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水 無 神 社
岐阜県高山市一之宮町
祭神--御歳大神
                                                      2.13.09.26参詣

 延喜式神名帳に、『飛騨国大野郡 水無神社』とある式内社で、飛騨国一の宮。社号は“ミナシ”と読む。俗称“スイム”。

 岐阜県北部・飛騨高地の略中央に聳える位山(クライヤマ・H=1529m)の北東約7km、位山から東に連なる山系の北側山麓を流れる宮川(富山県に入って神通川となり日本海へ至る)の右岸に鎮座する。

※由緒
 境内に掲げる「飛騨一宮水無神社略記」によれば、
  「神代の昔より表裏日本の分水嶺位山(クライヤマ)に鎮座せられ、神通川・飛騨川の水主(ミヌシ)、また水分(ミクマリ)の神と崇め、農耕・殖産祖神・交通の守護(道祖神)として神威高く、延喜式飛騨八社の首座たり。
 歴代朝廷の崇敬篤く、御即位・改元等の都度、霊山位山の一位材(イチイザイ)を以て御用の笏(シャク)を献上する。
 明治維新、国弊小社に列し、旧来より飛騨一ノ宮として国中の総社なり。
 飛騨はもとより、美濃・越中・木曽に及んで分社・縁社二十余社を有する」
とあり、
 頂いた「水無神社の概要」(以下・概要という)には、
  「古来、飛騨国一の宮として名高く、創建年代は神代にありと社伝にもあるが詳ではない。
  史上にあらわれるのは平安初期・貞観9年(867)神位を授けられた記事にはじまる。
  中世鎌倉時代には社領は付近十八村に達し、社家12人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。
  江戸時代に入って、歴代の領主・代官・郡代の尊崇(天領時代)をうけ、また、一般庶民の厚い信仰にささえられ、明治4年に国弊小社に列せられ、・・・」
とある。

 概要には、「社伝によれは、創祀年代は神代と伝えるが・・・」というが、創建年代は不明。
 当社は、位山を神体山・神奈備山とする古代信仰(山中には幾つかの巨石・磐座があるという)に発し、生きて行くに必要な生活用水・農業用水を与えてくれる宮川を、水主の神(ミズヌシ・ミヌシ)・水分の神(ミクマリ・水の分配を司る神)として祀ったのが始まりであろう。

 当社の社名・水無(ミナシ)について、従来から
 ・祭神・ミヌシ(水の主)から転じたとする説
 ・宮川が社前で伏流(地下にもぐった流れ)することから、水無川(ミナシカワ)と呼ばれたとする説
の2説があるというが(式内社調査報告)
 宮司さんにお聞きしたところでは、大略
 「明治初年、当社が国弊小社に指定されるとき学者たちが多くの史料等を調べたが、ミナシの根拠は見つからなかった。
 今は、水主(ミヌシ)が水成(水を成す・生成する-ミズナシ・ミナシ)に転じ、その音・ミナシに水無の字を充てたのではないかとの説が有力」
とのことで、ミナシとは“水が無い”ことではなくて、“水を成す・生成する”との意ではないかという。
 とすれば、中部山地の分水嶺に鎮座する当社に似つかわしい社名といえる。
 また「宮川の水が“地下に潜って(伏流)川床に水がなくなることから”ともいう。確かに、今も宮川の水が、時に伏流化して川底がみえることもあるが、一時的なもので、これは俗説であろう」
とのことであった。

