トップページへ戻る

諸福天満宮
大阪府大東市諸福 1-7-13
祭神--菅原道真
                                                       2021.07.06参詣

 JR学研都市線・住道駅の西約900m、駅北の住道駅北大橋北詰から寝屋川北岸沿いの道(旧古堤街道)を西へ進んだ先に鎮座するが、神社付近の道が輻輳していて地図必要。

※由緒
 境内に掲げる「市指定文化財第7号 諸福天満宮本殿」との案内(大東市教育委員会)には、
 「寺社の創建年代は、何れも“年代不詳、往古より”と記されるのを通例とする。
 こうした中で、当社は創建年代が明白な市唯一の神社である。記録には『寛永廿歴 奉勧請当社天神安全地下繁昌 九月吉祥日』とある。
 文意は、“寛永20年(1644)9月、この地に天満宮を勧請し奉る。神徳により村安全五穀豊饒、生業は愈々繁昌するであろう”と解される。この時に本殿がつくられたものであろう。

 当殿は、江戸初期の桧皮葺きの流造りであるが、保存状態もよく、色彩も華麗である。円柱・破風(ハフウ)・斗栱(トキョウ)木鼻(キバナ)等にみられる彫刻は、江戸初期の様式のおもかげを残している。昭和58年7月(平成12年度改)

 大東市史(1973)には、
 「菅原神社  諸福1丁目にあり、祭神は菅原道真であるが、元は産土神社と呼ばれていたらしい。
 本殿の中に『維時弘化三丙午(1846)九月吉日 勝福十世祖猷謹閉扉』と書かれた木箱があり、その中に
  『寛永廿歴 奉勧請当社天神安全地下繁昌 九月吉祥日
と記された木札が納められていた。
 すなわち、当社は寛永20年9月にこの地へ勧請され、社殿も同時に造られたものであることが明らかになった。
 社殿は比較的保存状態がよく色彩も華麗で、江戸初期の権現造りの様式ながら、桃山建築の雰囲気をよく残しているという。

 なお菅原道真の画像も掛け軸として保存されている。
 これは宝暦2年(1752)12月の作成で、箱の表には『天満宮肖像自往古来東次左衛門實勝』とあって、この實勝なる人物が寄進とみられ、箱裏には、この社の宮寺的関係にあった勝福寺の玄峻が讃を書いている。

 境内の石造物では、天和2年(1682)9月の石鳥居が最も古く、燈籠のうちでは元禄3年(1690)9月が最も早いが、延享2年(1745)正月に奉納されたものには、『河内国茨田郡諸福村五人組伊勢講中』とあって、このころ諸福に伊勢神宮の信仰集団が出来ていたことが知られる。

 なお末社に歯神社があり、歯痛にきくといわれている。歯神というのは東北地方に多い『はやま(端山)神』と関わるのかもしれないが、今はその証拠を見いだせない」

 また、北大阪のお宮(2009)には
 「当社は寛永20年9月にこの地に勧請され、社殿が建立されたとの記録が本殿に納められている木札に記されている。 
 本殿は江戸初期の権現造りで、円柱・破風などに見られる彫刻は桃山建築の様式を残している。

 明治5年に村社に列せられ、元は産土神社と称せられたが、同3月菅原神社と改称、以降百年余のあいだ同社名で呼ばれていたが、平成の修復の折、菅原神社と書かれた額の板をめくると、天満宮の文字が現れ、宝暦2年(1752)調整の菅原道真公像の掛け軸の箱書きにも『天満宮』の銘があることから、平成11年1月1日をもって諸福天満宮に改称した」
とある。

 当社は、創建年次が確認できる珍しい神社というが、如何なる由縁で菅原道真を祀るのかは不明。
 臆測すれば、元々は産土神を祀る社だったが、江戸時代に流行した菅公信仰の風潮を受けての勧請かもしれない。


※社殿等
 当社西側の道の脇に西面して鳥居が立ち、広い境内に入る。
 南北に長い境内の北側(鳥居から入って左側)、一段高くなった処に社殿が南面して鎮座する。


諸福天満宮・鳥居 
 
同・境内

同・境内

 境内北側、玉垣に囲まれた高処に入母屋造・亙葺きの拝殿が南面して建つ。


同・拝殿 
 
同・拝殿(正面)

同・内陣 

 拝殿の奥に、弊殿を介して入母屋造・亙葺きの本殿が鎮座する。
 ただ、これは覆屋で、拝殿から覗くと、奥に朱塗りの本殿社殿がみえる(一間社流造か)


同・社殿(左:拝殿、右:本殿) 
 
同・本殿(覆屋、北東より)

同・本殿社殿 

◎境内社
*牛社
 本殿の右にある小祠で、中に牛の臥像が納められている。

*社名不明社
 本殿の左にある小祠だが、社名表示等なく詳細不明。

*力石
 社名不明社の右に丸い石が数個置かれており、不明社の壁に
 「力石の概要
 意外かもしれませんが、河内は古くから相撲が盛んな地でした。
 江戸時代以来、河内の村々では素人中間の相撲部屋が作られ、諸福・太子田・八箇新田を本拠とする早碇部屋があり、頭取(親方)のもとで弟子たちが日ごろから稽古に励み、秋祭りの際に行われる夜相撲などで勝負を競い合いました。
 河内での相撲興行は昭和50年代ごろには行われなくなりましたが、現在諸福天満宮の境内に力士が稽古に用いられた力石が残されています。
 尚、大東市内で残されている力石は、諸福天満宮だけです、平成30年10月」
との案内が貼られている。
 案内が壁に貼られていることからみると、不明社は力石または相撲に関係する小祠かもしれない。


境内社・牛社 
 
同・社名不明

力 石 

*歯神社
 本殿域の左に、『歯神社』との扁額が掛かる切妻造平入り・銅板葺きの小社が南面して鎮座し、内陣の奥に一間社流造らしき小祠が納められている。
 ただ、歯神社の鎮座由緒等は不明。

 
歯神社
 
同・扁額
 
同・内陣

トップページへ戻る