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菅原神社(深野北)
大阪府大東市深江北 1丁目
祭神--数原道真
                                                    2021.06.08参詣

 JR学研都市線・野崎駅の西南西約850m、駅西の国道170号線・野崎駅前交差点を西へ、道なりに進み深江橋手前の交差点を右折、寝屋川東岸沿いの小道を北へ進み、民家に挟まれた角を右(東)へ入った処に鎮座する。

※由緒
 境内に掲げる案内には、
 「宝永元年(1704)大和川筋替えにより、深野池(フカウノイケ)の池水が涸れて葦原となっていたところを、宝永2年(1705)より京都東本願寺が新田開発にのりだし、御堂門徒組織である二日講がこれに応じて入植し、9年余で開拓が完了、当地に難波別院の永世祠堂田となった。しかし程なく天王寺屋、そして鴻池家に売却されている。(中略)

 この菅原神社は旧地名では『南方字宮前八の割』にあり、文学の神・菅原道真公を御祭神としている。 
 創建は江戸時代中期宝永年間(1704--11)であるが年代は定かでない。
 当地に入植した祖先が北野天満宮の分神を拝受し、産土神として村人の□□□願い、現在地□□□に鎮座ましましたのである。(以下略)(□:墨色薄く判読不能)

 大東市史(1973)には、
 「深野北1丁目にあり、菅原道真を祀っている。境内は約440㎡もあり、本殿のほか神饌所と納家がある。
 由緒は不明であるが、平野屋の座摩神社と同じように、深野新田の開発に際して勧請されたのであろう。
 なお、寝屋川をへだてて西側には三箇の菅原神社がある」

 また北大阪のお宮(2009)には、
 「当社の由緒は不明であるが、平野の座摩神社と同様、深野新田開発時鴻池善右衛門宗誠という人の開拓によって出来た土地柄、宝永4年(1706)以降に当地に移住した農耕者等によって創立されたと思われる。
 明治5年村社に列られる」
とある。

 鎮座地名・深野北について、大阪府志(1922)には、
 「大字深野北の地はもと深野池の池床たりし所にして、大字深野・同深野南と共に開墾せられて讃良郡に属したる所なり。
 三新田中の北部に位するを以て北の字を附して称せられ、明治43年12月より新田の称を用いず、単に大字深野北と称す」
とあり、大和川付け替え後の宝永2年(1705)から東本願寺難波別院が新田(深江北新田)を開発し、完了後の享保7年(1722)鴻池家に譲渡されたという(大東市史所載年表より)


※社殿等
 寝屋川東岸沿いの道を北へ、深北橋手前の民家に挟まれた小道の奥に石灯篭と鳥居が見える。
 かつての境内は広かったようだが、今は民家に囲まれた狭い境内で、
 入った左奥に、入母屋造・亙葺きの拝殿が(内陣は暗くて撮影不能)、その裏、弊殿を介して本殿(覆屋)が南面して鎮座し、
 拝殿の反対側に、青い自然石に「菅原神社」と刻した社標石碑が立つ。
 拝殿の左に地車庫があるだけの、静かな神社で、境内は綺麗に清掃されている。


深野北菅原神社・入口
(奥に石灯篭と鳥居が見える) 
 
同・鳥居

同・境内
 
 
同・拝殿

同・本殿(覆屋) 
 
社標石碑

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