、ムルダクより細身)、ここにもまた聖書の各場面が彫りこまれている。
 ただ、十字架中央の“磔刑のキリスト”はわかるが、資料なく、他の場面が何を表しているのかは不明。

 建立時期はムルダクとほぼ同時期というが、年代を特定できる碑文などなく不明。ただ、ムルダクでは文様だけだった側面に、人物像が彫りこまれているから、やや降るのかもしれない。
 なお、この2本のハイクロス以外の十字架は、組紐文を主とした一般的なケルト十字架が多い。

 
北のハイクロスと円塔
 
同 左

ハイクロス側面 
 
組紐文の十字架

 中世ヨーロッパにあっては、「神学者が書物によって学ぶものを、文盲者は絵画によって学んだ」といわれるように、絵画とは絵解きによる神学的知識の伝達手段であって、一般庶民にとっては、教会の壁面に描かれた絵画こそが聖書だったといわれ、それと同じ役目をもつのが、ハイクロスに刻まれた聖書の各場面の図像というのが一般の解釈である。
 その意味では、“ハイクロスは墓標ではない”というのも当を得た言葉といえる。

※ケルト十字架
 今回の旅では、各処でケルト十字架をみたが(それが旅の目的でもあった)、ほとんどが教会あるいは修道院付属の墓地に立っている。
 そこで見られたケルト十字架は、高さ1m前後から2m以下と背の低いものが板石墓標の墓に混じっているのがほとんどだが、これらは19世記末からのケルト復活運動によって復活した墓標としての十字架で、ほとんどに規格化・簡略化された組紐文様が彫りこまれている。
 そんななか、これは古いなと思わせる背の高いものがハイクロスである。

 このケルト十字架が、ギリシャ十字架(タテ・ヨコが同じ長さの十字架、正十字架ともいう)からの流れか、ラテン十字架(一般に見られるヨコよりタテが長い十字架)からのものかは不明。
 アイルランドへキリスト教を伝えた聖パトリックがローマン・カトリックに属していたことからみると、彼がもたらした十字架は一般的なラテン十字架だったと思われる。

 ところがアイルランドでは、無垢が普通のラテン十字架の表面が組紐文(時に渦巻文あるいは両者混合)によって覆われており、そこにはローマンカトリックにはない何かかあるとみるべきであろう。

 アイルランドでのキリスト教布教は、ヨーロッパでおこなわれたような土着の伝統・土着信仰を徹底的に破壊しながらのものではなく、ケルト人たちが、古くから伝えてきた宗教・伝統を巧みに取り入れ、それを利用し、徐々に変質させながらのそれであったという。

 その古い伝統をもつケルトの宗教・ドルイド教にあって、その中心をなすのは“霊魂不滅”という教えで、
 「ドルイドたちが、人を説得したいと思っている第一は、魂は決して滅びず、死後、一つの肉体から他の肉体へと移る、という教えである」(ガリア戦記・カエザル著)
というように、魂は決してなくならない、たとえ肉体は滅びても、魂は、他の人間へ転移して生まれ変わるという一種の輪廻転生思想で(仏教のそれとは少し違う)、その象徴として視覚化されたのが渦巻文様であり、その内包する意味を引き継いだのが組紐文様といえる。

◎渦巻文様
 渦巻文様の出現は古く、旧石器時代から鉄器時代に至るまで世界各地で用いられてきた最古の文様の一つで、ヨーロッパ大陸では紀元前5世記頃から愛用されてきた文様という(ラ・テーヌ様式)
 大陸からやってきた島(アイルランド)のケルト人たちは、それを剣や盾といった武器類はもとより身の回りの工芸品にまで、その要所々々を渦巻文様で覆ってきたという。

 ダブリンの国立博物館に展示されている“タラのブローチ”(右写真)や“磔刑のキリスト像”、あるいは黄金製の首飾り・腕輪・剣の柄飾りなどの何処かに、精緻な渦巻文様をみることができる。

 これらケルト人が残した遺物をみるとき、ケルトの渦巻文様は、単なる装飾文様というより、それを越えた神秘的・呪的な霊力を秘めた文様として用いられてきたことが伺われる。

 それは、渦巻文の原点が蛇のトグロであり水の渦であり、その意味するものが死と再生・永遠・循環・輪廻であることからくるもので、それはドルイド僧が説いた霊魂不滅に通じ、
 彼らは、渦巻を霊魂と見、それを抽象化・視覚化して十字架に刻み込み、それによって霊魂の永遠性・循環性をより確実にしたともいえる。

タラのブローチ-国宝
(資料転写)

 聖パトリックによって新しい神の象徴としてもたらされたラテン十字架、それは、ケルト人がもつ霊魂不滅・輪廻の思想を否定するキリスト教のシンボルとして登場したのだが、その聖なるシンボルに、あえて自分らが信じる異教的表象としての渦巻文様を組みこむ、そこには、ケルト人しぶとさと、それを容認したケルティック・カトリックの鷹揚さが現れているといえよう。

