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日吉大社/東本宮・参詣記
                                                             2009.2.28参詣

 東本宮への参詣は、駅からの参道・日吉馬場の突き当たり、朱色の大鳥居をくぐって右へ(直進すれば大宮橋を渡って西本宮へ至る)、大宮川に架かる『二宮橋』からはじまる。

日吉大社・東本宮・境内図
東本宮・境内図
日吉大社/参道入口の大鳥居
参道入口の大鳥居

※境外摂末社
 二宮橋を渡らずに東へ進み、道なりに左に回り込んだ処に摂社・『産屋神社』、その対面に『大政所』、産屋社の左に『流護因社』、道路をはさんで右に『鼠社』が鎮座している。大政所で山王祭での宵宮祭(ヨミヤ マツリ)が行われることから「宵宮場」とも呼ばれる。

日吉大社・大政所
大政所(宵宮場)
日吉大社・産屋神社
摂社・産屋神社
日吉大社/流護因社
末社・流護因社
日吉大社/末社・鼠社
末社・鼠社

◎産屋神社(ウブヤ、旧称:王子社、摂社、中七社)
 祭神−−鴨別雷神(カモ ワケイカズチ)

 旧社名を王子社というように、オオヤマクヒとカモタマヨリヒメの御子神・王子を祀る小祠。大政所での山王祭・宵宮落とし神事で生まれた御子を祀るから『産屋』と称するともいう。
 祭神・カモワケイカズチとは、タマヨリヒメが賀茂川の上流から流れきた丹塗矢を床においたところ懐妊して生んだという御子神で、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の祭神で雷神。
 当社がワケイカズチを祀るのは、水を司る雷神は山の神でもあることから、山の神・オオヤマクヒの御子神とされたと思われるが、西本宮の顕現伝承に中に、
 「松尾神の娘が流れてきた鏑矢に感応して御子・ワケイカズチを生んだが、その父神は鏑矢となって比叡の麓に達して大宮権現となった」
との伝承もあり(別稿・「日吉大社」参照)、三輪系と賀茂系の二つの伝承が混合している。
なお、産屋神社には末社7祠があったというが、今、残っているのは鼠社と流護因社のみ。

◎大政所(オオマンドコロ、別名:宵宮場)
 正面5間を有する大きな建物で、5間ある社殿内は吹き抜けとなっている。
 当所は、山王祭の行事・“宵宮落とし”の舞台となるお旅所で、資料によれば、4月12日の夜、東本宮・樹下宮・牛尾宮・三宮の御輿4基が山上より当所に担ぎ込まれて壇上に並べられ、同13日、“未(ヒツジ)の神事”などの神事の後、夕刻から“宵宮落とし”の祭祀が行われる。
 そこでは、公人が掲げる大松明の光の中で、大政所壇上での駕輿丁(カゴヨチョウ)によって4基の御輿を上下左右に振り上げ振り下ろす神事や獅子舞・田楽舞などの舞楽ののち、4基の御輿を大政所の壇上から地面に振り落とすという荒々しい神事が続き、落とされた御輿はただちに担ぎ上げられて、先を争って西本宮に担ぎ込まれるという(競争は隣接する鼠社までともいう)
 ここで、御輿を振り上げ振り下ろす所作は、若宮(王子)の誕生を促すとともに出産の陣痛を表し、最後に御輿を振り落とすのは若宮の誕生(ミアレ)を意味するという。宵宮落としとは、いわば山の神の御子神の誕生を現す神事で、これによって東本宮系の神事が終わり、御輿は西本宮へと渡御するという。

