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坐摩神社(座摩太神宮)
大阪府大東市平野屋 1-9
祭神--阿須波大神・波比岐大神
付--平野屋新田会所跡
                                                      2021.07.06参詣

 JR学研都市線・住道駅の東約1.3km、駅南から線路沿いの道を東へ進み恩智川を越えて東へ、銭屋川に架かる銭屋橋を渡って3っ目「坐摩神社参道」との小さな石標が立つ角を左(北)へ入った先に鎮座する。
 社名“坐摩”は“イカスリ”と読むのが正式だが、“ザマ”と読む場合もある。

※由緒
 境内拝殿内に「座摩大神宮由緒略記」との案内が掲げてあるが、墨色が褪せていて判読不能。
 Wikipediaによれば、
 「創建時期と由緒については不祥。
 社伝によれば、坐摩神社は享保13年(1729)に摂州西成郡の総社であった。
 当神社があった地域は、元は深野池(フコウノイケ)という大きな池であり、江戸期に行われた大和川の改修(宝永元年・1704)によって『深野新田』として干拓された。
 それにともない、開拓権を大谷派の難波別院から譲られた平野屋又右衛門(大阪の豪商、地名として残っている)が守り神として坐摩神社(現大阪市中央区、難波別院の西隣り)から分霊を勧請したのが当神社の由来となっている。

 坐摩神(ザマ/イカスリ)は通常、生井(イクイ)・福井(サクイ)・綱長井(ツナガイ)・波比岐(ハヒキ)・阿須波(アスハ)の五神を指すが、当神社の大正の記録では阿須波大神・波比岐大神の二神を祭神としていると残されている。
 坐摩神は皇居の守護神であり、また住居守護・旅行案内・安産の神として信仰されている。
 なお、坐摩神社の西隣りに平野屋新田会所があったが、平成20年(2008)に解体された」
という。

 社伝には、「坐摩神社は摂州西成郡の総社であった」と記しているが、当社鎮座地は河内国讃良郡であり摂津国西成郡ではない。
 ここにいう坐摩神社とは現大阪市中央区(旧摂州西成郡)に鎮座する坐摩神社のことで、当社はこの坐摩神社から祭神を勧請したのが起源という。

 なお、当社の勧請元である大阪市の坐摩神社の社名は「イカスリ」だが、俗に「座摩」とも書いて「ザマ」と読んでいる。
 当社は当社への参道入口に立つ石標および鳥居脇の立て札には「坐摩神社」とあるものの、鳥居の神額あるいは拝殿内にかがる案内には「座摩大神宮」とあり、座摩神社を以て社名としているのかもしれない。(社務所なく確認不能)

 当社について、大東市史(1973)には、
 「座摩神社
 平野屋1丁目にあり、阿須波神(アスハ)・阿比岐神(アヒギ)の二神を祀っている。
 境内は約168㎡で、本殿・拝殿と絵馬堂があり、本殿は宝暦年間(1751--64)の建築で流造に千鳥破風がある。
 由緒は明らかでないが、深野南新田の開発にともない、大阪の産土神である座摩神社を勧請したと思われる。
 氏子も深野南だけでなく、東大阪市の河内屋南にも及んでいる」
とある。

 なお、当社鎮座地の地名・平野屋は、もとの讃良郡大字深野南(旧深野南新田)の小字名・平野屋からくるもので、大阪府全志には、
 「大字深野南
 本地はもと深野池の池床たりし所にして、大字深野(旧深野新田)・同深野北(旧深野北新田)と共に讃良郡に属せり。
 三新田中の南部に位するを以て南を附して称せられ、明治43年12月より新田の称を用ひず単に深野南と称す。
 字地に平野屋・三つ島・茶屋川・西谷川・東谷川あり」
とあり、小字・平野屋とは平野屋又右衛門に因む小字名であろう。


◎平野屋新田会所跡
 当地にあった深野池と、その干拓後に拓かれた平野屋新田について、「平野屋新田会所跡発掘調査概要」(大東市教育委員会・2012)は以下のように記している(概要)
 ・大東市一帯は河内平野の最低所に位置し、近世初頭頃には曾ての河内湖の名残である深野池が存在していた。
 ・深野池には南から大和川の分流・吉田川、北から寝屋川が流入していたが、江戸中期頃になると、その堆積作用により河床・池床が次第に高くなり、大雨毎に各所で堤防決壊・大洪水が相次ぐようになった。
 ・それを抜本的に解決するため、幕府は宝永元年(1704)に大和川の付け替え工事を実施した。
 ・付け替え後、旧河床跡や池跡で開発が行われ、多くの新田が誕生した。
 ・深野池の新田開発は、付け替え工事翌年の宝永2年(1705)、東本願寺難波別院の講員により始まり、正徳3年(1713)に「深野新田」が誕生した。
 ・竣工後の享保4年(1719)に深野新田は3地区に別かれ、中央部の深野北新田・深野中新田は鴻池又右衛門、南部の深野南新田と河内屋南新田は平野屋又右衛門、北部の河内屋北新田は鴻池新十郎といった大阪の豪商が所有するところとなった。
 ・その新田を管理運営するために設けられたのが「会所」で、現地に支配人を置いて運営にあたらせた。

 ・その一つ、平野屋又右衛門が深野南新田(当地)に設けたのか「平野屋新田会所」で、大正7年(1918)の会所絵図によれば、西を銭屋川に、三方を周濠に囲まれた広大な屋敷だったが、今はその殆どに民家が建て込み、残っているのは、東北隅にあった「坐摩神社」と、西北隅にあった土蔵(千石藏・道具藏)の基礎跡(大東市指定史跡)のみとなっている。