[追記]
 大林太良氏の「私の一宮巡詣記」(2001)によれば、水無については幾つかの伝承があるという。以下抄記する。
*一宮巡詣記(橘三喜著・1697)
 「欽明天皇御宇、此の川にて人多くそこねしかば、神力を以て宮のめぐりの川筋五町水引、河原に成りで村々の通路たやすくなれり。水は地の底を通りて末は又河水顕る。此の謂れを以て水無と改む。神変不思議のためしを末世に伝えんとの名也と云」
*北道遊簿(長戸譲・1829)
 「俗に云、往昔本村大幡寺開山和尚尚、禅石の上に座す。時に一老翁有り、就いて密法を聴く。去るに臨んで曰く、我は一宮神也、何を以てか之に報んと。和尚曰く、我求むる所無し、但し此間水声喧豗(ケンカイ)、我諷経を乱す。願わくば之を遏(ト)めよ。此より宮川忽然として慘枯し、境を過ぎて又流る。因って此目(ナズケ)有りと。妄想誕笑ふ可」
*伝説1
 「昔、松橋の付近で狭い峡で、宮川を塞き止めていたため、御旅山のあたりは深い淵をなし、宮山は一面のアワラ(沼地)になっていた。一ノ宮の神さまがアヂメに命じて、この峡を抜かせたところ、御旅山がぽっかり浮かび、アワラ一面の碩になった」
*伝説2
 「水無神社の神が、宮川の水流の響きを嫌い、アヂメに命じて、その音を止めさせたので、アヂメは社前一キロの間の水流を川底に潜らせたいう」
 (アヂメ--泥鰌に似てやや白く斑点のある小魚で、古来神職や氏子は神使としてこれを食べないという)
  追記了

 当社の北を流れる宮川は、当社の南西約7kmに位置する位山を水源として当社北側を東流する川で、その後北流して神通川(富山県での呼称)となって日本海へ注ぎ、南に発する群小河川は飛騨川本流から木曽川へと合流して太平洋に注ぎ、当社は中部山岳地帯の分水嶺に立地している。

 宮川の源流・位山は古くからの霊山で、水主の神が坐す神体山として崇められ、今、当社の奥宮があり(栞)、山中3ヶ所に巨石群があり“天の岩”と呼ばれているという(日本の神々9)

 この位山には一位(イチイ・櫟)の原生林があり天然記念物という(今は解除されたともいうが不詳)

水無神社・奥宮
(栞より転写)

 当社は今、飛騨国一の宮と称しているが、社伝によれば、その時期について
  「天平勝宝年間(749--57)、飛騨国造・高市麻呂の上奏によって一の宮と定められた」
という(日本の神々9・1987)
 これは、当社が8世紀中頃にはあったことを示唆するものだが、それを確認できる史料はない。
 
 ただ一の宮とは、国司が任国に着任して最初に参詣して奉幣する神社との理解からすれば、最初に任じられた飛騨国司が大同5年(810)の藤原貞本とされること(ネット資料・Wikipedia)
 また、一の宮が一般化して全国に広まったのは10世紀から11世紀にかけて
といわれることから、社伝がいう8世紀中葉の一の宮指定には疑問がある。

 飛騨国造・高市麻呂とは、続日本紀・聖武天皇天平勝宝元年(749)5月条に、
  「飛騨国大野郡大領・飛騨国造高市麻呂が、当国の国分寺に寄進物を献上したので、外従五位下を授けた」
とあり、同・神護景雲2年(768)2月条に、
  「外従五位下飛騨国造高市麻呂と橘部越麻呂をそれぞれ造西大寺判官(長官・次官に継ぐ官職)に任じた」
とあることから(所謂飛騨匠の統括者としての任用であろう)、実在していたことは確か。

 因みに、飛騨国造とは、先代旧事本紀・国造本紀(9世紀前半)に、
  「斐陀(飛騨)国造 成務朝の御世、尾張連の祖・瀛津世襲命(オキツヨソ・火明命5世の孫)の子・大八椅命(オオヤツキ)を国造に定めた」
とあるが、同・天孫本紀に記す尾張氏系譜では、
  「天火明命(アメノホアカリ)十世孫・大八椅命 甲斐国造等の祖 (9世)彦与曾命(ヒコヨソ)の子」
とある。

 これからみると、飛騨国造家は、オキツヨソ命に連なる尾張氏の一族ではあるが、オオヤツキ命の父(9世)彦与曾命が(8世)倭得玉彦の末子であることから(天孫本紀)、直系ではなく傍系氏族と思われる。
(ただ、オオヤツキ命について国造本紀ではオキツヨソの子、天孫本紀ではオキツヨソ5世の孫と異なっている。又、国造本紀には、甲斐国造の祖は日子坐王系の塩海足尼とあり、上記“甲斐国造らの祖”とは“飛騨国造の祖”の誤記と思われる)

