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西安/大雁塔
                                                        2004.10訪問

 今の西安には唐代を偲ばせる遺構はほぼ皆無だが、そのなかにあって、西安市の南約5km(西安市郊外)に建つ『大雁塔』(ダイガントウ)は、「小雁塔」とともに、今に残る唐代の面影を残す貴重な遺構として貴重な建造物である(いずれも旧長安城内)

 唐の3代目皇帝・高宗が未だ皇太子であったとき、母の文徳皇后の菩提を弔うとして、隋代に建てられ唐初に廃寺となっていた無漏寺の跡に『大慈恩寺』を建立し(648)、即位の翌年(650)、3年前にインドから帰国していた三蔵法師・玄奘(600?--667)を首座に迎えたという名刹である。
 玄奘は遷化するまでの17年間この寺にあって、多くの学者・高僧を集めてインドから持ち帰った経典の漢訳にあたり、その数は75部1335巻に及んだという。

 それらの経典を収納するために、大慈恩寺境内に建立されたのが大雁塔で、玄奘は当初インド・西域の石造卒塔婆(石塔)形式の塔の建立を願い出たが、高宗の命により表面を磚(セン・煉瓦)で覆った塔として建造したという(652)
 当初の塔は5層・180尺というが(大慈恩寺三蔵法師伝)、6層・300尺とする文献もあり詳細は不明。

 大雁塔は、約半世紀経った則天武后(ソクテンブコウ、690--706)の頃には著しく破損していたため、長安年間(701--705)に全て磚を用いた楼閣式・6層(9層説・10層説あり)の高塔として改築され、その後、何度か改修・補修がなされたという(現在は楼閣式・7層・64m)

 その後の大慈恩寺は、“会昌(カイショウ)の廃仏毀釈”(745、15代武宗)によって長安城内にあった100余の仏教寺院のほとんどが廃されるなか、他の3大寺とともに生き残ったが唐末の兵火(黄巣の乱・880--83)により全焼し、大雁塔のみがかろうじて難をのがれたという。

 現在の大慈恩寺は明代に再建された建物で、唐代の約1/7の規模(西院部分に当たるという)という。

 南側の山門から境内に入り、北へ延びる参道を突き当たった処に、こぢんまりとした本堂(扁額には“法堂”とある)が建ち、その本堂の後に大雁塔が聳えている。
 狭い堂内には、金張りの釈迦如来座像と脇侍の菩薩像が安置され、多くの信者たちが太くて長い深紅の蝋燭・細長い深紅の線香を捧げて熱心に祈っていた。

   
大雁塔
(左下-大慈恩寺本堂)
 
 
大慈恩寺・山門
 
参詣風景
 
参考:小雁塔
(絵葉書転写)

参考--小雁塔
 西安市の南約1kmに建つ仏塔遺構。
 随の煬帝(ヨウダイ)の旧邸跡に、則天武后が夫・高宗の冥福を祈って建立した大薦福寺(ダイセンプクジ・684建立)の南坊に建つ密檐式(ミツエンシキ)の塔(707--710間)
 明代の大地震(1487)により上部2層が崩壊し、現在は13層・43m、磚造。未訪問
 なお、大薦福寺にはわが国の留学僧・円仁(慈円大師)が逗留していたという

【唐詩にみる大雁塔】
 唐の長安には、宮殿楼閣を除いて3層以上の建物はなく、数少ない寺院の仏塔のみが突出していたといわれ、そのなかにあって大雁塔は一つの奇観を呈し、多くの詩に詠まれたという。

*登慈恩寺浮図(慈恩寺の塔に登る) 岑参(シンサン、時期不明)

  塔勢 湧出する如く
  孤高 天宮に聳ゆ
  登臨 世界を出で
  磴道(トウドウ) 虚空に盤(メグ)
  突兀(トツコツ)として神州を圧し
  崢嶮(ソウケン)として鬼工(キコウ)の如し
  四角 白日を嶷(サマタ)げ
  七層 蒼穹を摩す
  下視して高鳥(コウチョウ)を指さし
  俯聴(フチョウ)して驚風(キョウフウ)を聞く
  連山 波頭の如く
  奔走 東に朝(チョウ)するに似たり
  青松 馳道(チドウ)を夾み
  宮観 何ぞ玲瓏たる
  秋色 西より来たり
  蒼然として関中に満つ
  五陵 北原の上(ホトリ)
  万古 青(セイ) 濛濛(モウモウ)たり  
 (大意)
 慈恩寺の塔は、大地から湧き出るかのように、
 ひとり空高く聳えている。
 塔に登ると、さながら俗世間から抜け出したように 
 螺旋の階段がぐるぐると天空を巡っている。
 その姿は長安の街を鎮圧し、その造作の技は とても人間業とは思えない。
 四角くて高い塔は太陽の運行を妨げるほどで 
 七層の頂は 蒼空にまで届いている。
 塔の頂から下を覗けば、眼下に鳥が飛び、
 うつむいて耳を澄ませば 風の音が足下から聞こえてくる。
 遠く見わたせば、連なる山々が大波のうねりのように 東へと走り、
 槐の並木は大道をはさみ、
 宮殿の屋根は 明るい光をうけて輝いている。
 秋の気配が 西から忍びよって、
 夕暮れの関中平野を薄暗くみたし、
 五陵北原にある漢の陵墓辺りには 
 松柏のみが 古今変わることなく鬱蒼と茂っている。

*題慈恩寺塔(慈恩寺の塔に題す)  章八元(中唐期の詩人)

  十層 突兀として 虚空に在り
  四十の門は開く 面面の風
  却(カエ)って訝(イブカ)る 鳥の平地に上を飛ぶを
  自(オノズ)から驚く 人の半天の中に語るを
  回梯(カイテイ) 暗(ヒソ)かに踏めば 洞を穿つが如く
  絶頂 初めて登れば 籠を出づるに似たり
  落日の鳳城(ホウジョウ) 佳気合(ガッ)
  満城の春樹 雨濛濛たり

 (大意)
 十層の高塔は 高々と天に聳え 
 開け放たれた各層の窓からは 薫風が吹き込んでくる
 塔の上から見おろすと 鳥が地面を掠(カス)めて飛ぶかと怪しみ
 下から仰ぎみれば 中空から聞こえる人の声に驚く
 塔内の薄暗い螺旋階段を踏めば 洞穴を潜り抜けるかのようで
 頂上に登れば まるで籠から抜け出したような爽快な気分
 日が沈んで暮れゆく長安城の中には のどかな気配がみなぎり
 萬城を彩る樹々の若葉には 春の霧雨が濛濛と降り注いでいる 

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