トップページへ戻る

クムラン遺跡
                                                        2006.08訪問

 クムラン遺跡は、死海西北端の沿岸から約1kmほどの荒漠たる山裾のやや平たい岩地に位置する。すぐ目の前に死海が臨まれる。

 旧約では、イスラエルの民のカナン侵入後、各部族が定着する土地を籤引きで決めたとき、ユダ部族が引き当てた荒野のなかの6っの町の一つ『イル・メラ』(塩の町)がクムランだという。

※死海文書
 この荒々しいクムランの荒野を有名にしたのは、この地から発見された『死海文書』(クムラン文書ともいう)である。

 1947年、群れから離れた山羊を捜していたベドウィの少年が、洞穴のなかから幾つかの壺に入った羊皮紙の巻物7巻を発見し、それがイザヤ書全巻の完全写本を含む聖書関連古文書であったことから、世紀の発見として、全世界の聖書学者たちの注目を浴びることになった。

 その後、1952年からはじまった専門家たちによる調査の結果、11ヶ所の洞穴から、紀元前3世紀から前1世紀にかけての旧約各書の写本約600点が発見され、これらは現存する聖書関連史料では最古のものという。

 右写真の中央上部に見える小さな黒い穴が、死海文書発見の洞穴だという。


死海文書発見の岩山

 死海文書は、おおきく4っの文書群に分類される。
 ①旧約聖書正典の写本(断片を含む)--エステル記を除く旧約各書の写本、
   特にイザヤ書写本は全編がほとんど完全な形で出土し、その内容は、小さな違いはあるものの現行のイザヤ書とほとんど一致しているという。
 ②旧約典外書の写本--正典からはずれた外典(ゲテン)・偽典(ギテン)などの断片
 ③旧約註解書--死海文書を残したクムラン教団の教義にもとづく聖典の注釈書
 ④教団関係の宗教文書--教団の目的・教義・組織・戒律などを記した文書、
   なかでも、大祭司に率いられた光の子等が、異教徒(闇の子)と戦う聖戦を記した「光の子等の闇の子等に対する戦いの書」は、彼らの終末観とメシア待望感を表す史料だという。

※クムラン遺跡
 文書が発見された洞穴のすぐ南にある廃墟『ヒルベト・クムラン』が、死海文書を残したユダヤ教の集団“クムラン教団”が共同生活を営んだ跡という。 

 発掘調査によれば、紀元前8世紀に遡る最下層はユダ王国滅亡時(BC586)に破壊され、現在みられる遺跡は、クムラン教団が世俗を離れた共同生活のために建設した施設の跡で(BC150年頃)、広さは南北約100m、東西約80mという。



クムラン遺跡・模式図

 遺跡は、石積みの壁で囲まれた小部屋の集合体で、聖書を書き写した写字室を中心に、書庫・広間・共同食堂・物置など生活全般にわたる施設が認められるというが、無知な旅人には区別できない。
 ただ、水路で結ばれた水槽が数カ所設けられ、山に降った雨露を一滴残らず水槽に導く精巧な水路装置が目をひくが、これとても、説明があってのことではある。

 この遺跡は、紀元前1世紀前後に最盛期を迎えるが、ユダヤ戦争時(132--134)にローマ軍によって完全に破壊されたという。

     

 彼らが、共同体崩壊の直前に近傍の洞穴に隠した聖典写本類が死海文書である。
 戦乱を避けて手持ちの聖典類を洞窟等に隠した例として、敦煌・莫高窟がある。莫高窟から発見された仏典古文書・敦煌文書も又、西夏侵入の混乱時に隠したものといわれ(反故になった経典・文書などを廃棄したものともいう)、仏教東遷時の研究に大きく貢献したというが、それと同じように、死海文書も又イエス登場前夜のユダヤ教研究に大きく貢献したという。

※エッセネ派クムラン教団
 アレクサンドロス後のパレスチナは、まずプトレマイオス朝エジプト(BC301--200)の、次いでセレウコス朝シリア(BC198--142)の支配下に入るが、それは単に政治的な支配・隷属というだけでなく、それまでのヘブライズム(ユダヤ文化)とは異質のヘレニズム(ギリシャ文化)という新しい宗教・哲学・風俗などの流入であった。

 このヘレニズムとヘブライズムの確執のなか、ヘレニズム文化を推進しようとするセレウコス朝に抵抗してユダヤ人がおこしたのが“マカベアの乱”(BC167--164)である。
 戦いのきっかけは、セレウコス朝アンティオコス四世によるユダヤ教弾圧(律法書焼却・安息日・割礼の禁止など)と異教祭祀の強要(異教祭壇の設置・エルサレム神殿への異教化など)といわれ、これに反抗したエルサレム西方の小さな村に住む祭司一家ハスモン家が、異教祭祀への犠牲奉献を強要した役人と、それに応じたユダヤ人を殺し、一家をあげて荒野に逃れて抵抗運動を企てたことに発したという。

 マカベアの乱はユダヤ側の勝利で終息するが、その結果、ユダ王国滅亡以降約450年ぶりにユダヤ人の独立国家・ハスモン王朝(BC142--63)が創立され、抵抗運動の指導者として反乱を主導したハスモン家が政治的・宗教的権力を掌握はたという。

