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蒲生八幡神社
鹿児島県姶良市蒲生町上久徳
祭神−−応神天皇・仲哀天皇・神功皇后
                                                          2011.10.27参詣


※由緒
 当社由緒記によれば、
 「当社は、保安4年(1123・平安末期)鳥羽天皇の御宇、時の蒲生院総領職であった蒲生上総介舜C(チカキヨ)が、豊前国宇佐八幡宮を勧請して、現在の地に創建せしものなりと云ふ。
 爾来、今日に至るまで、蒲生家及び島津藩主とも当社を深く敬斎し、特に、島津義弘公は社殿を再興し、新に華表(鳥居)を建て、正八幡若宮の額を掲げ、太刀・甲冑・宝器を寄進するなどしたので、御神威弥益々に増せりと云ふ」
という。

 また当社公式HPには、
 「蒲生氏の初代当主・蒲生舜Cが、宇佐八幡宮から勧請して建立した神社で(1123)、それは、舜Cの母が宇佐八幡宮の宮司家の出身であったからという。
 戦国時代、蒲生氏は島津氏との激しい戦いの末、その軍門に降り退去させられたが(1557)、その後、島津義弘公が社殿再興、鳥居・額が奉進された(1619)(大意)
とある。

 当社は、古くは正八幡若宮八幡宮と称していたが、昭和60年(1985)の台風により社殿大破、その再建後に現在の社名に改称したという(1986)

※社殿等
 道路脇の大鳥居をくぐり参道を進み、石壇を上がった境内正面に朱塗りの拝殿が、その奥、弊殿に連り朱塗り・白壁の本殿が鎮座する。
 社殿は、昭和60年(1985)の台風により大破、翌年に再建されたものという。

蒲生八幡神社/鳥居
蒲生八幡神社・大鳥居
蒲生八幡神社/拝殿
同・拝殿
蒲生八幡神社/本殿
同・本殿

◎摂末社
 本殿社殿の右手に、摂末社3棟が並ぶ。
 ・摂社−四所宮−−仁徳天皇・宇治皇子(応神の皇子・仁徳の弟)・宇礼姫(?)・久礼姫(?)
             男山八幡宮・鵜木神社・愛宕神社・白石神社・山祇神を合祀(近郷各処からの合祀らしいが詳細不明)
 ・末社−十八神社−−諸神を合祀するらしいが、案内板摩耗のため祭神名判読不能
      天社地社−−天社(国之常立神から伊耶那岐・伊耶那美までの神代七代を祀る)
               地社(天照大神から鵜茅草不葺尊までの地神五代を祀る)
               早風社(大人隼人−神格不明)を合祀


摂社・四所宮

末社・十八神社

末社・天社地社

※蒲生のクス
 社殿の左手にクスの巨樹がある。「蒲生のクス」と呼ばれるご神木で、大きな幹には注連縄が巡らされている。

 幹廻り24m・高さ33m・樹齢1500年、幹内に直径4.5m(8畳敷)の空洞をもつ巨樹で、昭和63年の環境庁巨樹・巨木調査で日本一の巨樹に認定されたという(国指定特別天然記念物)

 当社HPによれば、この地に宇佐八幡宮が勧請された以前から、神木・「蒲生のクス」として祀られていたとあり、
 又、当社に伝わる伝説では、“僧・道鏡を皇位につければ天下は平らぐ”との宇佐八幡神の神託が偽神託であると奏上したため、大隅に流された和気清麻呂が当地を訪れ、手にしていた杖を地面に刺したところ、それが根付いたものという。

 清麻呂の大隅配流は神護景雲3年(769)のことだから、今から1240年ほど昔のことになり、樹齢1500年と推察される巨樹にかかわる伝承としては、そう無茶な話ではないが、当社が八幡宮であることから、宇佐八幡に関係する和気清麻呂を付会した伝説とも思われる。
蒲生のクス

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