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妙見信仰/星田妙見
大阪府交野市星田
祭神−−天御中主大神・高皇産霊大神・神皇産霊大神

2007.07.05参詣

 星田妙見宮は、JR学研都市線(片町線)・星田駅の東南約3qにある妙見山(H=162m)の頂きに鎮座する(式外社)。
 JR星田駅の東を流れる妙見川に沿って南下(桜並木)、川脇に立つ 鳥居をくぐり、林の中をしばらく進むと参道の石段があり、紺地に白抜きで『星と霊符の宮 太上神仙鎮宅霊符神・星田妙見宮大神・三寶大荒神』と染め抜いた幟が各処に立っている。つづら折りの石段(約230段)を登りつめると、遠くには北摂の山々や淀川の流れが、近くには交野の街並みと田畑が望める展望台に出る。社殿(拝殿)はその上に建っている。


参道入口・大鳥居

星田妙見・幟

星田妙見宮・拝殿

河内名所絵図・星田妙見

※縁起
 由緒書によれば、
 『平安時代、弘仁年間(810〜23、嵯峨天皇の頃)に弘法大師が獅子窟寺(交野市私市)で修行中、天から七曜の星(北斗七星)が3ヶ所にわかれて降ってきた。一つは星田高岡山の星の森、も一つが降星山光林寺で、今一つがこの妙見山・小松神社のご神体である』
とある。

 今の星田妙見は『小松神社』を名乗る神社(麓の町中に坐す星田神社の境外摂社)だが、由緒書きに
 『本座祭神:天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)は、仏教では北辰妙見大菩薩(ホクシンミョウケンダイボサツ)と、神道・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神(タジョウシンセンチンタクレイフシン)と呼ぶ』
とあるように、古くから神仏が混淆した星辰信仰の霊地で、平安期の古文書(12世紀)には「神福寺」あるいは「東禅寺」の名で出ている。

 また、河内の名所・神社仏閣・歌枕の地などを記した「河内名所絵図」(江戸期1801年刊)には、
 『妙見尊は、神道家には天之御中主尊と称し、陰陽家には北辰星といひ、日蓮宗徒には妙見菩薩と仰ぎて、近年おおいに奉信す』
とある。
 日蓮宗徒云々といえば、鎌倉時代には社殿の南に「妙見山竜光寺」なる日蓮宗の社坊があったという(今は位置不明)。神に祈願する柏手の傍らで、法華太鼓がドンツクドンツクと鳴り響くという複雑な山だったらしい。

 名所絵図の挿絵では高山の上に鎮座するかのように描かれているが、そう高い山ではない。今は祭の時以外は訪れる人も少なくひっそりとしているが、江戸時代には、多くの善男善女が物見遊山をかねて参詣していた名所だったという。

※ご神体
 当社にはいわゆる本殿はない。石段を登りきった猫の額ほどの平地に建つ拝殿には『星田妙見宮』の扁額が、軒下には十二支を記した円盤がかかり、ここが星辰信仰の聖地であることを示している。

 拝殿内部は簡素な造りで、天井からご神灯や灯籠が下がり、両側の長押には十二支の動物の絵が掛かっている。

 正面、素通しになった先には小さな鳥居と巨石が見える。以前は八稜の鏡と玄武像が安置されていたというが、今は隣接する鎮宅霊符殿に移されている。


拝殿・正面

拝殿・内部

 拝殿の裏の雑木林の中に注連縄を張った大きな岩が2個座っている。これがご神体で、1個は左手すぐに、も1個は正面すこし離れた処にある。
 伝承にいう、天から降ってきた北斗の星というのがこれだろうが、もともとは神が依りつくとされる磐座(イワクラ)で、影向石(ヨウゴウセキ)とも呼ばれ、古い自然信仰の姿を保っている。


拝殿左の巨石(磐座)

拝殿奥の巨石(磐座)

 これからみると、星田妙見宮の前身は古来の磐座信仰の聖地だったといえる。
 地元では、この巨石を七夕伝説の牽牛・織女になぞらえ、参道途中にある天尊社には、天野川の辺に立つ 織り姫を描いた大きな絵が飾られているし、初夏の七夕祭りには参道沿いに梵天飾りが華やかに飾られ、多くの人々を呼び集めている。
 なおこの辺りには、当社以外にも倉治の観音岩や磐船神社の磐座など巨石・奇岩を祀る磐座信仰を多く残す地である。

●七夕祭
 ちなみに七夕祭りは初夏を感じさせる風物詩の一つだが、本来は8世紀頃に伝来した星祭り・乞功奠(キッコウデン)が変化したもので、“この夜に願ったことは3年以内にかなう”といわれていた。
 古く宮中での重要な節会の一つだったものが次第に民間にも広まったもので、今のように、竹を立てて願い事を記した色紙を飾るのは江戸時代以来という。

 わが国では“七夕”と書いてタナバタと読むが、本来の音訓にはその読みはない。
 古くタナバタとは棚機(機織り機)のことで、水辺に置かれた棚機でカミの衣を織りながらカミの訪れを待つ巫女をタナバタツメと呼んだ。
 そこに、旧暦七月七日の夜、天の川をはさんだ牽牛と織女とが年に一回会うという中国伝説が伝来して、中国の織女がわが国のタナバタツメと習合したものである。

 なお中国の伝説とは、「天の川の東岸にいた天帝の娘・織女は、毎日、天人の着物に使う布を織るのに忙しく化粧する暇もなかった。それを憐れんだ天帝が、西岸にいる牛飼いの牽牛と結婚させた。ところが織女が夫婦生活に溺れて布を織らなくなったので、怒った天帝がふたりを別れさせ、七月七日の晩にだけ会うことを許した」(大意)というもの。

