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ヤハヴェとバアル
カナンの神々

※ヤハヴェ
 ユダヤ教の神は通常ヤハヴェと呼ばれるが、旧約聖書では3っの言葉で表されている。
 【エロヒム】(創世記1-1)・【YHVH 】(同2-4)・【JHVH】(同4-1)がそれであり(ヘブライ語)、邦訳聖書(新共同訳1995)では、それぞれ【神】・【主なる神】・【主】と訳されている。

 神を表す言葉が複数あり、章節によって違った名前で登場するのは、旧約が時代を異にする3っの史料から成り立っているためであり、最も古いのがYHVHを用いるJ史料で(BC10世記以前から9世記頃)、次がカナン地方の神一般を指すエルの複数形を使うE史料(BC8~9世記頃)、最後がエロヒムのみを用いるP史料(祭司史料ともいう・BC6~5世紀頃)という。

 これら3っのうち最も多用されたのがYHVH(=主)であり、旧約では約7000回も出てくるという(新約ではすべて“主”とある)
 ただ、古代ヘブライ語には母音がないため、子音のみで構成されるYHVHを、古代イスラエルで、これをどう呼んだのかはわからないという。
 神を冒涜するとして、その名を直接口にしなかったために、その本来の呼び方が次第に忘れられたのかもしれない。

 また、出エジプト記で、神の召命をうけたモーゼが神に名を問うたとき、神は『私は“ある”というものだ』と名のっている(3-14)。これは、「私は(事物を)存在せしめる基になる者」あるいは「私は創造者」という意味で、YHVHはこれに当たると解釈されている。
 本質的に存在する者は“ある者=YHVH”のみであって、他はすべて神による天地創造によって造られたものだという解釈に因るものであろう。

 今、YHVH本来の発音は“ヤハヴェ”だとされているが、以前は“エホバ”と呼ばれていた。
 しかし、正統派ユダヤ教徒はヤハヴェともエホバとも呼ばず“アドナイ”と呼ぶという。アドナイとは“ご主人様”・“旦那様”といった相手を尊敬して呼びかける普通名詞であり、ここでは“私の神”という意味だという。

 【エロヒム】とは、セム語で「神」を意味する普通名詞“エル”の複数形で、それはまた、古代カナン地方の万神殿(パンテオン)の主神“エル”でもあるという。
 紀元前2000年紀末葉のウガリット文書(シリア北西部出土の粘土板文書)によれば、エルは造物主・王・神々と人類の父などと呼ばれる最高神で、女神アシェラとの聖婚によってバアル・ヤム・モトといった神々を生んだが、子神バアルにすべてを任せて引退したという。
 この記述は、カナンの地にヤハウェ信仰が登場する前に、エルを主神とする多神教的宗教が存在していたことを示しているといえる。

※バアル
 旧約にあって、ヤハヴェが憎悪し、その絶滅を図ろうとするのが“バアル神”であり“バアル信仰”であった。
 『私をおいて他に神があってはならない』(出エジプト記・20-3)というヤハヴェにとって、イスラエルの民がバアル信仰に染まるのは許すべからざる背信であり、その民をバアル信仰へと誘惑する者たちは殺されるべきであった。
 申命記は
 『貴方たちは、貴方たちの神・主に従い、これを畏れ、その戒めを守り、これに仕え、これに付き従わなければならない。・・・貴方の兄弟・息子・娘・妻たちが、「貴方の先祖も知らなかったバアルに従い、これに仕えようではないか」と密かに誘われても、その神が近隣諸国の民の神々であっても、遠い国の神であっても、誘惑する者に同調して耳を貸したり、同情したり、かばったりしてはならない。このような者は必ず殺されねばならない』
といっている(15-5・7)

 ヤハヴェが憎悪するバアルとは、カナン・パンテオンの主神エルと女神アシェラの息子で、父神エルを引退させ、若い神々の首座に就いたという。
 本来は“嵐の神”であって、雷鳴をとどろかせ、稲妻を伴う雨を降らせる“豊穣の神”でもあり、イメージとしてはわが国において豊穣をもたらす神として崇敬・畏怖された雷神に相当する。

 バアル神話は、そのほとんどが兄弟神ヤムとモトとの闘争で占められている。
①パンテオンの首座に就いたバアルは、まず、その地位を取って代わろうとするヤム(七つの頭をもつ海竜で、海を荒れ狂わせ、地上に洪水をもたらす悪魔)と戦わねばならなかった。
 ヤムは、父神エルに強制してバアルの王権を横取りしようとするが、それを知ったバアルは激怒して激しくヤムを打ちのめし、止めを刺し、その肢体を切り刻んでまき散らす。
 バアルとヤムの闘争とバアルの勝利は、宇宙に秩序をもたらす周期的な雨が、原初の海で表される混沌(カオス)や地上に破局をもたらす洪水に取って代わったことを意味し、バアルの勝利によって、四季の秩序と安定がもたらされたことを意味する。