◎鼠社(末社、産屋社の末社ともいう)
 祭神−−大国主命

 産屋神社の南側、道路をはさんで鎮座する小祠だが、大樹の下にあって目立たない。また当祠に関する資料は少ない。
 通説として、オオクニヌシが鼠を使獣(ツカイメ)とすることから“鼠”と結びついたというが、オオクニヌシがネズミに助けられたとの神話(オオクニヌシの根の国訪問譚)はあるものの、それほど深い関係ではなく、ネズミを使獣とするのは、オオクニヌシと習合した大黒天である(大国と大黒の音・ダイコクが通じ、共に大きな袋を担いでいる)
 大黒天の原姿は、インド・ヒンドゥーの暗黒神・闘戦神といった恐ろしい神・マハーカーラで、仏教に取り込まれて食生活を保証する護法神へと変貌し、中国で“大黒”(マハー:大・カーラ:暗黒→黒)と意訳されて厨房の守護神として祀られたという。
 わが国では、最澄が中国で寺院の厨房に祀られていた大黒天を招来したとか、最澄が唐から帰朝する折に示現したとかいわれ、比叡山政所の厨房に安置したのがはじまりという。天台宗寺院で厨房の守護神として祀られていることが多く、これが一般に広まり、民家の台所に祀られることが多かった。
 大黒天と鼠の関わりは、大黒天が厨房の神とされたことからのもので、厨房や穀物倉などに跳梁して穀物などを食い破る鼠を、大黒天の神力で押さえこみ従わせてほしいという素朴な願いに発するという。また別説では、マハーカーラは暗黒の神で黒は北を意味し、十二支の子も北を意味するから結びついたともいう。

 ただ日吉社神道秘密記(以下「秘密記」という)には
 「鼠祠(ネズミノホコラ)  是も王子宮末社の内也。子(ネ)之神也。仕者の鼠は本地大日也。御神躰は鼠ノ面、俗形は烏帽子狩衣。
 是を三井寺法師頼豪霊神の由と申すは非説也。昔より之に在りし社也。大宮化現の由也。・・・之を鼠の祠と申す由は非説也。十二支の内、子丑寅の初め子の神也」
とあり、当祠は“子の神の祠”であって“鼠の祠”というのは間違いだという。
 “子(ネ)の神”とは十二支にいう子丑寅の始めの“子”のことで、俗信で、“子”は“鼠”とされることから“鼠社”と呼ばれ、その鼠を使獣とする大黒天が祭神とされ、それが大国主に転じたと考えられる。

 中段に記す“三井寺法師頼豪霊神云々”とは、
 「頼豪は、『山門(延暦寺)の反対で永年の宿願(三井寺での戒壇設立)をとげることができなかった』といって大鼠となり、延暦寺の経典類を食い荒らした。そこで、この鼠を神として奉斎すべしと祠を造って祀ったところ、鼠の騒ぎは静まった。東坂元の日吉社で『鼠の秀倉(ホクラ)』というのが之である」
という説話で、ここでは当祠は“鼠の秀倉”と呼ばれ、そこに祀られているのは三井寺(園城寺)の僧侶・頼豪(1002--84)の怨霊となっている。
 頼豪の怨霊とは、
 「白河天皇の依頼で皇子誕生を祈祷した頼豪が、験あって皇子(敦文親王)が誕生したにもかかわらず、その褒賞として求めた三井寺(園城寺)における戒壇設立を、比叡山延暦寺の反対で実現しなかったため、これを恨んで憤死し、怨霊となって生まれた皇子を取り殺した」
というもので、その後日談が上記の“頼豪がネズミとなって云々”との説話である。
 この説話は、10世紀末頃から長年にわたって争われた慈覚大師円仁系の山門(延暦寺)と智証大師円珍系の寺門(園城寺=三井寺)の確執から発するもので、同趣旨の説話が平家物語・太平記などにも記されていることからみると、当時よく知られていたらしい。

 この頼豪鼠の説話は、上記秘密記や耀天記などで否定され、いずれでも当祠は子の神を祀る祠であると主張されている。子の神とは具体にイメージしにくいが、子が十二支の最初に位置することから、“最初に生まれた御子(王子)”を意味するのかもしれない。

