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イスラエル/巡礼記-2
(ガリラヤのイエス)

 イエスの布教初期の拠点であったイスラエル北部のガリラヤ地方にある、イエスに関わりのある教会および遺跡等の訪問記。
 なお、聖母マリアが関連する教会は別稿・「巡礼記-1(聖母マリア)」、エルサレムにあるイエス関連教会は別稿・「エルサレム/巡礼記(イエス最後の7日間)」に記す。

※ガリラヤ湖
 パレスティナの北方にあるガリラヤの地は、イエスが生まれ育ち、福音活動の主たる舞台となった地方である。
 この地方は、ガリラヤ湖を中心とする東西約40km、南北約50kmほどの広さで、北のヘルモン山に源を発するヨルダン川が北から南へと貫流しており、南のネゲブ砂漠あるいはユダの山地に比べると、春ということもあってか。、緑が目にしみる親しみやすい景観が拡がっている。
 古くからパレスティナ第一の肥沃な土地といわれてきたのも宜なるかなといった風土である。

 ガリラヤ湖は、東西約12km、南北約20kmの広さをもち、地中海海面下約210mの低地に位置する。
 旧約には“キレネト湖”として出てくるが、その形が縦琴(キンノール)に似ているからとも、その波の音が琴の音に似ているからともいう。

 エルサレムからみたガリラヤは辺境の地であるが、メソポタミアからエジプトに至る陸橋地帯の入口にあるため、古来から多くの勢力が争奪を繰りかえした土地でもある。

 特に、北イスラエル王国の滅亡後(BC722)のアッシリア・バビロニアといった強大な勢力の侵入は、ユダヤ人の追放離散を招き、それに代って入ってきた雑多な異民族とユダヤ人の混在・混血は、純粋なユダヤ文化・宗教の変貌を招き、そこから異教的色彩の強いガリラヤ的ユダヤ教が生まれてもきた。
 そのため、エルサレム周辺のユダヤ人からは、自分たちが守りつづけてきた宗教・文化の頽廃とみられ、「異邦人のガリラヤ」と蔑称され、「ガリラヤから、何か良いものが出てくるだろうか」と揶揄されたという。

 異邦人のガリラヤとは、多神教の影響をうけ、ユダヤ教の律法からはずれた人々(地方)をいうが、そんな中から生まれたのがイエスある。

 
ガリラヤ湖畔
 
ガリラヤ湖・古代船を模した遊覧船
 
湖畔の町
(マグダラのマリア出生地という)

 ガリラヤ湖は地中海海面より低く、湖畔の小高い道ばたに“海抜ゼロ・メートル”の表示が立ち、ガリラヤ湖が目の下に見えていた。

海抜ゼロ・メートルの標識(下方にガリラヤ湖がみえる)  


※カナの奇跡教会
--カナ
 カナは、ナザレの北東約10kmに位置する。
 ヨハネ伝によれば、
  『ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。またイエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
 葡萄酒が足りなくなったので、母がイエスに「葡萄酒がなくなったと」といった。イエスは、「婦人よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」と答えだ。・・・
 しかし、そこにユダヤ人が清めに用いる石の水甕が6っ置いてあったので、イエスは召使いを呼んで「水甕に水を入れなさい」といわれたので、召使いたちは水甕を水で満たした。
 イエスは、「それを汲んで世話役の処へ持っていきなさい」といわれたので、彼らは水甕から汲んだ水を運んでいった。
 世話役はそれを味見して、「これは良い葡萄酒だ」といった』
とある。

 イエスがおこなった最初の奇跡といわれるもので、それを記念して建てられたのがこの教会という。
 ただ、この奇跡譚はヨハネ伝のみに記されているもので、ヨハネが、どういう意味でこれを記したのかは不明。

 聖堂正面の両側に2本の塔が立っており、花婿と花嫁を象徴するという。
 教会の外観・内陣ともに簡素な造りで、これといったものはないが、聖堂地下に婚礼がおこなわれた部屋という洞窟があり、水甕のレプリカが置いてあった。


カナの奇跡教会 
 
同・祭壇 
 カナの奇跡の教会の道をはさんだ隣に、東方正教の教会が建っている。
 樹木に囲まれた清楚な教会で、ここもまた、イエスが起こした奇跡に関わるものかもしれない。
 キリスト教の東西分裂以来のシコリが、イエスが奇跡をおこなった場所に二つの教会を建てるという愚行となったのかもしれないが、一般に開放されていないので詳細は不明。 