◎組紐文様
 アイルラドでは、初期キリスト教時代から様々な異教的文様(渦巻文が主流)で立石や十字架を飾ってきたが、7世記前半頃になると組紐文様が現れ、後半には中心的モチーフとなっていったという。

 組紐文様は、ローマ時代から地中海一帯で用いられてきた装飾文様だが、
 ・地中海スタイルといわれるそれが、2本の紐をゆったりと隙間をもって交差させる、文字通りの“紐を組みあわせた”文様であるのに対して、
 ・ケルトのそれは、地中海世界の明るさ・おおらかさを削ぎおとし、文様に呪的・魔的な力を注入することで、北方世界特有の昏い呪的な造形へと変形しているという。

 ケルトの組紐文様は、単なる紐の組みあわせというより、自由自在に絡みあい結びあった組紐が隙間なく、あるときは円を描き、あるところでは緊結しながら渦を巻き螺旋状に絡みあいながら、全体として摩訶不思議な神秘的文様を作りだしている。

 組紐の原点は不明だが、その一つとして蛇の交合があげられるかもしれない。
 長時間にわたって絡みあい蠢きあう雄雌の絡みあいは、不気味であるとともに生命の賛歌ともいえ、蛇は脱皮という生態をとおして死と再生を含意している。
 組紐の原点が蛇であるとしたら、それは渦巻文様と同じであり、死と再生の表象としての渦巻文様が解体し、よりカオス的なものに変身したのが組紐文様といえるかもしれない。

◎円環
 ケルト十字架・ハイクロスを飾る渦巻文様と組紐文様は、いずれもキリスト教が否定した魂の輪廻転生を表す異教的表象だが、それは、ケルト十字架最大の特徴である“円環”にもつながっている。
 
 ケルト十字架は、十字架上部の十字部分を円環で繋ぐという特異か形をもっている。
 円環の起源については諸説があり、異教の太陽崇拝の名残とか、東方から伝えられたマルティーズ・クロスの外円とかいわれるが、ナンセンスな説として、十字の横木を受け止める支えといった実用的なものもある。
 いずれにしろ何処からきたのかは不明というべきであろう。

 ケルト十字架は7世紀頃にはじまったようだが、それが堂々たる背の高い石造の十字架(ハイクロス)として発達したのは8世紀という。

 ケルト十字架は、通常、教会とか修道院に付属する墓地に立っているが、やや異質なものとして、9世紀の聖書写本に残る敷地全体図では、礼拝堂を中心とした境内の東西南北の四隅にハイクロスが立っている。
 また、ダブリンでは二股に分かれた道の角に今も立っているというし、アランのイニシュモア島では、街角の小さな広場に立っていた。

 これらはいずれも“境界”に立てられたハイクロスで、それは単にキリストのシンボルとしての、あるいは信仰の証としての十字架というより、聖と俗の境界にあって四方を見守る魔除けという異教的役割を併せ持つものといえ、それは、わが国で村境や衢の辻に立っている道祖神に通じるものがある。

 アイルランドで異教的といえば、霊魂不滅思想・輪廻思想となるが、それは循環・回転する円へと連なり、永遠・輪廻・再生を含意する正十字架・ガンマ・卍といったシンボルもまた回転する円へと収斂していく。

 これらからみて、ケルト十字架は、彼らがもっていた霊魂不滅の思想を表す究極のシンボルとして、回転する円・円環をもって十字架の中心である十字を繋いだともいえる。

◎十字架について
 十字架といえば、通常、キリスト教のシンボルであり救い主イエス・キリストそのものとされているが、キリスト教が未だ弾圧されていた3世紀頃には、ある司祭が
 「お前たち、それでは異教徒ではないか。木の十字架を崇拝するなんて、それはまさしく異教徒がすることだ。お前たちの記章や旗や標識といえば、ただピカピカした美しいだけの十字架ではないか。
 しかし、本当の勝利の記念品は、ただの十字架ではなく、その上に人間を乗せているのだ」
といったというように、初期キリスト教会では、崇拝すべきは十字架に架けられたイエスであって、単なる十字架だけの崇拝は異教徒がおこなう儀礼であるとして認めていなかったという。

 確かにイエスは、当時のユダヤ社会に対する反逆者・異端者として処刑されたのであり、それはゴルゴだの丘で二人の盗賊とともに処刑されたことからも伺われることである。
 当時のローマ社会にあっては、十字架とは重罪人を処刑するための道具あって、そんな不浄なる処刑具としての十字架を聖なるものとして崇拝するのはおかしいことといえる。

 キリスト教において十字架が表舞台に登場するのは、ローマ皇帝座の争奪戦(312)に望んだコンスタンティヌス皇帝(在位306--37)の夢にキリストが現れ、光り輝く十字架を掲げ『これを印とせよ』と指し示したという伝承、あるいは、その母ヘレナ(257--337)がエルサレムでイエスが架けられたという十字架を発見して、コンスタティノープルに持ち帰ったという伝承にみられるように、キリスト教がローマ帝国の国教として公認された4世紀以降という。

