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両皇大神社
大阪府大東市深野 1-589
祭神--天照皇大神・豊受大神・菅原道真
                                                        2021.06.01参詣

 JR学研都市線・住道駅の北約800m、駅北へ出て、寝屋川東岸沿いの小道を北上、大東市役所前を過ぎた会所橋東詰の道路の反対側に鎮座する。
 社名は“リョウコウタイジンジャ”と称する。

※由緒
 入口の右に掲げる「深野新田会所と両皇大神社」との案内には、
 「18世紀初め、大和川の付け替えにともない干上がった深野池の跡地では、約300haもの新田が開発され、深野・深野北・河内屋北の三新田には深野新田会所が、深野南・河内屋南の二新田には平野屋新田会所が置かれました。
 会所は、年貢の取りまとめや幕府からの命令の伝達、周辺の村々との利害調整、新田を維持管理するための重要な機能をもった施設でした。

 当地の北側は深野新田会所があった場所で、享保7年(1722)の記録によれば、亙葺きの本屋・長屋門・米藏等が建っていたことが分かります。
 また、明治5年(1872)には、河内国第四区の17ヶ村の共同負担による深野郷学校が設立され、大東市域において初めて近代的な公教育が行われた場所でもありました。

 両皇大神社は、天照大神・豊受大神・菅原道真を祭神とし、明治5年に村社となる以前は『神明社』といわれており、当時の扁額が残されています。かつて境内の北側半分は、深野新田会所の敷地内でした。
 神社の創建年は不明ですが、社殿前の燈籠には『天明二寅年九月吉日』(1782)の銘があり、会所の設置後早い段階で存在していたことが推定されます。
 また、境内入口にも燈籠がありますが、これは文久年間(1861--63)に深野新田の東部にある字太光田(タイコデン・北条一丁目)に当社の分灯として建立されていたもので、平成15年に当地に移設されました。

 古くから深野新田の氏神として親しまれた両皇大神社は、近世・近代の大東市域の発展の礎を築いた深野池の新田開発の歴史を物語る貴重な文化財といえます。平成29年3月 大東市教育委員会
とある。

 また大東市史には、
 「皇太神宮  深野1丁目で、市役所の北約150mのところにあり、深野神社とも呼ばれている。
 祭神は天照大神・稲荷神と菅原道真で、社殿は最近の新築である。
 境内は100㎡で氏地は深野地区一帯である。
 なお深野の飛地が北条1丁目(深野東)にあり、ここに当神社の灯籠一基が建てられていて、『文久□年(1861--63) 九月日 東深氏子中』とあり、昔からの家5軒が、毎月1日と16日に順番を決めて献灯していたという」
とある。

 深野新田会所とは、当地一帯に洪水をもたらしていた大和川が現在の流路に付け替えられた(1704、江戸中期)後、干上がった深野池(フコウノイケ)を開拓してできた深野・深野北・河内屋北の三新田を維持管理するために設けられた会所で(1722以降)、鴻池家が管理したという。

 当社はその深野新田会所に南接してあったようで、新田経営の安定と豊穣を願って創建された社であろう。

                             右図--開拓された新田と深野新田会所跡() 

※祭神
   天照大神・豊受大神・菅原道真

 かつて神明社と呼ばれたこと、いま両皇大神社と称することから、当社本来の祭神は天照大神・豊受大神の2柱で、菅原道真は後年の合祀であろう。

※社殿等
 会所橋東詰の道路反対側に少しばかりの遊具を供えた東西に長い広場(深野第1広場とある)があり、その東奥に小さな鳥居が立ち、玉垣に囲まれた中に拝殿が西面して鎮座する。下写真の右の建物は地車庫であろう。

 拝殿背後に本殿があるが、地車庫との隙間が狭く本殿(覆屋)の一部が見えるだけ。
 ただ拝殿内陣から覗くと、奥に小祠2宇が鎮座する。
 左のやや大きい社殿に天照皇大神と豊受大神が、右の小さい社殿に菅原道真が祀られていると思われるが、案内等なく且つ格子に阻まれていてよく見えない。


両皇大神社・全景 
 
同・境内 

同・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・内陣(格子の奥に小祠2宇が鎮座する)

 広場に入ってすぐの右側、金網に囲まれた中に古い石灯篭1基が立っている。
 傍らの石柱に「平成15年12月吉日 深野東村(太光田)より移設」とあり、上記案内にみえる文久年間に字太光田に建立されたという石灯篭がこれであろうが、刻文は摩耗していて判読不能


同・本殿(覆屋)の一部 
 
文久年間建立の石灯篭 

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