※パンと魚の奇跡教会--タブハ
 ガリラヤ湖北端の湖畔に位置する町タブハに建つ教会で、マタイ伝に
  『イエスは大勢の群衆をみて深く憐れみ、その中の病人を癒やされた。
 夕暮れになったので、弟子たちがイエスに「ここでは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行けるでしょう」といった。
 イエスは、「行かせることはない。貴方がたが食べるものを与えなさい」といったが、弟子たちは「ここにはパン5切れと魚2匹しかありません」と答えだ。
 イエスは、その5切れのパンと2匹の魚をとり、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
 すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、12の籠いっぱいになった」
という奇跡をおこなった場所とされる。

 わずかな食べ物を多くの人々に食べさせたという話は旧約にもある。
 列王記がそれで、
  『サレブタに住む一人の寡婦が、預言者エリヤに食べ物を所望したが、“一握りの小麦粉”と“わずかな油”しかなかった。しかし、エリヤのいうとおりに小さな菓子パンを作って食べたところ、彼女も、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった』  
  『一人の男が、、神の意を受けた預言者エリシャのいうままに、大麦パン20個を百人の人々に食べさせたところ、彼らは食べきれなかった』
といった話がある。
 これらは、単純にいえば、いずれも食べ物の心配をしないで暮らしたいという民衆の願いが、神ヤハヴェあるいは神の子イエスによって叶えられたという伝承であろうという。

 しかし、その本来の趣旨は、単に空腹を満たしたという現実的な寓話ではなく、精神的な飢餓感、生きることに倦み疲れた人々が、イエスの話を聞いて精神的に満たされたという寓話とみることもできる。

 この教会は、5世紀に建てられた古い教会を土台としたバジリカ様式の簡素なものだが、祭壇前の床には、奇跡譚を象徴するかのように、真ん中のパンをはさんで左右に2匹の魚を配したモザイク画が残っている。

 
パンと魚の奇跡教会・正面
 
同・内陣
 
同・床のモザイク画

※山上の請訓教会--タブハ
 『心の貧しい人々は幸いである・・・』にはじまる“山上の垂訓”は、イエスの教えを簡潔にあらわした警句として知られているが、マタイ伝は、これらを説いた場所は、ガリラヤ湖畔・タブハ近傍の“祝福の山”(H=125m)で、イエスは集まった群衆に対して山上から説いたという。

 それを記念して建てられた教会は、眼下にガリラヤ湖を望む静謐な景勝の地に建っている。

 通常、山上の垂訓は8っの項目というが、
マタイ伝によれば
 『イエスはこの群衆を見て山に登られた。腰を下ろされると弟子たちが近くに寄ってきた。
 そこで、イエスは口を開き教えられた。
  ①心の貧しい人々は幸いである。天国はその人たちのものである。
  ②悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。
  ③柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。
  ④義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。
  ⑤憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみをうける。
  ⑥心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。
  ⑦平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
  ⑧義のために迫害される人々は幸いである。天国はその人たちのものである。
  ⑨私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。大いに喜びなさい。天国には大きな報いがある』
と、9項目が説かれたという。

 一方、ルカ伝によれば
 『イエスは弟子たちとともに山を降りられ、平らな処にお立ちになった。多くの人々がイエスの教えを聞こうと、また病気を治してもらおうと集まってきた。
 イエスは弟子たちを見ていわれた。
  ①貧しい人々は幸いである。神の国は貴方がたのものである。
  ②今飢えている人々は幸いである。貴方がたは満たされる。
  ③今泣いている人々は幸いである。貴方がたは笑うようになる。
  ④人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、貴方かたは幸いである。その日には歓び踊りなさい。天国には大きな報いがある。
  ⑤富んでいる貴方がたは不幸である。貴方がたはもう慰めを受けている。
  ⑥今満腹している人々は不幸である。貴方型は飢えるようになる。
  ⑦今笑っている人々は不幸である。貴方がたは悲しみに泣くようになる。
  ⑧すべての人に褒められるとき、貴方がたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちは同じことをしたのである』
とあり、イエスは山を降りて弟子たち(ひいては群衆)に説かれたとあり、その内容もニュアンスがやや異なっている。

 この話はマルコ伝とは別の資料(Q資料)に基づいたものとされ、ルカ伝の方が原資料により近いのではないかともいう。

 マタイ伝にいう山上の垂訓は巷間に有名で、キリスト教倫理の神髄と解されているが、逆説的表現をもって説かれているためわかりにくい。
 一般の解釈では、此の世と天国とでは価値が逆転することを示し、この世の不幸や逆境にある人は神の国では逆に幸福になれる、という精神的な教えという。

