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摂津(嶋下郡)の式内社/牟礼神社
大阪府茨木市中村町
祭神−−素盞鳴命・天児屋根命
                                                             2009.08.11参詣

 延喜式神名帳に、『摂津国嶋下郡 牟礼神社(ムレ)』とある式内社。

 阪急京都線・茨木市駅の東北約600m、茨木市駅より線路南側を高槻市方面に進んだ右手の住宅地内に鎮座する。本殿北には安威川堤防が近接している。

 周囲からやや小高くなった境内には、拝殿・本殿があるのみで末社などなく(片隅に神宮遙拝所あり)、祭神名・由緒などの案内板は見当たらない。
 資料によれば、
 「創建年代は不詳だが、古く、旧中村三島村大字戸伏字垣内の東北・安威の堤畔にあり、寛永元年(1704)に字中村に遷座、昭和14年(1939)の安威川改修により河川敷となったため現在地に遷った」(大阪府全志1922他)
という。鎮座地が三転しているが、現社地の西北に隣接して戸伏町があるから、大きな移動ではなく安威川右岸を転々としたらしい。

 本殿(一間流造・朱塗り)・拝殿は昭和14年の移転に際して、大阪・生国魂神社末社の北向八幡宮の建物(慶長11年1606・片桐且元建造)を移築したものといわれ、その後も適時改補修などおこなわれているようで美麗。

牟礼神社/鳥居
牟礼神社・鳥居
牟礼神社/社標柱
同・社標柱
牟礼神社/拝殿
同・拝殿
牟礼神社/本殿
同・本殿
牟礼神社/本殿正面
同・本殿正面

※祭神
 今の祭神はスサノヲとアメノコヤネとなっているが、社伝によれば
 「天正年間、織田信長が諸国の神社を焼いたとき、その劫火を免れようとして、信長が信仰するゴズテンノウと春日神(アメノコヤネ)と詐称して祀ったのが、そのまま残ったもの」
というが、古事記・垂仁記に
 「(垂仁の御子)大中津日子命・・・牟礼之別等(ムレノワケ)の祖なり」
とあり、当地を本貫とするムレノワケ一族が、祖神・オオナカツヒコを祀ったのが本来の祭神だろうという(式内社調査報告1977他)

 社伝にいう織田信長云々とは、比叡山や本願寺など敵対する社寺を潰していった信長が、信仰する皇大神社・春日神社・八幡神社・牛頭天王社(信長の産土神が、愛知の牛頭天王社・津島神社だったという)以外の神社を破却しようとしたのを免れるため、ゴズテンノウや春日神・八幡神を祀ると詐称したというもので、今、スサノヲを祭神とする高槻・茨木の神社に多い。
 ただ、管見するかぎり、信長がそういう挙に出たとの資料は見当たらず、疑問である(ただ信長の頃、高槻城主であった高山右近が、信仰するキリスト教の教義から、異教である領内の神社仏閣を取り壊したことは有り得る)

 ゴズテンノウとは元々、京都・八坂神社(祇園社)に祀られていた行疫神(疫病神)で、その強力な神格から、これを祀れば外からやってくる疫病神・悪霊・邪神などを防いでくれるとされた神だが、明治初年の神仏分離に際して、ゴズテンノウが邪神として排斥されたため、八坂社をはじめとする牛頭天王社で、異名同神とされるスサノヲ(備後国風土記)に変えられたという経緯がある。

 ゴズテンノウ信仰は、未だ医療が発達せず衛生観念も未熟だったため、夏の初めから流行する疫病が外からやってくる疫病神の仕業とされていた頃に流行した信仰(特に江戸時代)で、各地にゴズテンノウが祀られたという。

 当社にゴズテンノウが祀られたのも、民衆の防疫神・ゴズテンノウ信仰に推されたものを、信長の神社破却政策という俗説に仮託したものと思われ、ここで祀られているスサノヲは、記紀にいうアマテラスの弟神としてのそれではなく、防疫神・ゴズテンノウの代替神としてのスサノヲというのが本来の姿であろう。

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