②第二の戦いは、大地に旱魃をもたらす灼熱の神であり、冥土の神・死の神でもあるモトとの闘争であり、これが神話の主題でもある。
 戦いは、バアルが貪欲な怪獣(モト)に飲み込まれるところから始まる(粘土板が欠損していて、これに到る経緯は不明)。この時、バアルは何故か恐怖に打ち負かされ、抵抗もせずに屈してしまう。モトは、うまそうにバアルを噛み砕き飲み込んでしまう。
 バアルが死んで姿を消すと、大地はからからに干上がり、草木は枯れ果て、豊かな牧野は忽ちに荒野へと変わっていく。

③死んだバアルを蘇生させようと奔走するのが、バアルの妹であり妻である女神アナトである。
 アナトは地上を彷徨ってバアルを探し求め、亡骸を捜し出すと、盛大な葬儀を催してバアルに栄誉を与える。
 アナトは、モトを捜し出して捕らえ、儀式用の鎌で真っ二つにし、篩にかけ、日にさらし、挽き臼で粉々に潰して撒き散らす。

④モトの死によって、バアルは生きかえり、雨が地上に戻り、バアルとアナトの聖婚によって涸れ谷には密が流れ、大地には緑が蘇ってくる。

⑤しかし、パンテオンの主神であるバアルにあっても、モトを完全に抹消することはできない。
 バアルが全世界の王者であるように、モトは冥界の王であり続け、バアルとモトとの戦いは毎年繰り返され、その勝ち負けによって地上には雨期と乾期が繰り返されていくという。

 旧約で約束の地といわれるカナンの地は、近隣のメソポタミアやエジプトのような大河に恵まれず、ほとんどの水を冬季の雨に頼っている地域である。
 バアルとモトとの争いは、豊穣神の死と再生のドラマで、それは季節の循環のドラマでもある。そこでのバアルは雨期を象徴し、モトは乾期を表している。

 一年が雨期(冬・10月後半~4月前半)と乾期(夏・4月後半~10月前半)の繰り返しからなるカナンの地では、冬季の雨こそが万物に潤いを源であり、雨期の順調な到来を待ち望む人々の願い、そこから雲・雷・稲妻とともに雨を恵んでくれる嵐の神バアルへの崇敬が生まれたといえる。
 バアルが旱魃をもたらす死神モトと死闘を繰り返し、それに勝利することで、毎年の順調な季節の循環が確保されるのである。

 雨によって象徴される季節の循環は、年々歳々、大地に豊かな稔りをもたらし、家畜の多産という恵みを゙運んでくれる。
 雨の神でもあるバアルが豊穣・多産を司るということは、それが生殖にかかわる神でもあることを意味する。
 そこから、バアルへの祈りは往々にして“性的祭祀”を伴うこととなり、その祭礼の場を恍惚と乱痴気騒ぎへと導いていく。
 それが、ヤハヴェがバアルを嫌った理由の一つでもあったのであろう。

※再びヤハヴェ
 イスラエルの神は、アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神という名で出てくるが、創世記では、普通名詞エルを冠する神、エル・シャダイ(全能の神・17-1)、エル・オーラム(永延の神・21-33)、エル・エルヨーンといった呼称で登場し、これらはすべてヤハヴェを指す。
 これらの名は、ヤハヴェが自らそう名のる場合もあれば、族長たちが呼んでいる場合もあり、それらは又、エル・シャダイがヘブロン、エル・エルヨーンがエルサレム、エル・オーラムがベエル・シェバといったカナン各地の聖所での出来事にかかわって言及されている。
 ということは、カナン各地にいたエルを冠する在地の神を統合した呼称がヤハヴェであるともとれる。
 (イスラエルという呼称にも“エル”が潜んでいるといわれ、イスラエルとは“エル戦い給う”・“エル支配し給う”の意味だという)

 ヤハヴェが自らの名前を明かすのは、モーゼが舅の羊を追ってホケブの山まで来たときで、出エジプト記で
 『私は貴方の父の神、アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神である』(3-6)
と自己紹介し、名前を問うモーゼに対して
 『私は“ある”という者だ』(3-14)
と告げている。この“あるという者”がヤハヴェだというのが定説である。

 ヤハヴェはいろんな神格をもって登場してくる。この世の創造神というのがよく知られているが、ヤハヴェ自身は“妬む神”とも自称している。他の神を崇めるな、吾のみを信ぜよ、ということで、この頃のヤハヴェが神々の中の一柱であったことを示唆している。

 そのヤハヴェは、イスラエル人のカナン進入に際しては、強力な戦闘神へと変身している。十戒で“殺す勿れ”といった神が、異民族を“根絶やしにせよ”と命じている。
 ヤハヴェのいう“殺すな”ということは、己を奉じる人々にのみ通用する戒であり、他には及ぼさないものかもしれない。これが唯一神の怖いところで、この神格はユダヤ教は勿論キリスト教・イスラムにあっても、根底には引き継がれている。

 時代が降るにつれてヤハヴェも倫理的な色彩を帯び、それとともに多種多彩な神格を兼ね備えていく。古い神々の世界で、神々の神格が分業化・細分化していったのとは逆だが、これは、ただ一柱の神がすべてを司ろうとする唯一神信仰の宿命であろう。

 この一文は、8年前のイスラエル旅行に際して、自分の理解できる範囲で書いた紀行文を一部改訂したものである。

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