◎流護因社(末社、産屋社の末社ともいう)
 祭神−−護因法師

 産屋神社の右、すこし離れて覆屋の中に鎮座する小祠。前面に石造鳥居あり。
 かつて東本宮東門の前に“護因社”との末社があり、洪水で流されたのを当地に再建した(「流」と呼ぶ由縁)というが、ほかにも奥護因社など護因を名乗る小祠があり疑問。
 “護因”とは、日吉社に奉仕した社僧の名で、耀天記に
 「後三条天皇は24年間も春宮の地位にあって即位は難しいと 思っていた。ある時、“皇位につけるように”という御願書を護持僧・金剛寿院座主覚尋に託して日吉社に行かせた。覚尋は西本宮楼門前で護因に出合い、護因は御願書を預かって神に取り次いだ。それから何年もしないうちに、東宮は即位することができた。感激した天皇はすぐさま日吉社に行幸した。
 護因は、もと西塔西谷の法師で後の樹下宮に奉仕する僧であったが、勘案するに、御願書の有無は誰も知らないはずなのに、御願書を預かり神に取り次いだ護因は、真実の験者あるいは化人であろう」(大意)
との伝承が記されている。
 ここで護因は、神と人との仲立ちをする験者として記されているが、神の声を聞き分けることができる霊能者・憑座(ヨリマシ)が、後に神として祀られたのであろう。

 ただ護因について、
 「死後、しきりに人を悩ましたので、秀倉を造って神として崇めた」
と、鼠の秀倉と同様の伝承も残っている。ただ、どんな理由で怨霊化したのかは不明。
 また秘密記には
 「護因社、僧形 嘴(クチバシ)あり。樹下僧夏堂衆、ス子聖(スネヒジリ)なり。行力巨多なり」
とある。クチバシをもったスネヒジリとは天狗であり、死後、天狗となって人々を悩ましたので、祠を造って鎮魂したのかもしれない。

※二宮橋

 反りの浅い花崗岩製の反橋(ソリバシ)。幅5m・長さ13.9m。最初木橋として架橋され(天正年間1573--92-豊臣秀吉寄進という)、寛文9年(1669)現在の石橋に架け替えられたという。
 今は通行禁止となっていて、境内入るには右手の橋を渡る。

 大宮川に架かる3本の橋(下流から二宮橋・走井橋・大宮橋)を『日吉三橋』と呼ぶ。いずれも重要文化財。
日吉神社・東本堂参道・二宮橋

※二宮橋〜東本宮楼門

◎八柱社
 祭神:五男神三女神  旧称:下八王子社  摂社  中七社
 二股に分かれた参道の間に位置する小祠。参道は左の道に続く。
 旧称の『下八王子社』からみると、八王子山(牛尾山)に祀られる旧称:『八王子社』(牛尾宮に関係すると思われるが詳細不明。
 今の祭神:五男三女神とは、アマテラスとスサノヲとの誓約(ウケヒ)のとき生まれた5柱の御子神と3柱の女神(記紀神話)を指すのだろうが、その神々が当地に祀られる由緒は不明。(別稿・「日吉大社」・牛尾社の項参照)

◎氏神社(旧称:山末社、下七社)
 祭神:鴨建角身神(カモ タケツヌミ)・琴御館宇志麿(コトノミタチ ウシマロ-宇志丸とも書く) 
 参道西側に鎮座する小祠。
 カモタケツヌミとは、京都・賀茂御祖神社の祭神。樹下宮の祭神:賀茂玉依姫(カモ タマヨリヒメ)の父神ということから祀られたのであろう。

 琴御館宇志麿とは当社社家(生源寺家・樹下家)の始祖で、西本宮の祭神:オオナムチを当地に奉斎した人物。
 オオナムチは、まず琵琶湖の漁船に顕れ、唐崎のウシマロのもとに至り、社殿を造営して自分を祀るようにとの神勅を下して、現在地に鎮まったという。
 別伝によれば、琴御館家は、もと常陸国の国司だったが、舒明天皇の御代に唐崎に移った。天智天皇の御世、オオナムチが唐崎の松に顕現し、ウシマロに鎮座の地を尋ね、その導きで現在地に鎮座されたという。
 これらの伝承からみると、ウシマロは西本宮に係わる人物で、それがカモタケツヌミと合祀されているのは解せない。
 因みに、琴御館とは“家に琴を伝えていたから”という。