 十字架あるいはその原形である十字形は、キリスト教の発祥によって生まれたのではなく、考古学者マリア・ギンブタスが紀元前6000年紀末から前5000年紀初頭の古ヨーロッパに残る十字形について、
 「宇宙の四方位を指し示す四っ腕の十字は、新石器時代の農耕社会が創造もしくは適用した普遍的なシンボルであり、今日の民俗芸術にまで受け継がれている。 
 十字のシンボリズムは、歳月が四方位を巡るという信仰に基づいている。歳月の経過は宇宙の周期を存続させ、これを確実なものである。
 太古の昔から、十字あるいはそこから派生した様々なシンボルは土器などの装飾として多用され、そこでの十字は、生命の循環を促進させるもの、生命維持のシンボルだったのだろう。
 生命は、一刻たりとも停滞すべくものではなく、自然の循環性は死をもって妨げられてはならないものである。太古の人々にとっての生と死は、断絶ではなく、一つの状態から別の状態への移行であった。
 従って、古ヨーロッパでは、十字のような4分割の構図は永遠・再生および完全な身体をもとめる生命体の原形であり、生と死を柄ドル大女神や多産の女神、特に月の女神と結びついたものであった」(古ヨーロッパの神々・1998)
というように、古くから用いられてきた文様であり、生命の維持・循環・再生あるいは永遠を表すシンボルであった。

 十字架にはラテン十字架・正十字架の他にもいろんな形があるが、正十字と同種のものとしてギリシャ字のγ(ガンマ)を4個組みあわせたような“ガンマ十字”(正十字の腕木の先が折れ曲がった十字)があり、わが国では卍(マンジ)と呼ばれている。

 ガンマあるいは卍もまた古くから多用されてきた文様で、回転する太陽・太陽光線の輪・四季や循環を生み出す力・命の輪の回転といった意味があり、仏教では仏心・仏教の奥義・輪廻などを表す象徴である。
 卍には右回り(時計回り)と左回り(逆卍)とがあり、一般には右旋は吉・左旋は不吉とされるが、異教時代のヨーロッパでは、左旋・左の割が重視され、北欧の王たちは統治する都市の周りを左回りに巡行し、死は再生に連なるという輪廻観をもつアイルランドのドルイド僧たちは聖地・タラの丘の周りを左旋しながら祈ったという。

 古代にあって、死とは母なる大地への回帰であり、新たな再生への第一歩である。故に、たとえ左旋が死を意味するとしても、その死は再生を前提とした死であり、活力・豊穣を示す右旋マンジを含むものだったといえる。なお、仏教で輪廻を表す卍は左旋卍で表されることが多い。

 いずれにしろ卍は、回転・循環・再生を意味する文様であって、それは回転によって円・ウロポロスの円(自分の尾をくわえて円形となった蛇)となるが、それは始めも終わりもない永遠の回転すなわち輪廻を表す。

 これら正十字・卍といった十字の形は、いずれも生命の永遠性・死と再生・始めも終わりもない回転運動・輪廻思想を意味するシンボルとして使われてきたのだが、そこに始まりと終わりをもった世界という直線的観念を持ち込み、人生とは一回性のものであって再生はない、死者は有でも無でもない影のような状態のまま最後の審判を待つのみという観念を持ちこんだのがキリスト教であり、そのシンボルが十字架を縦に貫く柱をもつラテン十字架だという。

 先述したように、キリスト教国教化(313)以前のローマでは、ヨコよりタテが長い所謂ラテン十字架は罪人の処刑具として使われていた。そこでの十字架は、“聖なるもの”ではなく“穢れたもの”だったのだが、それを聖なるものへと転換したのがイエス・キリストである。

 宗教的には、聖と穢は盾の両面であり、聖から穢、穢から聖への転換は容易に起こりうることだが、紀元30年頃のエルサレムで、十字架の上で死んだイエスが3日後に救世主・メシアとして復活したという奇跡、それを神の子イエスにしてはじめて起こし得た唯一回の奇跡であると信じることから出発したキリスト教によって、ラテン十字架は救済を象徴するシンポルとして認識されたといえる。

 そこには、それまでの十字がもっていた循環・輪廻・再生という観念が異教的観念として否定され、世界は神による創造から終末・最後の審判まで直線的に推移するという観念がもたらされ、その直線的時間のなかでの生と死は、それまでの表裏一体のものから異なる時空における個別の存在へとかわっていったといえる。

 その個別現象である生と死が、イエス・キリストの死からの復活という唯一無二の奇跡によって一体となったと信じることから、十字架はキリスト教の象徴となったのであり、それを形にして示すのが、十字架の上から下までを貫く長い柱である。

 上記の正十字架・ラテン十字架の他にも、コプト十字架・マルタ十字架・聖ペトロ十字架・正教十字架・マルティーズ十十字架なとがあり、同じキリスト教世界でも、その宗派によってそれぞれ異なる十字架が使用されている。

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