 飛騨国造一族は、宮川流域(現高山市・飛騨市一帯)を本拠として旧飛騨国一帯を支配したといわれ、中世までの当社宮司が飛騨国造の後裔と称する一宮氏であったことから(戦国時代、武家化するも末期に滅亡)、当社の創建には国造一族が関与(氏神社としての造営か)したとも思われるが、それを窺わせる史料はない。

 当社に対する神階授与記録として、式内社調査報告には
 ・文徳天皇仁寿元年(851)従六位上に叙せられ・・・」(文徳実録)
とあるが、文徳実録・仁寿元年正月条には
  「庚子 天下の諸神に詔し、有位無位を論ぜず、並に従六位上を叙す」
とあり、これを以て、“水無神従六位上に叙せらる”というのだろうが、厳密にいえば、そこに水無神との神名はない。
 その後の記録としては、三代実録に
 ・清和天皇・貞観9年(867)--従五位下→従五位上(10月5日 飛騨国従五位下水無神従五位上を授く)
 ・  同  ・貞観13年(871)--従五位上→正五位上
 ・  同  ・貞観15年(873)--正五位上→従四位下
 ・陽成天皇・元慶5年(881)--従四位下→従四位上
との神階授与記録があり、これらからみて、9世紀にあったことは確かといえる。
 なお、社伝によれば、後円融天皇(北朝)・永徳元年(1381・南北朝時代)に正一位に叙せられたというが、その出典史料名は不明。

 因みに、飛騨国の正史上での初見は仁徳65年条で、そこには
  「飛騨国に両面宿儺(リョウメンスクナ)と称する人がいて皇命に従わなかったので、難波根子武振熊を遣わして誅させた」(大意)
とあり、5世紀中頃には大和朝廷の視野の中にあったと推測される。

※祭神
  主祭神--御歳大神(ミトシ)
  相殿神(13座)-- ・大己貴命(大国主命)・三穂津姫命(大己貴=大物主の妃)
              ・高照光姫(大己貴の娘)・高降姫命(大己貴の妃・高照光姫の母)
              ・須沼比女命(大己貴=八千矛命の妃)・少彦命(少彦名神、農耕・医療の神・大国主とともに国造りをしたという)
              ・大歳大神(素盞鳴の子で御歳神の父)
              ・天火明命(尾張連・飛騨国造の始祖)・大八椅命(天火明10世の孫・飛騨国造の祖)
              ・神武天皇・応神天皇・天照皇大神・豊受姫大神

 主神・御歳神(御年とも記す)とは、古事記にのみ出てくる神で、スサノヲの御子・大歳神(オオトシ・大年とも記す)の御子という(古事記に、大歳神が香用比売-カヨヒメ-を娶って生んだ子とある)
 古く、大歳・御歳の“トシ”(歳・年)が“穀物の稔り”を意味することから、この両神は“穀物(特に稲)の豊作をもたらす神”(穀神)という(大歳神は穀物全般に、御歳神は特に稲の豊穣にかかわるともいう。なお、古語拾遺には御歳神と農耕祭祀にかかわる神話がある)

 ただ、当社に対する神階授与記録が全て“水無神”とあることをみれば、当社本来の祭神は宮川に坐す水神(水無神)とみるべきだろう。
 しかし、穀神は農耕に必要な水をもたらす水神でもあることから、時期は不明ながら、水無神という自然神(水神)に変えて、古事記にいう穀神・御歳神を祭神としたものと思われる(記紀編纂以降、それまでの祭神・氏神を記紀にいう神々に変更し、神社の社格をあげ、且つ宮中における氏族の地位向上・保全を図ったと思われる事例は多い)

 日本の神々9によれば、
  「明治元年(1868)8月、神祇官より『祭神不分明に候はば社号を以て神号相唱え候の儀然るべき事』との指令があったが、内部省の特選神名牒(明治9・1876)には、水無神社・祭神御年神とある。・・・」
とあり、朝廷では祭神は水無神との理解もあり、混乱していたことを示唆している。

 なお、当社摂社中の一社・中島社の祭神は、水神である天之水分神(アメノミクマリ)・国之水分神(クニノミクマリ)という。
 この神は、流水の分配を司る水分神(ミクマリ)であることから、分水嶺を流れる宮川の水神の固有神名として相応しく、主神としてもおかしくないが、著名な神でないことから、より著名な穀神・御歳神に主神の座を奪われ、摂社に貶められたとも推測される。

