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龗神社
大阪府大東市御領 1-253
祭神--龗神(オカミ)
                                                  2021.06.01参詣

 JR学研都市線・住道駅の北約1.4km、駅西の府道21号線(八尾枚方線)を北上、御領神社前交差点の左(西)角に鎮座する。

※由緒
 社頭に掲げる「御領・龗神社」との案内には、
 「現在では標高2mであるが、往時はもっと高く河内湖と呼ばれる草香江に浮かぶ島であり、その後池水が狭まった後には深野池(フカウノイケ)の堤防を形づくったと考えられる。
 深野池の干拓後は堤防の土は掘り出されて現在は坂はないが、おかみ神社北側をとおり枚方八尾線道路にあたる道を里人は三年坂と呼ぶ。

 境内は25m四方ほどの広さで、社名を“おかみ神社”と呼ぶ。
 “おかみ”とは大神の約で、海中又は池沼中に住み天に昇る雨雲を司る龍神を云う。
 (オカミ“雨垂れ”の下に“口”を三つ横に並べ、下に“龍”)を漢字構成的にみれば、雲を呼び雨を降らす龍を基本とするものであり、水を司る神を意味する。

 現在の社殿は昭和46年(1971)に再建されたが、それ以前のものは、現社殿の北側にその跡を止めており、豊作祈願・水神を祀る小祠堂であったことが分かる。
 小祠堂のわりには神域が広いことからみると、往時は湖沼に浮かぶ小島的存在で、干拓後は御領村の中心地域として始まり、集落はここより西へ広がっていった御領村発生の聖域であったと云えよう」

 大東市史(1973)には、
 「御領1丁目の府道枚方八尾線沿いにあり、龗神を祀っている。たいへん難しい字であるが、分解すると雨と口と龍からなっており、農業に必要な水を司る神であることが分かる。
 境内は約580㎡で、本殿は昨46年に新築された。また天保2年(1831)の“おかげ灯籠”でよく知られている。
 詳しい由緒は分からないが、同地区の菅原神社の御旅所ともいわれて、かなり古い社であろうと考えられる
とある。


 案内がいう“草香江”(クサカエ)とは、かつての上町台地から東方・生駒山西麓にかけて広がっていた河内湖が、淀川・大和川両水系から運ばれる堆積物によって縮小した7・8世紀頃の呼称をいう。

 当社の鎮座地は、その草香江に浮かぶ小島だったというが、周囲が陸地化するにつれて草香江も次第に縮小し、江戸時代には当地の東に深江池、南西に新開池(後の鴻池新田)という二つの大池が残り、当社地は深野池に接して西側に位置していたらしい。
*河内湖⇒草香江⇒深野池への変遷概念図

 
河内湖(5世紀頃)

草香江
(7・8世紀頃) 

深野池
(江戸中期・大和川付け替え前、右上が深野池) 

 この深野池には、南から大和川水系の吉田川が、北から淀川水系の寝屋川が流入するものの、西は上町台地で遮られていたことから、西方への傾斜がほとんどなく排水不良で、大雨が降る毎に洪水が発生し住民等を困らせていたという。
 これを解決するために幕府において計画されたのが、柏原の大和川と石川の合流地点から大和川を西へ流すという付け替え工事で、宝永元年(1704)10ヶ月という短期間で竣工したという。

 この付け替え工事完成後、水のひいた深野池や川筋では新田開発が活発におこなわれ、当社東に接する旧深野池には尼ヶ崎新田・三箇新田が拓かれ、それが次第に西へと広がり、当社がある御領地域でも田畑の開発が進んだと思われる。(右図:現龗神社位置)

 その御領地区における水の安定供給と五穀豊穣を祈願したのが当社と思われるが、その創建が何時の頃かははっきりしない。


 

 因みに、当社一帯の地名・「御領」について、大東市史には、
 「この地名には深い由緒があろうが、今のところ、天正12年の豊臣秀吉の河内国御蔵入帳に『五里やう村』とあるのが最初である。
 土地の伝承では、室町幕府の“御領”であったというが、室町中期には、17ヶ所が足利将軍家の御料で、8ヶ所が北野神社の社領であった。
 ただ当地・御領は17ヶ所にも8ヶ所にも含まれず、天正以降明治まで讃良郡に属していた。これは集落形成期の事情によるものであろうが、明らかにすることはできない」
とあり、御領集落の形成経緯・時期は不祥としている。


※祭神
   龗神(オカミ)

 龗神とは水雨を司る神で、古事記には闇淤加美神(クラオカミ)、書紀には高龗神(タカオカミ)と見え、伊邪奈美命が火の神・迦具土(カグツチ)を生んだときホトを焼かれて死んだことを怒った伊邪奈岐命が迦具土を斬ったとき、十拳剣(トツカノツルギ)から滴る血から成り出た神という。
 クラオカミのクラとは渓谷を、タカオカミのタカとは山の上を意味することから、オカミとは山上から渓谷を通って流れ下る水を司る神すなわち龍神を指すという(オカミとは龍の古語ともいう)

 当社が龗神を祭神とするのは、当地一帯での水の安定供給と五穀豊穣を願って祀られたものと思われる。


※社殿等
 府道21号線・御領神社前交差点の左(西側)に鎮座するが高い植え込みのため道路から直接見えない。
 鳥居は境内北東側に北向きで立ち、境内に入った右側に入母屋造の拝殿が東面して建つ。


龗神社・社頭 

同・鳥居 
 
御領神社前交差点
(左の樹木が龗社境内)

 本殿は、拝殿裏に突き出した覆屋(一間方)の中に鎮座するようで、拝殿内陣の奥には本殿社殿らしき小祠がみえるが、如何な様式の社殿かは不明。

 境内には社殿一棟が鎮座するだけで、ほかには何もない。
 なお案内には、“再建前の社殿の跡が現社殿の北側にある”というが、参詣時には気づかなかった。

 
同・拝殿

同・拝殿(側面) 

同・内陣 

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