◎氏永社
 祭神:祝部希遠(ハフリベ マレトウ・社家・生源寺家祖)  末社
 参道沿いの西側、氏神社の南に鎮座する小祠。祝部希遠とは、当社社家の祖・琴御館宇志麿から23代目の人物(平安後期)とされ、社家は、この時から生源寺家と樹下家に別れたという。
 氏神社を当参道に祀ることから、同じ琴御館家関係として並べたのであろう。

◎猿の霊石
 参道の東側にある注連縄を張った大岩で、南から見ると猿が蹲った姿に見えるとのことからこの名があるが、顔らしきものがみえないこともない程度。
 日吉大社の使獣を“猿”とすることから“猿の”というのであろうが、何らかの祭祀がおこなわれていた磐座であろう。

◎夢妙幢(妙幢童菩薩)
 室町末期の資料に“霊石”とある大石で、この石に向かって「善夢成就 悪夢消滅」と唱えると、獏(バク)が悪夢を食べてくれるというが、その由緒は不明。

◎巌滝社(旧称:岩滝社、末社 下七社)
 祭神−−市杵島姫命・湍津島姫命
 夢妙幡岩の北にある小祠。
 イチキシマヒメ・タギツヒメは所謂“宗像三女神”の内の二女神。同じ三女神の一柱・タコリヒメが宇佐宮の祭神となっている。八幡神を勧請したとき、宇佐の比売大神3柱を二ヶ所に分けて祀ったのかもしれないが、由緒は不明。
 秘密記には、
 「女形 竹生島弁財天是也。タタラ姫也。事代主神の御娘で神武后。竹生島より御影嚮あり」
とある。イチキシマヒメは弁財天と同体とされることから、竹生島からの勧請というのだろう。
 またタタラ姫とはコトシロヌシの娘で神武帝の后・姫蹈鞴五十鈴姫(ヒメタタライスズヒメ)を指すのだろうが、イチキシマヒメ・弁財天とタタラ姫との繋がりは不明。
 
◎須賀社
 巌滝社の北に位置する小祠。
 秘密記に「俗形 岩滝の北にあり」という「田付社」がこれかもしれないが、他に資料がなく詳細不明。

日吉神社・東本宮参道・八柱社
同・八柱社(中七社)
日吉大社・東本宮参道・氏永社
同・氏永社
日吉神社・東本宮参道・氏神社
同・氏神神(下七社)
日吉神社・東本宮参道・巌滝社
同・巌滝社(下七社)
(右の石は夢妙幢
日吉大社・東本宮参道・須賀社
同・須賀社
日吉大社・東本宮参道・猿の霊石
同・猿の霊石

※東本宮神域
 八王子山東麓に広がる古墳群(後期古墳)に接するように東本宮の神域がある。中心は、上七社に属する『東本宮』と『樹下宮』で、他に摂末社6社と霊泉1井がある。
 今、両社とも当神域内の社殿をもって本社としているが、西方に聳える八王子山(牛尾山)に坐す山宮(牛尾宮・三宮)を遙拝するために山麓に設けられた里宮が本来の姿であり、それぞれの祭神も次のような対応関係にある。
   [里 宮]                [山 宮]
 東大宮(大山咋神和魂ニギミタマ)−−牛尾宮(大山咋神荒魂アラミタマ
 樹下宮(鴨玉依姫和魂)     −−三宮宮(鴨玉依姫荒魂)
 (荒魂・和魂−−霊魂のもつ機能上の両義性を示す呼称で、荒々しい働きを指す荒魂に対して穏やかなそれを和魂という。最初に荒魂として顕れた霊魂は、鎮め祀られることで和魂に変化するとされる)

◎楼門
  2層建・朱塗りの楼門(三間一戸形式)で、入母屋造・檜皮葺、天正〜文禄年間(1573--93)の建造。重要文化財。

日吉大社・東本宮・楼門
東本宮・楼門

日吉大社・東本宮・神域
東本宮・神域
(中央奥:東本宮、左右:樹下宮)