●神紋

 拝殿の幔幕あるいは参道に立つ幟などに描かれた当社の神紋は、“北斗七星の周りを八卦が丸くとりまく”という特異な紋で、北辰・北斗信仰や陰陽道との関わりを示している。
 なお、八卦の上に描かれた3個の星座は、天降った3個の星を示すものか。

※鎮宅霊符社
 拝殿左(北側)に建つ別棟の社殿には、右に『鎮宅霊符神』が左に『三宝荒神』が祀られている。
 大坂春秋(60号)によれば、
 『当社の宮司が昭和61年、鎮宅霊符神の神託をうけて、拝殿の北側に小さな社殿を建て、拝殿の中にあった鏡の御魂と玄武を安んじ奉った』(「星田妙見宮散見」野崎敏生)
とある。現社殿建立の時期であろう。

 拝殿内の小祠には、祭神名・チンタクレイフ神・スサノヲ尊・ニギハヤヒ命を記す神額が掲げられ、その前に“八稜の鏡”と“玄武像”が置かれている。
 これらは、先述のように拝殿に安置されていたもので、鏡の裏には「鎮宅霊符神=天御中主命、元治元年甲子(1864、幕末の頃)とあるという。
 また亀に蛇がからんだ玄武像(約50p)は、四方を守る四神の一つで“北方の守護神”で、ここでは北極星を神格化した鎮宅霊符神(=北辰妙見菩薩)を象徴する。大正6年に大坂の商人が奉納したものという。
 玄武は明日香の高松塚古墳の玄室北壁にも描かれていた。


左:三宝荒神社・右:鎮宅霊符社

鎮宅霊符社

鎮宅霊符社・内陣

玄武像

 合祀されているスサノヲは記紀神話にいうアマテラスの弟神で荒ぶる神だが、当社に合祀される由縁は不明。
 ニギハヤヒとは神武天皇の東征に先立って大和に天降っていた天つ神で、その降臨地が天野川上流の磐座神社辺りとされる。
 古く、交野の辺りは物部系氏族が支配した地で、そこから物部氏の祖神ニギハヤヒを祀る神社が多かったというから、その名残かもしれない。

●太上神仙鎮宅七十二霊符

 当社に伝わる鎮宅霊符は、江戸時代から伝わる版木で摺るという由緒あるもので、霊符の中央上部には、両脇に武神を従えた鎮宅霊符神が座し、その足許には玄武が描かれている。いずれも中国風の服装で、この神が中国からの伝来であることを示している。
 神像の上に見える3個の光芒は、由緒にいう天降った3個の星であろう。

 この霊符は『太上神仙鎮宅七十二霊符』と呼ばれ、神像の周りには72枚の霊符が並べられている。
 当社では『この霊符は、古来、中国皇帝に最高の守護神として尊ばれ、除災・開運に絶大な霊力を発揮したといわれる霊符である。わが国では、人生にまつわる72の禍を鎮める霊符として、朝夕に心を込めて祈ることで富貴繁栄を将来するとされます』と、その霊力を宣伝している。いろんな願い事を叶える万能の霊符(お守り)ということであろう。
 なお当社では、鎮宅霊符以外にも、北斗七星霊符とか干支の霊符とか星にかかわる霊符が授けられている。

鎮宅霊符

北斗七星霊符

●三宝荒神
 鎮宅霊符神との相殿に祀られている『三宝荒神』とは、本来は仏教でいう仏法僧の守護神だったが、神道の荒ぶる神や修験道・民俗宗教などと習合して三面六臂の忿怒相で表される。強力な僻邪力(ヘキジャリョク、邪悪を排除する力)をもつとされ、火の神・竈神・ご不浄の神などと習合し、家宅の裏側にあってその家を守護するとされる。ただし粗末に扱えば非常な災厄をもたらす怖い面も併せもつという。それが当社に祀られる理由は不明。

追記−−地名・星田の由来
 生駒連山中に発し北進して淀川にいたる天野川一帯は、古く弥生時代から拓けた農耕地だったが、そのなかにあって星田山(現妙見山)は禿げ山で、その周りも水利の便も悪いため水田耕作がままならず、牧場として利用されるだけで『乾し田』(ホシダ)と呼ばれていたという。
 ところが平安時代になって、多くの大宮人がこの辺りに遊猟にやってくるようになると、、当地に残る降星伝説を聞いての詩的連想から、荒れた田畑から美しい星の降る田畑へ変貌し、「乾し田」が同音の『星田』になったという。

追記(2008.12.20)
 江戸時代の観光ガイドブック・『河内名所図会』(享和元年1801刊、平成2年復刊)には、次のように記している。
 「妙見山  星田村の東にあり。山趾に明星水といふ霊泉湧水す。
  妙見神祠(ミョウケンノヤシロ)  神躰巨石三箇 鼎の如く峙(ソバタ)ちて丘の如し。前に石の鳥居、拝殿、玉垣、石段等あり。土人、織女石(ヲリヒメイシ)とも妙見石とも呼ぶ。
 此の神祠の旧名小松明神。〔灌頂禄〕にみへたり。
 抑も妙見尊は、神道家には天御中主尊と称し、陰陽家には北辰星といひ、日蓮宗徒には妙見菩薩と仰ぎて、近年、大ひに尊信す」

・山上に3個の巨岩、社殿がみえる。
・麓からの参道の様子は、現在のそれとほぼ同じ

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