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摂津(嶋下郡)の式内社/溝咋神社
大阪府茨木市五十鈴町
祭神:正殿--媛蹈鞴五十鈴媛命・溝咋玉櫛媛命
                  相殿--三島溝咋耳命・天日方奇日方命・速素盞鳴尊・天児屋根命

                                                                2009.06.23参詣

 延喜式神名帳に、『摂津国嶋下郡  溝咋神社  鍬靫』とある式内社で、かつては「上宮(祭神:ヒメタタライスズヒメ)」と「下宮(祭神:ミゾクイタマクシヒメ)」に別れていたが、明治末の神社統合によって、同42年(1909)上宮が下宮に合祀され、現在に至っている。 

 阪急京都線・茨木市駅の東南東約1.3km、安威川右岸(西側)に位置する。町名の“五十鈴”は祭神・媛蹈鞴五十鈴媛に因んだもので、周囲には住宅地が広がる。
 五十鈴町南端の道路沿いに立つ一の鳥居から北へ二の鳥居までの参道は約200m余、かつては松並木だったというが、今は楠などの常緑樹が目立ち松は少ない。
 なお、当社の北約500m余の安威川対岸(左岸)にある高層住宅団地内(学園町・旧浪商学園跡)の道路脇に、『溝咋神社上宮跡』と刻した石碑が立っている。

溝咋神社/一の鳥居
溝咋神社・一の鳥居
溝咋神社/上宮祈念碑
溝咋神社・上宮趾石碑

※祭神
 当社の祭神は、古く、当地に居住していた三島溝咋一族の霊を祀るもので、その関係は以下の通り。
 ・主祭神--媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)--溝咋耳命の孫、神武天皇正妃(ヒメタタライススケヨリヒメともいう)
         溝咋玉櫛媛命(ミゾクイタマクシヒメ)--溝咋耳命の娘、五十鈴媛の母(セヤタタラヒメ or ミゾクイヒメともいう)
 ・相殿神--溝咋耳命(ミゾクイミミ)--溝咋一族の長で、五十鈴媛の祖父(タマクシヒメの父)
         天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)--五十鈴媛の兄
         速素盞鳴命(ハヤスサノヲ)--五十鈴媛の先祖
         天児屋根命(アメノコヤネ)--藤原氏の祖

 当社の主祭神ヒメタタライスズヒメの生誕について、記紀は次のように伝える(大略)
*古事記・神武天皇段
 美人で名高い三島溝咋の娘・セヤタタラヒメが厠に入っているとき、ヒメを見染めた三輪のオオモノヌシが丹塗矢(ニヌリヤ)と化して川上より流れきて、下からヒメのホトを突いた。驚いたヒメはその矢をもって床の辺に置いていたら麗しき壮夫となった。二人の間に生まれた御子をホトタタライイススキヒメ、亦の名をヒメタタライスケヨリヒメという。
 正妃となる乙女を求めていた神武天皇が、ヒメタタライススケヨリヒメが神の子であると聞いて喜び、ヒメを娶り正妃とした。

*日本書紀・神代紀
 大三輪の神の御子は賀茂君・大三輪の君またヒメタタライスズヒメである。
 また曰く、コトシロヌシが八尋熊鰐と化して、三島のミゾクイヒメ亦の名・タマクシヒメの処へ通われ、御子・ヒメタタライスズヒメが生まれた。これが神武天皇の后である。

 古事記にいう生誕説話は“朱塗矢型神婚説話”とでもいうべきもので、“日光感精説話”の一類型でもある。神が日光・矢・雨などに化して女性(巫女)のもとに降臨し、御子(神の子であり、半神半人の英雄でもある)が生まれたという説話・伝承は世界各地に残っている。ここで流れきた朱塗矢とは日光の変型といえる。
 また、古く、厠は“この世”(此岸)と“あの世”(彼岸)が交錯する境界であって、境界は神霊などが往来する聖なる場でもあった。また古く厠を“川屋”と書いたように、川(水)の上に設けられたという。セヤタタラヒメが川の上に設けられた川屋(厠)で、流れきた朱塗矢(神)と出合ったというのは、ヒメが水辺の聖地にあって神の降臨を待ち、神の子を産む神の妻(巫女)であることを示している。

 この生誕説話では、古事記と日本書紀とで父親が異なり、古事記では三輪のオオモノヌシとし、書紀はオオモノヌシとはするものの別伝ではコトシロヌシとなっていて、コトシロヌシをイスズヒメの父神とみるのが一般に定着している。
 一般に、コトシロヌシはオオクニヌシの御子とされるが、コトシロヌシは出雲系の神ではなく葛城を本拠とする託宣神で鴨(賀茂)氏が奉斎する神とする説も有力で、当社境内摂社にコトシロヌシが祀られていること、当社の東南約2.5kmにコトシロヌシを祭神とする三島鴨神社が、北約3kmに鴨神社(コトシロヌシについては、別項・三島鴨神社参照)があり、その辺りに鴨村・鴨林などの小字名があることなどから、当地に進出した鴨氏と先住する溝咋一族との交流、極言すれば溝咋一族を傘下におさめたことを神話化したのが、コトシロヌシとタマクシヒメとの通婚説話ともいえる。
 ただ、溝咋一族と鴨族との結節点ともいえるコトシロヌシが、本殿ではなく摂社に祀られているのが解せない。古来からの在地勢力である溝咋一族が新来の鴨氏に吸収されなかで、溝咋一族の主権を主張するのかコトシロヌシの摂社奉斎なのかもしれない。