 相殿神は大きく、①大己貴命系(大己貴~少彦)・②御歳神系(大歳)・③飛騨国造系(天火明・大八椅)・④その他(神武~豊受姫)の4っに分かれる。
 ①の大己貴命系は、出雲から越国まで広がっていた大己貴信仰を背景に、記紀神話における地祇の頭領として祀られたと思われるが、そこに大己貴の妃や娘が加わった由緒は不明。
  なお、大己貴と少彦命とは血縁関係にはないが、共に国造りをしたということで(大己貴の分身ともいえる)、このグループに入れたが、この神と当地方との関係はみえない。
 ②の大歳神が主神・御歳神の父神ということからみて、当社に祀られてもおかしくはない。
 ③飛騨国造系、当社の創建に国造家がかかわっていたとすれば、始祖・天火明命あるいは祖・大八椅命を主神としてもおかしくない。
 ④の神々と当社・当地方との関係はみえず、祀られる理由は不明。

 これらの神々を祀る由緒ははっきりしないが、主神との関係、何らかの伝承、時代の要請などによって祀られたものであろうが、詳細不詳

[追記]
 上記・私の一宮巡詣記は、当社祭神は書紀にいう両面宿儺(リョウメンスクナ)に関係するのではないという。
 両面宿儺説話とは、書紀・仁徳65年条にいう
  「飛騨国に宿儺という人があり、体は一つで二つの顔があった。顔は背き合っていて頂は一つになりウナジはなかった。それぞれ手足があり膝はあるがヒカガミ(膝の後ろの窪み)はなかった。力は強く敏捷で、左右に剣を佩いて四っの手で弓矢を使った。
 皇命に従わず、人民を略奪するのを楽しみにしていたので、和爾臣の先祖・難波根子武振熊を遣わして殺させた」
というもので、皇命に従わない逆臣とされている。

 これに対して、当社及び当地には、両面宿儺が武振熊命と闘い高沢山で討ち死にしたとの伝承はあるものの(益田郡金山町)、「飛騨の伝承の多くでは両面宿儺は決して悪者ではない」として、
*斐太後風土記(1873)引用・荏野冊子
  「水無神社は国府より二里余り、本社神武天皇といへり。・・・此山を位山と云ふこと、神武天皇へ王位たもちたまふべきことを、此山の主とた、身一にて面二、各手足あるなるが、名は両面四手といふ。雲の波を分け、天船に乗って来れり。此山にして其事を授け給ひしより位山といへり」
として、両面宿儺は神武天皇を皇位に就けた神だという。
 また
*飛州志引用の神主家説
  「位山に七儺という鬼が住んでいて人々を苦しめた。天皇は両面宿儺に命じて退治させた。
*飛騨神社総座考
  「里人曰く、此の国にあらぶる神ありしを、水無神、筑紫よりいでまして言向けたまひ、飛騨国の真中なりとて位山の麓、水無の村に鎮座せり。故に今にツクシコヒシと呼ぶ鳥ありなどいへり」
*飛騨志(大野郡宮村伝承)
  「位山に七儺という鬼が住んでいて人々を苦しめた。天皇は両面宿儺に命じて退治させた」
*金山町誌(益田郡金山町伝承)
  「両面宿儺が雲中を飛行し、金山の小山が最も清浄な山であると云って、三七日つまり21日の間、大陀羅尼を唱え、国家安全・五穀豊穣を祈願して、神保の高沢山へ飛行した」
*郷土史壇(武儀郡武儀町伝承)
  「仁徳天皇の頃、下保郷村高沢山に毒竜が棲んでいて人々を苦しめた。そのころ飛騨国に、顔が頭の両面にあり、手四本足四本という宿儺がいて、この村に来て毒竜を殺して村民を救った」
といった伝承があり、一宮巡詣記は
  「これらの伝説では、両面宿儺は悪者どころか毒竜を退治してくれた恩人である。
 私の想像では、両面宿儺は飛騨の地主神であって、これが水無神社の最初の祭神であったろう。
 それが外(筑紫か何処か)から新しい支配者が乗り込んできて、飛騨国を征圧し、宿儺は新しい支配者に支配権を授け、ないし支配権を容認し、祭神も新しい支配者の神に変わってしまったのであろう」
などの伝承を記している。
 古い在地の神が、外から来た新来の神に主神の座を追われた事例は多く、それが両面宿儺かどうかは別としても、祭神の交代は有りうることといえる。

