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イスラエル/マサダ要塞
                                                                  2006.05訪問

 イスラエル東部、ヨルダンとの国境が通る死海は、その南1/3付近で大きくくびれている。
 マサダ要塞は、そのくびれ部西岸に位置し、永年の浸食で削り取られた孤立峰の頂にある。マサダは勿論その周りも緑一葉も見えない赤茶けた荒野である。死海からの高さ約400m、その頂は南北に長い不整形な菱形で南北約600m東西約300m(中央部)の台地となっている。この台地がマサダ要塞跡である。マサダという地名そのものが“要塞”の意味をもつというが、文字通り天然の要害である。

 マサダは、旧約聖書にも要害の地として登場する。
サムエル記に、『(その能力と人望を嫉妬するサウル王に追われる)ダビデは荒れ野のあちこちの要害に留まり、またジフの荒れ野の産地に留まった』とある“ジフの荒れ野”が、マサダだという。3000年も前から要害の地として知られていたのである。

 この地にはじめて要塞を築いたのはハスモン家のアレクサンダー・ヤンナイウス(BC103〜76)で、後にヘロデ王(BC37〜4)が改修・強化して、万一に際しての避難所とした(ヘロデ自身は一介も使っていない)。今に残る遺構は、ビザンチン時代の小聖堂を除いてほとんどがヘロデ時代のものである。

 死海西岸に続く岩山からやや離れて孤立するこの要塞を、かつてのユダヤ戦争を記念する聖地としているのは、第一次ユダヤ戦争におけるエルサレム陥落(AD70)後、ユダヤ戦争の仕掛け人でもある熱心党の一団がここに立てこもり、一万人ともいわれる圧倒的なローマ軍を相手に3年にわたって孤軍奮闘の末、967人全員が集団自決したことによる(AD73)
マサダ・全景
マサダ・全景(資料転写)

 そのとき、指揮者ベン・ヤイルは、
『高邁なる友よ、われわれはずっと以前に、決してローマ人の召使いにも、また唯一の真にして義である神ご自身以外の何人の召使いにもならないと決心したのである。それ故に、今こそ、この決意を実行に移して真なるものとすべき時がきた。・・・糧食の他は何も残さずおこう。何故なら、われわれが必需品の欠乏で敗れたのでなく、最初からの決意によって、奴隷よりも死を選んだことを証してくれるのだから』と呼びかけたという(ヨセフス「ユダヤ戦記」)。ヨセフスによれば、生き残ったのは、たまたま水汲みに行っていた2人の女性と5人の子供だけだったという。

 ただ、集団自決とはいうものの、実際に自決したのはベン・ヤイルのみで、他は他人による刺殺である。ユダヤ教では、神から与えられた命を自ら絶つことは許されざる罪であり、他人を殺すことも同じである。伝えるところでは、兵士たちはまず己の家族を殺し、次ぎに籤で選ばれた10人が他の兵士を殺し、ベン・ヤイルがその10人を殺し、最後に自決したという。そのときベン・ヤイルは、他者を殺した兵士たちの罪はすべて自分が被る、と兵士たちの罪についての神の許しを請うたという。

 今ではロープウェイに揺られること数分で頂上に達するが、古くは死海側の急峻な斜面に九十九折りの細い路(蛇の路、約3q)があっただけとかで゜、その痕跡は今でも見ることができる。

 今に残る遺構のほとんどはヘロデ時代のもので、北側の崖面に「ヘロデの北宮殿」と呼ばれる遺構が突き出している(遺跡西寄りにも宮殿跡がある)。北宮殿は3段構えで、長方形宮殿と半円形テラスを組み合わせた上段、円形の中段、正方形の下段に別れている。斜面沿いに残る急峻な九十九折りの階段をつたって中・下段宮殿に行くことができるが、何故このような不便な場所に宮殿を造ったのかは不明。
 宮殿跡から見る北に広がる荒野の展望は、絶景というか壮絶というか、ただ荒涼たる風景が広がっている。

マサダ・ヘロデの北宮殿・模型
ヘロデ北宮殿・模型
マサダ・北側への展望
北宮殿上からの眺望
中段(円形)下段(正方形)宮殿の
一部が見え、その先に荒野が広がる
マサダ・ヘロデの北宮殿・側面
北宮殿・側面
中・下段宮殿への階段が見える
マサダ・倉庫跡 マサダ・蒸し風呂跡 マサダ・要塞遺構
 マサダ遺跡には北側を中心に、倉庫跡(左写真)・住居跡・監視塔・蒸し風呂跡(中央写真)・シナゴーク跡・水槽跡などが、赤茶けた石積遺構として残っている。あちこちに残る上塗りの漆喰痕や、そこに描かれたフレスコ画片などを見ると、結構快適なものだったらしい。

 急峻な死海側に比べて山側(西側)の谷は、やや緩やかで高低差も浅い。ローマ軍がマサダ要塞を攻撃したとき、周囲に包囲柵を設けて外部との接触を遮断し、西側の斜面に攻撃用の斜路を築き、城壁破壊槌を先頭に攻撃を加えたという。今、遺跡西側から覗くと三角形断面をした攻撃用斜路が、麓から頂上の西の門あたりまで伸びているのが見える。ローマ軍特有の物量作戦の跡である。
マサダ・西側斜面
西側斜面と攻撃用斜路跡
マサダから死海を望む
東側展望・遠く死海が見える

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