 東本宮神域の社殿配置は、神域の中央奥に、東本宮の本殿・拝殿が南面して鎮座し、その手前(楼門寄り)に樹下宮の本殿・拝殿が東面して鎮座し、二つの軸線が直交する形となっている。
 このように、両社社殿の向きが直角に配置されているため、樹下宮の左右に離れた本殿(左)と拝殿(右)の間を通って奥へ進み、東本宮を参拝することになる。

◎東本宮
 祭神:大己貴神(オオナムチ)・別名:山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ)
 旧称:二宮(小比叡)  本地仏:薬師如来
 本殿:桁行五間・梁間三間の日吉造(聖帝造−ショウタイヅクリ)檜皮葺・文禄4年(1595−豊臣末期)建造。 国宝。
     西本宮本殿とほぼ同様の造りだが、背後の回廊三間が一段と高くなっているところが異なる。
 拝殿:方三間の入母屋造・檜皮葺・妻入り、文禄5年(1596)頃建造。重要文化財
  
 今の社殿は神域奥に南面して建つが、古書に
  「日吉社二宮十禅師宝殿が山上よりの大水で埋まった。小神は皆流失した」(百錬抄・永暦元年-1160-6月廿二日条・大意)
とあることから、現在地より奥の小谷川近くに位置していたのでは、と推定されているが、その時の社殿状況は不明。

 当社の原姿が神奈備山・八王子山を遙拝する里宮だとすると、神奈備山から流れ出る川の畔に社殿があったのは納得できることで、樹下宮と同じく東面して、社殿を通して西方の八王子山を遙拝する形だったのではないかと思われる。
 また同じ日吉造社殿でも、当社のみが回廊背後の中央三間部分が一段高くなっている。この部分で神奈備山遙拝のための何らかの祭祀がおこなわれたのではといわれ、旧社殿の佇まいを示唆する構造ともいえる。

 その旧社殿が、何時、今の場所に、通常の社殿と同じく南面する形で移築されたのかは不明。日吉造による社殿造営といえば相応和尚の寛平2年(890)がはじまりとされるから、その時かもしれない。なお現在の社殿は、織田信長の比叡山焼き打ちによる焼失以後の造営。

日吉大社・東本宮・本殿
東本宮・本殿
日吉大社・東本宮・拝殿
同・拝殿

◎樹下宮(ジュゲ・コノモトとも呼ぶ)
 祭神:鴨玉依姫(カモ タマヨリヒメ)
 旧称:十禅師宮  本地仏:地蔵菩薩
 本殿:三間流造・檜皮葺・文禄4年建造、重要文化財
 拝殿:三間の入母屋造・檜皮葺・妻入。文禄4年建造、重要文化財

 当社社殿は東面しているが、その軸線を西へ延ばすと、神が降臨した神奈備である八王子山の磐座(金大巌)に至り、当社殿は神奈備山をまともに背負う形をとっている。
 また、本殿の下殿(ゲデン・床下の祭祀空間)に「霊泉」があり、その位置は本殿御神座(ご神体の奉祀座)の真下に当たる。

 社殿軸線が神奈備山方を向いていること、下殿に霊泉があることは、当社の原姿が、神奈備山(八王子山)を遙拝するために霊泉の畔に設けられた仮の社・神籬(ヒモロギ)を原姿とする里宮であったことを示し、江戸時代の絵図(日吉社頭絵図)には、樹下宮社殿の背後に朱塗りの玉垣で囲われたヒモロギ(仮設の祭祀場)が描かれている。

 当社社殿は平安末期・天仁2年(1109)頃の造営と推察されているが、その時、霊泉の真上に本殿の御神座をもってくるように設計されたと思われ、それは、霊泉とご神体とが一体として認識されていたことを意味する(この霊泉を“亀井の井”とする資料があるが、亀井の井は別にある)。 

日吉大社・樹下宮・本殿
樹下宮・本殿
日吉大社・樹下宮・拝殿
同・拝殿
日吉神社・樹下宮・下殿の霊泉
樹下宮・下殿の霊泉
(資料転写)
日吉神社・樹下宮・側面図
樹下宮・側面図
(斜線部−下殿、床下の穴−霊泉)
日吉神社・樹下宮・下殿平面図
樹下宮・下殿平面図
(左寄り土間に霊泉あり)