深野池位置図(大和川改修以前) 
 
同・略図
 
大和川付け替え後に
開拓された新田
:平野屋新田会所跡)

*現状
 旧平野屋新田会所の西北部にあった千石藏(米藏)・道具藏跡は、周囲を金網で囲われており、その傍らに立つ「大東市指定 平野屋新田会所 千石藏・道具藏・船着場跡」との案内には、
 「平野屋新田会所の屋敷地は東西約120m、南北約60mを測り、主屋棟・座敷棟・表長屋門・裏長屋門・屋敷藏・千石藏(米藏)・道具藏の建物がありました。
 また、東側には庭園と大阪久太郎町の坐摩神社(イカスリ)から勧請された坐摩神社(ザマ)が立地し、西側には銭屋川に面する船着場があり、残り三方は濠で囲まれていました。

 平野屋新田会所の建物は宅地開発のため平成20年に取り壊されましたが、その後に実施された確認調査の結果を踏まえ、平成22年に千石藏・道具藏の基礎と船着場の階段の遺構がのこる屋敷地の北西部476.07㎡を大東市が公有化しました。
 平野屋新田会所 千石藏跡・道具藏跡・船着場跡は、往時の平野屋新田会所を偲ばせる貴重な遺跡であり、確認調査によって会所建物の基礎構造が明らかとなった稀有な遺構であることから、平成31年3月に市史跡にしていしました」
とある。
 (以下の写真は、上記案内・管見した資料からの転写および今回撮影写真)


平野屋新田会所・全体想像図 
 
同・確認調査結果:坐摩神社)
 
平成20年 建物撤去後の会所跡

 市史跡に指定されている千石藏・道具藏・船着場跡について、上記案内には次のようにある。
*千石藏(米藏跡)
 屋敷地北西隅に位置し、北側は周濠に面する。
 東西桁行11間(約22m)南北梁間3間(約6m)の東西棟の建物でした。内部は間仕切り壁によって3室に分画され、各室の南面にはそれぞれ出入口が設けられていました。(以下略)


全景(左:道具藏跡、正面:千石藏跡) 

千石藏跡(南東方より) 
 
(東方より、斜路は各室への出入口)

*道具藏跡
 銭屋川を背にして位置する南北桁行6間(約11.5m)、東西梁間2間(約4m)の南北棟の建物でした。
 道具藏の内部は壁で仕切られて南北2室の構造となっており、北室には10数基の踏車(フマクルマ)が収納されていました。

*船着場跡
 船着場は道具藏の南西隅に接し、西側に面する銭屋川から年貢米等の搬出入が行われました。
 階段は幅約2mで角石を用いており、銭屋川護岸工事の影響も少なく、13段以上が地下で良好に遺存しています。

 
道具藏跡
 
船着場跡(資料転写、土中保存のため実見不能) 
 

 なお上記案内には古い写真が幾つか添付してあり、主要なものを転写する。


表長屋門 

主 屋 
 
千石藏(北側からか)


※祭神
   阿須波大神(アスハ)・波比岐大神(ハヒキ)
 当社の祭神は上記2柱だが、勧進元である大阪・坐摩神社の祭神は生井神(イクイ)・福井神(フクイ)・綱長井神(ツナガイ)・阿須波神・波比岐神の5柱で、そのうちの2柱を勧請したもの。

 阿須波大神・波比岐大神とは、古事記(大年神の神裔段)
 「(大年神が)天知迦流美豆日売(アマチカルミズヒメ)を娶って生んだ子、・・・次に阿須波神、次に波比岐神、・・・」
とある神で、本居宣長の古事記伝(1798)には
  阿須波神--足踏み立つる地を守り坐す神(足場を確実に守護する神か)
  波比岐神--門から家屋までの庭を守り坐す神
とあり、また近年の説として、
 ・宅地の神もしくは庭燎(ニワビ)の材料としての薪や柴の神
 ・宅地の基礎を堅固にする神
 ・蛇神(ハハキ神)が転訛して大宮地の霊になった神
 ・宅地の端から端へ線を引いて境界を守る神
など諸説がある。
 いずれにしろ、宅地・居宅を守護する神で“宅神”あるいは“屋敷神”といってもいいことから、平野屋新田会所ひいては深野南新田経営の守護神としてこの2柱を勧請したものと思われる。

 なお、生井・福井・綱長井の3神は、神名に“井”とあるように水を司る水神。


※社殿等
 坐摩神社参道との石碑が立つ角を北に入った先に滑り台のある広場があり、その左奥に鳥居が立つ。


坐摩神社への入口 
 
坐摩神社参道・石碑
 
同・全景(広場の左奥に鳥居が立つ)

 広場の左奥に立つ鳥居(神額には座摩大神宮とある)から、ブロック塀に囲まれた境内に拝殿が、その奥に本殿が南面して鎮座する。
 拝殿は四方を目の粗い格子で囲われた入母屋造の社殿で、中には何もない。

 
坐摩神社・鳥居

同・社殿(中央:拝殿、右:本殿) 

同・拝殿 

 拝殿奥に鎮座する本殿は一間社流造・銅板葺きの社殿だが、大きな千鳥破風を有するところが通常とは異なっている。


同・本殿(拝殿よりみえる正面) 
 
同・本殿
 
同・本殿(側面)

 本殿の左に朱塗りの鳥居列が立ち、奥に「玉垣稲荷社」が鎮座するが、鎮座由緒等は不明。

 
玉垣稲荷社・鳥居
 
同・社殿 

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