 この解釈に対して、、そんな精神的なものではなく、律法を守って倫理的に正しく生活する人々だけが終末のとき神の国に入れるのだという価値観が横行する社会で、今貧しく飢えているがために律法に背かざるを得ず、それによって差別されて泣いている人々の、その辛い現実に抗議する気持ちをイエスが代弁し、そのような現実を逆転させようとする反抗的発言とする解釈もあるという。


山上の垂訓教会・正面 
 
同・側面
 
同・内陣


※古代シナゴーク遺跡
--カペナウム
 ガリラヤ湖畔の町・カペナウムはイエスが布教の拠点とした地で、マタイ伝に「ゼブルンとナタフリの地方にある湖畔の町カフゥルナウムに来て住まわれた」とある“カフゥルナウム”が現在のカペナウムという。

 イエスは此処でシモン(聖ペトロの本名)をはじめ4人の漁師を弟子とし、多くの奇跡をおこなったというが、今、イエス時代のシナゴーク(ユダヤ教の会堂)の上に建てられたという古代シナゴークの遺構と、そに隣接する古代住居跡が残り、住居跡の先、聖ペトロの住居跡といわれる上に教会が建っている。

 イエス当時、ユダヤ教は各地にシナゴークを拠点した宗教活動が活発だったといわれ、通常、そこには賤族のラビ(律法学者)がいて安息日の礼拝を主導するとともに住民の相談にも乗っていたというが、時には遊説のラビあるいは有名なラビを招いて話を聞くこともあったという。

 生まれ故郷のナザレを追われたイエスが当地にやってきたのは、そういった招待を受けたのかもしれない。
 マルコ伝に
  『一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂(シナゴーク)に入って教えはじめられた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである』
とあるように、イエスは此処カペナウムでは受けいれられ、以来、本格的な伝道活動の拠点としている。

 古代シナゴーク遺跡は、半ば壊れた石積みの壁に囲まれた中に柱列・建物基礎などが残っているだけで、全体像は掴みにくい。


古代シナゴーク遺跡(左図の左部分) 
 
同・拡大

 
シナゴーク部分
発掘地図

◎古代住居跡
 古代シナゴーク遺跡に隣接して、発掘された【古代住居跡】が残っている。建物の基礎などが雑然とあるだけで、どんな建物だったかは不明。
 ただ、道ばたに展示された古代住居の軒飾りにいろんな文様が彫りこまれており、それ相応の家があったことが示唆され、その中にダビデの星をモチーフとした文様もあり、この遺跡の古さを示唆している。


古代住居跡
(奥にシナゴークが見える) 
 
発掘地図
(上:住居跡、下:ペトロの家跡)

軒飾りの文様 

◎聖ペトロの家
 シナゴーク遺跡から古代住居跡をはさんだ先に【聖ペトロの家】という遺構があり、その上に、教会らしき建物が建っている。 横から見ると平たい形で古代船を模したものということから、漁師であった聖ペトロを記念した教会と思われる。
 
 イエスは、ここカペナウムでペトロ以下の人々を弟子にしたとあり、マルコ伝には
  『イエスは、ガリラヤ湖の畔を歩いておられたとき、シモン(聖ペトロの本名)とその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。
 イエスは、「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」といわれた。二人はすぐに網を捨てて従った。
 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが網の手入れをしているのをご覧になると、彼らを呼び寄せられた。二人はイエスの後について行った』
とある。

 イエスの頃、この辺りには多くの漁師が住んでいたといわれ、ガイドによれば、ペトロは彼らを束ねる仕事、わが国でいう網元だったのではないかという。

 今残るペトロの家跡という遺構は八角形で、その周囲を小部屋や通路が囲んでいる。
 この一画がすべてペトロの住居跡とすれば、古代住居跡にみる一般住居跡より大きくペトロが有力者だったことは確かと思われるが、現地での伝承というだけのようで、聖書には何も記されていない。


古代住居跡と会堂 
 
聖ペトロの家跡 
(この上に教会が建っている)

 古代にあって、魚は生命の起源である水中に生きていることから、豊穣とか稔りの象徴とされたという。
 イエスはペトロたちを弟子にするとき、「人間をとる漁師にしよう」といっている。教条的には、“迷える人間を漁(スナド)る先達になれ”ということだろうが、生命を象徴する魚をとることを仕事としていた漁師たちには相応しい転身かもしれない。