 マカベアの乱からハスモン王朝へすすむこの時代は、一面では、ヘレニズムという汎世界的普遍文化の潮流のなかで、ヘブライズム(ユダヤ教)という独自文化を如何にして守り抜くかという葛藤の時代で、その中から、ユダヤ教のなかに幾つかの分派が現れてくる。
 大きく『サドカイ派』と『ファリサイ派(パリサイ派ともいう)』・『エッセネ派』である。

 サドカイ派とは、祭司階級や富裕階級の人々を中心とする宗派で、神殿における祭祀を宗教生活の中心として重視し、成分律法(モー五書)のみを認めるといった、伝統的・保守的傾向が強く、当時広まりつつあった死者の復活・最後の審判といった新しい思想を否定したという。
 政治的には現実主義、悪くいえば迎合的・日和見的で、マカベア戦争では体制寄り(セレウコス朝寄り)であったというが、彼らは神殿中心・神殿祭祀中心であったため、第一次ユダヤ戦争でのエルサレム神殿崩壊とともに、霧散消滅したという。

 ファリサイ派とは、律法を自律的に解釈する律法学者(ラビ)たちを中心に、一般大衆や一部の祭司などを幅広く巻き込んだ宗派で、宗教的には不浄(障害者・病者など)あるいは不敬虔な人々とは一線を画していたという(これらの人々の救済を説いたのがイエスといえる)
 彼らは、神殿祭祀を重視し律法を厳守することではサドカイ派と同じだが、本来なら祭司のみに要求される厳格な祭祀的清浄さを一般人にも要求し、又、有力ラビによる律法解釈(口伝律法)を成分律法と同等の権威あるものとして認めていたという点で革新的であり、天使や死後の復活・死後の審判といった思想も受けいれていたという。
 エルサレム陥落前後に地方へと移り、シナゴークを中心とした律法の研究・集大成に尽力していったといわれ、現在のユダヤ教は、この流れをひいているという。

 エッセネ派とは、ファリサイ派よりも更に厳格な律法遵守と独特の清浄規定によって結ばれた閉鎖的・秘教的な結社で、財産の共有制にもとづく自給自足的な規律正しい共同生活を営んだという。
 この宗派のなかには、市中での生活を放棄して人里離れた荒野に隠遁し、外界との交わりを絶って自分たちだけで修道院的な禁欲生活を営むものもあったという。

 その一つが“クムラン教団”で、彼らはエルサレムで当時おこなわれていた神殿祭祀と、それを執行するハスモン家出身の大祭司を非正統として拒否し(ハスモン家は大祭司に就ける家系ではなかったという)、神がモーゼをはじめとする代々の預言者をとおして命じた律法と預言に従うことを自ら誓った人々で、人里離れた荒野にあって、共有財産制・独身主義を掲げ、律法や預言書の学習・安息日の遵守・沐浴・規律に基づいた日課(労働・礼拝・祈禱など)といった厳しい内部規定に従った自給自足の生活を営んだという。

 また彼らは、東方世界のゾロアスター教に起因する善悪二元論の影響をうけ、自らを、来たるべき終末の日に神の軍勢とともに“闇の子”と戦う“光の子”であるとの自覚のもと、日々の律法学習・修行に励むとともに、メシア(救済者)の早期到来を待望したともいう。
 彼らは、ローマ軍との戦いを“光の子”と“闇の子”との間での終末戦争と理解し、第一次ユダヤ戦争時に反乱軍に加わって破れ、教団も崩壊したと思われている。
 (イエス登場前に「神の国は近づいた、悔い改めよ」と説いた洗礼者ヨハネは、このエッセネ派に属したか、より近い立場にあった人物といわれ、当地でも修行したともいう)

※死海写本館--エルサレム
 クムランで発見された死海文書を展示・収蔵する博物館で、真っ白で円形の中央に突起のある本館は、横から見ると甕の蓋を象るというユニークな姿をしている。
 円形の展示室は、照明を落として洞窟の暗闇をイメージし、その中央一段と高くなった円筒形コーナーの周囲に、幅30cmほどの羊皮紙にヘブライ語でぎっしり書き込まれたイザヤ書全巻(コピー)が展示され、通路をはさんだ壁側には各種写本類の残欠などが展示されている。

 写本館本館の少し離れたところに、本館に向き合う形で真っ黒な長方形の建物が建っている。何らの装飾も、窓すらない唯真っ黒い板状の建物が、真っ白い円形の本館とユニークなコントラストを呈して対峙している。

 この二つの建物は、東洋思想だと“天と地”(円-天、方-地)をあらわすが、ここでは、クムラン集団の教義の一つ“光の子と闇の子”を象徴するものという。
 勿論、白が光の子(善)・黒が闇の子(悪)であり、この世は光(善)と闇(悪)との絶えざる葛藤からなるというゾロアスター教の教義に、多大な影響をうけたというクムラン教団の思想をあらわす対峙といえる。

 
写本館・本館
 
同・白と黒の対峙
 
イザヤ書写本

トップページへ戻る