※社殿等
 社域の北西方を流れる常泉寺川(宮川に流入する支川)を渡り(橋名:神橋)、大鳥居を入って参道を進んだ先、一段高くなった処が境内で、正面に拝殿(切妻造・銅板葺)が建ち、左右に廻廊が延びる。
 拝殿奥は周囲を廻廊を巡らした本殿域で、その正面に本殿(入母屋造・銅板葺)が見える(中には入れない)
 社殿は、いずれも北西方を向いている。

 
水無神社・鳥居
 
同・拝殿
 
同・境内正面

同・本殿 
 
同・本殿域(回廊に囲まれた正面が本殿)

◎攝末社
 概要には
 ・末社  延喜式内外18社及び国内24郷の産土神、一宮稲荷・白川社
とあり、式内社調査報告には
 ・摂社--神明社(天照皇大神)・天神社(菅原道真)・中島社(天之水分神・国之水分神)・稲荷社(宇迦之御魂神)
 ・末社--白山社・左右廻廊に飛騨国内外の初神88社を祀る
とあるが、一宮稲荷(参道脇にある)・白山社(下記)以外の諸社の所在は不明。廻廊の何処かに祀られているらしい。

◎白山神社(末社)

 祭神--菊理姫命(ククリヒメ)

  参道の右手、石積壇上にある小祠。

 傍らの案内板には、
  「霊山白山(1702m)飛騨側山麓にある白川村は合掌造りの里として世界遺産に登録されているが、その白川村大字・長瀬と福島の両地区が、昭和32年(1957)御母衣電源開発によりダムの湖底に沈むこととなり氏子離散したので、それぞれの集落にあった氏神・白山神社を飛騨国一宮(総座)の地に御遷座、両神社を合祀して白川神社として創建した」(大意)
とある。

◎神馬舎

  大鳥居を入ったすぐの右手にある小舎。中に木彫彩色の白馬と黒馬が納めてある。
 傍らの案内板には、
  「代情山彦集と宮村史によれば、白馬は安永9年(1780)再製寄進されたもので、元は黒馬であり数回塗り替えられているとのことである。この馬が稲喰い馬ではないかと記されています。
 黒い馬は眼が刳り抜かれたようになっていて、鞍掛馬と記されています。
 史実はともあれ、民俗学的にみて昔から語り継がれた有形民俗文化財で、価値あるものです。
 毎年の例祭(5月2日)では、御旅所から帰られる神輿をお迎えに引き出されます」(大意)
とある。  

神馬舎

祈晴の神馬
(白駒)

祈雨の神馬
(黒駒)

 また、概要に記す伝承では、黒馬は左甚五郎作とされ、秋の刈り入れ時になると毎夜田に出て稲を食い荒らすので、両眼を刳り抜いたという。

 旱魃時の雨乞い祈願、長雨時の止雨祈願に馬が奉献されるのは、洋の東西を問わず古くからの慣習で、わが国正史上では、書紀・皇極元年(642)7月25日条に「旱天が続いたので、村々の祝部の教えに従って、牛馬を殺して諸社の神に祈ったり・・・」とあるのが初見。
 その場合、京都・貴船神社要誌に、「嵯峨天皇・弘仁9年(819)以降、歴代天皇は勅使を派遣して、旱天時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて降雨・止雨を祈願した」とあるように、降雨祈願には黒馬が、止雨祈願には白馬が奉献されたという。
 これは、黒馬の黒が黒い雨雲を呼び雨を降らせ、白馬の白が黒雲をはらい晴天を呼び寄せるとするもので、類感呪術という。

 なお境内には、
 ・安永2年(1773)の飛騨一円を巻き込んで起こった農民一揆に際して当社が最後の砦(集会場)となり、神主や村民が処刑されたことを供養する石碑及び両神主の墓、
 ・島崎藤村の“夜明け前”の主人公・青山半蔵のモデルとされる当社元宮司・島崎正樹(藤村の父)の歌碑
 ・幹がねじれた桧の枯れ木・“ねじの木”
などがある。

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