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カナンの大地
イスラエル旅行記・抄
                                                         2006.08訪問 2014.11記

 8年前、イスラエルを旅してきた。以下は、一介の旅行者としての異教徒(一神教教徒ではないという意味)が見聞し感じたことを記した旅行記からの抄出である。

※カナン
 イスラエルの地は、古く『カナン』と呼ばれていた(創世記)。通常は、地中海東部の沿岸部とヨルダン川にはさまれた南北に長い土地を指し、そこには今のイスラエル全土が含まれるが、より古くは、エジプトから小アジア間の東地中海沿岸一帯を指したという。
 この地は、メソポタミアから伸びる所謂“肥沃な三日月地帯”の西南部に位置し、地中海からの水蒸気が東へ進み、山地に当たって季節的な雨を降らせるという地形から、周辺の砂漠地帯に比べて比較的肥沃であったため、『乳と密の流れる土地』(出エジプト記)とも呼ばれた。
 因みに、カナンとは“パープルの国”の意で、この辺りから算する貝から絞り出される貴重な紫色の染料・パープルに由来するという。

※イスラエル
 イスラエルという呼称は、旧約聖書(以下、旧約という)に記す、父祖・アブラハムの孫・ヤコブが、母親・リベカの里からレアとラケルの姉妹を妻として娶って帰る途中、夜中に現れた神と夜明けまで格闘して負けなかったため、神から
 「お前は、これからイスラエルと呼ばれる。お前は神と戦って勝ったのだから』
として、新しい名・イスラエルを与えられたという伝承(創世記32-29)からくるもので、
 ある特定の地域を指す地名というより、唯一神ヤハヴェ信仰に立脚した民族集団、所謂“イスラエル12部族集団”を指す呼称というニュアンスが強い。

 旧約でのイスラエル人は“ヘブライ人”・“ヘブル人”とも呼ばれている。ヘブライあるいはヘブルとは「ユウフラテス川の向こうから来た者」を意味し、イスラエル人がユウフラテス川上流部からカナンの地にやってきた“寄留者”であったという伝承による呼称ともいえる。
 イスラエルという呼称が、選民としての自覚に基づく神聖な名称としてイスラエル人自らが唱えた呼称であるのに対して、ヘブライとは、他民族によって呼ばれた一種の侮蔑を込めた世俗的な名称ともいえる。

 また“ユダヤ”という呼称がある。今、ユダヤ人・ユダヤ教など民族や宗教を指す呼び名として一般に使われているが、これは、ソロモン王逝去後の南北分裂によって成立した 南のユダヤ王国(BC928--586)からくるもので、特にバビロン捕囚からの帰還(BC938)以降のイスラエル人を指すともいう。
 地域名というより、唯一神ヤハヴェを奉じるユダか教徒を指す民族的・宗教的呼称というニュアンスが強い。

※パレスチナ
 旧約には、イスラエルという呼称は登場するが、パレスチナという呼び名は出てこない。
 パレスチナとは、紀元前12世記頃、カナン海岸平野の南部(現在のガザ地区の一部)に住みついた海の民の一部族“ペリシデ人”に由来する呼称で、ユダヤ戦争で勝利したローマ人が、この地を“ペリスティム”(ペリシデ人の地)と呼んだことに始まるという。ユダヤ人民族の抹消を謀るローマが、片隅に残っていたペリシデという他民族の名を以て地域名としたという。
 パレスチナの範囲はカナンと略同じだが、やや広いともいう。

 第一次世界大戦後、この地を委任統治したイギリス(1920--48)が、この地をパレスチナと呼んだことから一般化したもので、その意味では、パレスチナ人という民族はいない。
 今、パレスチナ問題の一方の当事者であるパレスチナ人は、この地に居住する、あるいはこの地から追われて難民化したアラブ人を指す。

※地勢
 地中海の東奥部に位置するパレスチナは、西側を海、東を砂漠にはさまれた南北約240km、東西約130km(最広部)の細長い地域で(約2.2万平方キロ、わが国の四国程度)、大きくみて、西から南北に並ぶ
 ・東地中海沿岸地帯
 ・ヨルダン川西方の山岳地地帯(中央丘陵地帯・標高1200--820m)
 ・ヨルダン川地溝地帯(ガリラヤ湖:海面下212m、死海:同392mを含む)
と、その南のネゲブ砂漠地帯
という4っの地域に別けられる。ヨルダン川東部の山岳地帯はヨルダン領。

 この地は、古代2大文明の地エジプトとメソポタミアをつなぐ陸橋部にあたるため、紀元前3000年の昔から両地域を結ぶ交通路が発達していた。史上有名なのが西部の沿岸平野を縦走する“海の道”と、東部山岳地帯を通る“王の道”で、その為、古代オリエントに覇を唱えようとする勢力にとって、この地は絶対に押さえねばならない戦略上の要衝であり、逆にいえば、そこに住む人々にとっては、それら大国の覇権抗争に巻き込まれて翻弄される悲劇の地でもあった。