 因みに、山城の賀茂氏には“オオヤマツミが丹塗矢となってタマヨリヒメ(鴨氏の祖・カモタケツヌミの娘)と通婚して別雷命(ワケイカヅチ)を生んだ”という丹塗矢説話があり(山城国風土記)、同じような伝承をもつことも溝咋一族と鴨氏との関わりを補強するものといえる。

 当社の祭神は上記溝咋一族の神々だが、牛頭天王(ゴズテンノウ)とした時期があったようで、元禄10年(1697)寄進の社宝・千手観音菩薩像の裏書きに
 「摂津国島下郡溝杭郷牛頭天王上下両社者(二階堂・馬場・十一目垣)云々」
とあり、また寛保3年(1743)米屋嘉兵衛寄進の刀剣の添状にも
 「摂津国島下郡溝杭郷牛頭天王御剣云々」
とあるという(大阪府史蹟名勝天然記念物)。江戸時代に流行した防疫神・ゴズテンノウ信仰が、当社にも及んでいたことを示している。

※鎮座由緒
 当社の創建について、大阪府全志(大正11年1922)に、「崇神天皇が天神地祇の社を定められた時ともいう」とあるが、これは伝承であって創建時期不詳というのが実体であろう。

 かつての当社は
  溝咋神社上宮--祭神:ヒメタタライスズヒメ命・ミゾクイミミ命・アメノヒカタクシヒカタ命
    同   下宮--祭神:ミゾクイタマクシヒメ命・スサノヲ尊・アメノコヤネ命
の2社に分かれていたというが、
 古資料には
 「溝咋神社は溝咋村大字馬場字山下にあり、延喜式内の神社なり。ミゾクイタマクシヒメ命を主神とし、相殿にスサノヲ尊・アメノコヤネ命を祀る」
とあり、上宮を合祀した下宮すなわち現溝咋神社を以て式内社としているが、現在の祭神からみると、ヒメタタライスズヒメを主祭神とする上宮が本来の式内溝咋社だったとも解される。

 当社の祭祀氏族と思われる溝咋一族の出自・実体は不明。
 式内社調査報告(昭和52年1977)は、日本書紀にいうコトシロヌシ伝承を記した後に、
 「この姫(タマクシヒメ)の父・三島溝咋耳神がこの土地に居住していた由縁により、地名となり神社を溝咋神社と名づけるようになった。その三島溝咋耳神はオオヤマツミの子なる故に、同郡式内社三島鴨神社と密接な関係をもっている」
と記す。
 ミゾクイミミをオオクニヌシの曾孫・観松彦伊呂止とする系図(都佐国造氏系図・ただし真偽不明))がある。とすれば、オオクニヌシの子・コトシロヌシを介して鴨氏との関係も推測されるが、管見するかぎり、調査報告がいうオオヤマクイの子との資料は見当たらない。

 溝咋とは、古資料に“溝杭”とも記すように“用水路に打ち込まれた土留用の杭”を意味するといわれ、そこから、溝咋一族は旧淀川右岸・安威川流域の用水を管理していた古代の豪族と推測され、“耳”とはその長を指すという。
 また、当地一帯が弥生時代の大規模環濠集落・東奈良遺蹟(茨木市南部、阪急茨木市駅東方一帯)の所在地で、奈良の唐子鍵遺蹟と共にわが国最大級の銅鐸製作地であったことから、タタラ製作に関係する古代技術集団の子孫が溝咋一族で、ヒメタタライスズヒメの“タタラ”もそれを示唆するともいう。
 神武天皇がヒメタタライスズヒメを娶ったというのは、製鉄・製銅技術を有する有力集団を傘下に収めたことを神話化したものともいえる(古く、被支配氏族が服属の証として娘を支配者に差し出した事例は多い)

※社殿
 社頭に掲げる由緒によれば、
 「現在の社殿は、寛保2年(1742)、当地出身の両替商米屋嘉兵衛が造営したものという」
とある。
 また大阪府全志(1922)によれば
 「今の社殿等は、寛保2年大阪の住人米屋平右衛門・同嘉兵衛の官許を得て建営せしものなり。此の両人は外国貿易に従事し、不測の災に罹らんとしたるに、当社祭神の霊験によりてその難を免れたるを以て、奉賽の意に出しものなりといふ。両人は、社殿及び付属建物の他許多の神宝・神器をも奉納して今に残れり」
という。
 ただ、嘉兵衛が寄進した刀剣の添状に“牛頭天王御剣”とあること(上記)からみると、両人が奉賽した祭神とはゴズテンノウだったかもしれない。ゴズテンノウの神格・防疫神は災いを遮る神にも通じる。
 300年近く経っているにもかかわらず、管理保全はは行き届いている。

溝咋神社/一の鳥居
溝咋神社・一の鳥居
溝咋神社/二の鳥居
同・二の鳥居
溝咋神社/楼門
同・楼門
溝咋神社/拝殿
同・拝殿

 境内には、摂社:事代主神社(コトシロヌシ他6座)、末社:天照皇大神社(アマテラス・応神天皇・サルタヒコ)・保食神社(ウケモチ)・手力雄神社(タヂカラオ)が鎮座し、楼門左手の池の中に末社:木花開耶姫命神社・厳島神社相殿社(コノハナサクヤヒメ・シナトベ・イチキシマヒメ・菅原道真)がある。

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