◎その他の摂末社
*大物忌社(オオ モノイミ)
  祭神:大年神(オオトシ)  旧称:大行事社  摂社 中七社
  東本宮本殿の左背後に鎮座。
  祭神・オオトシ神とはスサノヲの御子神で、東本宮の祭神・オオヤマクヒや竈殿社の祭神・オクツヒコ・オクツヒメの父神(古事記)
  年神・歳神(トシガミ)ともいうが、“年”は“稲の実り”を意味し“穀物神”であることから、正月に、その年の豊饒・福をもってくる来訪神(マレビト)ともされる。なお、オオトシ神の同母弟が稲荷の神・ウカノミタマで、これも穀物神。

*新物忌社
  祭神:天知迦流水姫(アマチカルミズヒメ)  旧称:新行事社  摂社  中七社
  東本宮本殿の左に鎮座。大物忌社の隣に当たる。
  祭神・アマチカルミズヒメとは、オオトシ神の后でオオヤマクヒ・オクツヒコ・オクツヒメらの母神(古事記)
  大物忌社・新物忌社と、オオヤマクヒの父母神が並んで鎮座していることになる。

*竈殿社
  祭神:奥津彦神・奥津姫神  旧称:二宮竈殿社  末社  下七社
  東本宮本殿の右奥に鎮座
  オクツヒコ・オクツヒメは、オオヤマクヒに差し上げる御饌(ミケ・食事)を司る神で、オオトシ神の御子神。
  俗に“竈神”(カマドカミ)と呼ばれ、家の中で火を扱う竈や囲炉裏の脇に祀られ、食物の神・火の神・家内平穏の守護神とされ、近畿では“荒神さん”と呼ばれることが多い。

  宇佐宮境内にある竈殿社案内には、
 「古来、わが国では火の清浄を尊び、諸々の災禍は火の穢れより起こると信じらた。竈は、日常の飲食を炊ぐ必需品であることから、古来より朝廷でも齋き祀られてきた。殊に一家を構える家庭の命の源を守護する家神として崇拝された」(大意)
とある。

*樹下若宮社
  祭神:鴨玉依彦  旧称:小禅師社  末社 下七社
  東本宮拝殿の左に鎮座。
  祭神・カモタマヨリヒコが、オオヤマクヒの后・カモタマヨリヒメの兄神ということで祀られていると思われるが、詳細不明。

*内御子社
  祭神:猿田彦神  旧称:内王子社 末社
  楼門を入って右手奥、樹下宮拝殿の右に鎮座。
  祭神・サルタヒコは道案内の神で、境界にあって邪神の侵入を遮る塞の神・道祖神でもある。
  境内に入ってすぐの右手に鎮座するから、境内を守る塞の神として祀られているのかもしれないが、それを内王子という由緒は不明。

*稲荷社
  祭神:宇賀之御魂神(ウカノミタマ)
  東本宮本殿背後に鎮座。ウカノミタマは穀神・食物の神。

*亀井霊水
  東本宮本殿の左、新物忌社と樹下若宮社に挟まれてある。
  昔、伝教大師(最澄)参拝の折、池中から霊亀が現れ、占いにより閼伽井(アカイ−仏前に捧げる水を汲む井)とした、との伝承があるが、これは日吉社が比叡山との関係を深めた後の所説であり、本来は、八王子山の神から恵まれた湧き水・神水として崇められた井戸であろう。
  石柵内に六角形の井戸枠があり水を湛えているが、湧水の有無は不明。

日吉大社・摂社・大物忌社
摂社・大物忌社
日吉大社・末社・樹下若宮社
末社・樹下若宮社
日吉大社・末社・新物忌社
末社・新物忌社
(左の井桁は亀井霊水)
日吉大社・末社・二宮竈社
末社・二宮竈社
日吉大社・末社・内御子社
末社・内御子社
日吉大社・末社・稲荷社
末社・稲荷社
日吉大社・東本宮・亀井霊水
亀井霊水
日吉大社・東本宮・亀井霊水
亀井霊水

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