※荒野
  イスラエルは、国土の6割が砂漠・荒野だという。その典型が南方に広がる『ネゲブ砂漠』だが、今回の旅ではそこまでは行っていない。

 しかし、北のガリラヤ地方から南下し、死海のあたりまでくると、道の右手(西側)に岩山が現れてくる。パレスチナ中央部を南北に走る山岳地帯の東側斜面である。
斜面といっても、処によっては急峻な崖が湖岸道路のすぐ際まで迫り(右写真)、それが南に行くほど険しくなり、そのままネゲブ砂漠へと続いている。
◎ロトの妻の岩
 死海の南端近く、道沿いの崖の上に『ロトの妻の岩』と呼ばれる岩の柱が立っている。 
 旧約に残る“ソドムの滅亡”(創世記18・16--19・29)の舞台である。
 神が罪深き人々が住むソドムとゴムラの町を、天からの硫黄の火をもって焼き滅ぼしたとき、唯一の義人・ロト一家は神の命で山の逃れたが、妻だけは「後を振り向くな」という神の言葉を忘れて、後を振り向いたために岩の柱にされたという。

 この岩は、崖の切れ目に立つ大きな四角柱で、角錐状の先端部を“振り向いたロトの妻”の顔とみることで、全体を“ロトの妻”とみるのだろうが、由縁を知らないと唯の直立した大岩でしかない。
 何処にでもある名所縁起だが、その道具立てが大きいだけともいえる。
 

 アブラハムの甥・ロトが伯父と別れたとき、「ヨルダン川流域の低地は、見渡す限り主の園のように潤っていた」(創世記13-10)とある。その昔、この辺りにソドムの町があったとすれば、南湖の辺りは沃野だったのかもしれない。
 しかし今、この辺りの岩山は、一見したところでは赤茶けた普通の岩山だが、ほとんどが岩塩から成っており、崖裾一帯に転がる岩塊を割ると青白い岩塩の塊が出てくる。

◎シンの荒野
 死海南端から西南へ約80km行ったところに『シンの荒野』と呼ばれる荒野がある。
 赤茶色・焦茶色・濃青色・灰色・薄紅色などが折り重なった荒々しい山肌が広がっている。雨期のみに水が流れる“ワジ”(涸れ川)沿いには、背の低い灌木らしいものが見え、多少なりとも地下水があることを思わせるが、そこに生き物は生きているのだろうか。

 1000mを越える高山は別として、山といえば緑の樹木があるのが当然という環境に住む我々にとって、一本の草木も見えない広漠たる荒野は、壮大というより異様な感じで迫ってくる。
 もし、この景観を冴えわたる月光の下でみたならば、月光を愛でる詩情より先に、何ともいえない鬼気が迫ってくるであろう。
 我々は自然の中に生命の息吹を求め、その中にカミを感じるが、荒野にあっては生命はない。そこでは人間が単独で生きていくことは不可能で、集団としての結束と、それを率いる強力なリーダーの存在が欠かせない。
 何もないところで生きていく縁(エニシ)を求める人間の弱さ(あるいは強さ)、そこから唯一神信仰が生まれたのかもしれない。
 南のネゲブ砂漠では、これ以上の荒漠とした荒れ地が広がっているという。

     

◎ベエル・シェバ
 シンの荒野から50kmほど北に『ベエル・シェバ』との町がある。
 砂漠にあって、人々の生命(イノチ)の綱である水(井戸)のあるオアシス・隊商都市で、ベエル・シェバとは“誓いの井戸”あるいは“七つの井戸”を意味するという。
 この町の歴史は古く、紀元前4000年の昔に遡るといわれ、旧約では、イスラエル人の父祖・アブラハムが一時期留まり、その子・イサクが拠点とした町とされる。

 ベエル・シェバの由来について、創世記(21.-22)は次のように記している。
 「(ゲラルの王)アビメレクとその軍隊の長ビコルは、アブラハムの処へやってきて言った。『神は貴方が何をなさっても貴方と共に居られます。どうか、今ここで私と私の子・孫を欺かないと 神にかけて誓ってください。私は貴方に友好的な態度をとったように、貴方も、寄留しているこの国と私に友好的な態度をとってください。
 アブラハムは答えた。『よろしい、誓いましょう』と。 そして羊と牛の群れを連れてきてアビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。
 アブラハムは更に、羊の群れから七匹の子羊を別にしたので、アビメレクは尋ねた。『この七匹の雌の子羊を別にしたのは、何のためですか』。
 アブラハムは答えた。『私の手からこの七匹の雌の子羊を受けとって、私がこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください』。
 それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである」

 これは、勢力を強め、単なる居留者の域を超えつつあったアブラハムと、その土地の有力者との間に交わされた一種の不戦協定で、そこには、特別に子羊を贈ることで、自分が掘った井戸の所有権、即ち居住権(所有権ではない)を認めさせようとするアブラハムの意図が示されている。

 現在の町は、第三次中東戦争後に移住してきたユダヤ人が主となって建てた町で、その町外れの四方を壁で囲まれて数本のナツメヤシが茂る小さな広場の真ん中に、『誓いの井戸』と称する井戸が残っている。
 精巧な模様の金網の蓋が被さり、周りを同じような金属製の柵で囲った井戸で、これが、アブラハムが誓いを交わした井戸だという。
 以前は壁などなく、昔の面影を偲ぶことが出来たというが、今では、すぐ隣まで迫った民家群の片隅に埋もれてしまっている。

 
誓いの井戸・全景
(右手のアーチ内にも井戸があった)
 
誓いの井戸
 
古代の井戸・想定図

 反対側の壁際のアーチをもつ煉瓦造の中にもう一つの井戸があり(空井戸)、その前に二つの円形枠を組み合わせた釣瓶(ツルベ)らしき遺構がある。何時の時代のものかは不明で、誓いの井戸との関係も不明。

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