 またキリスト教では、魚を以てイエス・キリストの象徴としている。それは、ギリシャ語の魚・イクトゥスIchthurが「イエス・キリスト、神の子、救い主」を意味すると解されたからという。
 よく十字架の左右に上と下を向いた魚が描かれているが、下向きの魚は、下界の物質世界によって精神が惑わされていることを示し、上向きのそれは、迷える精神が神のもとに帰っていく様で、受肉と受難のあと昇天したイエス・キリストを表すという。2匹の魚を左右逆に上下に並べたものも同じという。

◎聖ペトロ

 会堂の前に、左手で杖を突き、右手には大きな“鍵”を持つ、等身大以上の【聖ペトロの像】が立ち、その右足下には大きな魚(ペトロの魚)が見える。

 この鍵は、マタイ伝にいう
  『イエスが「貴方は、私を何者だというのか」と問うたとき、ペトロが「貴方はメシア、生ける神の子です」と答えた。
 するとイエスは「貴方はペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。・・・私は貴方に天国の鍵を授ける」と答えられた』
によるもので、鍵を持つペトロ像は各地でみることができる。

 勿論、実際に鍵を渡したのでなく、ペトロがイエスの後継者として教会およびキリスト教徒を導けという意味だろうが、これを根拠に、ペトロはキリスト教世界(カトリック)で絶対的な力をもち、初代教皇として尊敬されることになる。

 ペトロはイエスの最初の弟子であり、弟子たちの中心として最後までイエスに従い、イエス刑死後も、初期キリスト教の最高指導者として、ユダヤ人を対象とした布教活動に従事するとともに、異邦人への布教をもはじめたという 

聖ペトロ像

 ペトロは、ローマ・ネロ皇帝の頃、パウロとともにローマで殉教したといわれ、その墓の上に建つのがバチカンのサン・ピエトロ教会という。

 ガリラヤ湖を訪れる観光客には、ほとんどの場合【ペトロの魚】という料理が供される。聖ペトロ像の足下に見える魚がそれで、マタイ伝には
  『収税者がペトロの処へやってきて、「貴方の先生は神殿税を納めるのか」と問うた。
 神殿税について、イエスがペトロに「地上の王は、税や貢ぎ物を自分の子供たちから取るのか、他の人たちから取るのか」と問うたところ、ペトロは「他の人たちからです」と答えた。
 これを受けてイエスは「では、子供たちは納めなくてもよいわけだ(イエスは神の子だから父である神に捧げる神殿税を納める必要はないという意味か)
 しかし、彼ら(収税者)を困らせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。そして最初に釣れた魚の口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それをとって私と貴方の分として納めなさい」といわれた』
とある。

 この魚はスズメダイの一種・イズミダイといわれ、この魚は、孵化した稚魚を雄が口の中に含んで育て、稚魚が大きくなると口に入らないように川底の石をくわえる習慣があるという。
 マタイ伝の話は、この習慣を受けた話で、神の計らいで小石が銀貨に変わっていたということであろう。

※ダホール山

 ダホール山(右写真)は、ナザレの東約9km、ナザレとガリラヤ湖とのなかほどに位置する。そう高くはないが、イスラエルでは珍しく緩やかな裾をひく姿のよい山で、道路を走っていてよく見える。

 この山は“変貌の山”と呼ばれるが、これは、マルコ伝にいう
  『イエスがペトロ・ヤコブ・ヨハネの3弟子を連れて高い山に登った。彼らの目の前でイエスの姿が変わり、着ている服が真っ白に輝いた。
 そして(預言者)エリアがモーゼとともに現れてイエスと語りあった。・・・

 すると雲が現れて彼らを覆い、雲の中から「これは私の愛する子、これに聞け」との声が聞こえた。
 弟子たちは辺りを見回したが誰もおらず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた』
との話によるものという。

 この話は、モーゼの十戒受領に重なるという。
 イエスが連れていた3人の弟子とは、モーゼに従ったアロン以下の3人に相当し、モーゼが雷光に包まれたようにイエスは光に包まれたのだが、これは栄光に包まれた神の顕現を示すという。
 また、モーゼとエリアが現れてイエスと語ったのち雲の中に消えたことは、旧約の世界が終わり、イエスとともに新約の世界が到来したことを示し、雲間から聞こえた“イエスに聞け”という神の声がその証だという。
 いま山上には、これを記念する“変貌の教会”が建てられているという。

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