トップページへ戻る

高 瀬 神 社
三重県伊賀市比土
祭神--高瀬神
                                                       2018.03.28参詣

 延喜式神名帳に、『伊賀国伊賀郡 高瀬神社』とある式内社だが、今は神戸神社(伊賀市上神戸)の飛地境内社となっている。

 近鉄大阪線・伊賀神戸駅の南南東約850mに鎮座する。
 駅東の最初の踏切を南へ渡り、緩やかな坂道(一本道)を道なりに南へ進み、突き当たった伊賀ゴルフ場手前の坂道を東(左)へ下り、集落(集落名不明)に入った左手すぐに鎮座する。徒歩約30~40分。隣接して蓮花寺がある。

※由緒
 社頭の案内には、
   飛地境内社  延喜式内社  高瀬神社
   由緒
    明治40年(1907)11月 大字比土無格社津島神社・金比羅社・愛宕社・市杵島姫社を合祀す
   明治41年(1908)1月  村社蔵鍵社(クラカギ)を合祀
   大正10年(1921)    神戸神社(カンベ)に合祀 境内社となる
とあるだけで、創建由緒・年代等は不明。社務所らしきものもない。

 当社に関する近世以降の古資料として
 ・伊水温故(1684)
   延喜式25社の一 高瀬社 祭所は太田命白鬚同躰なり 猿田彦とも云 世に鎰取明神(カギトリ)と号す
 ・伊賀国誌(1699)
   伊賀郡比土村字高瀬代に在り 高瀬神を祀る一説猿田彦命 一に蔵鍵神社と称す 社記伝はらず其詳を知るなし
 ・神名帳考証(1733)
   高瀬村に在り 地志に猿田彦也と云是白鬚同躰也 世に鎰取神と号す
 ・三国地誌(1763)
   延長風土記曰く伊賀国高瀬里 高瀬明神と号す 祭所太田命也
   比土村の小邑高瀬に坐す 俗に蔵鍵神社(クラカギ)と称す 社伝詳ならず
 ・伊賀国式内社考(刊行年不明)
   高瀬神社 比土村属邑高瀬に在り、里人蔵鍵大明神と号す是也
などがあるが、ここでも由緒等は不記載。

 式内・高瀬神社の鎮座地について、式内社調査報告(1990年版)には
 ・地元での聞き取りによれば、現在の所在地は後に選定された社地で、元は、今 蔵鍵社の小祠がある前谷の地であったと伝えられている
 ・宗国史(1751)によれば、比土村には蔵鍵大明神・十二社権現の二社があったといわれ
 ・また地元では、十二所権現社が元々の社との言い伝えがあり
 ・当社所蔵の棟札にも「十二社権現宮建立・・・」とあることからみて、当社が鎮座する地は元十二社権現が鎮座していた所で、明治以降の社地選定にあたって、十二社権現を高瀬神社として比定した可能性がある
とある。

 また、三重県神社誌(1926)
  按に、鑰取明神或は蔵鍵明神と称す、比土の属邑高瀬の産土神にして、即ち、伊水温故以下諸書の等しく高瀬神社に擬するものなり。
  字高瀬代にある一社を高瀬神社に宛るの説は、伊賀国誌(1699)に記する所で、何に拠れるやを知らず。且つ之を蔵鍵明神と混せり。
  蓋し明治以降の考証にかかるものにして、寧ろ旧説を以て勝れるとせん
として、現在の高瀬神社が本来の式内社かどうか疑義を呈しているが、旧説が何を指すのかは不明。

 これらによると、当社はその鎮座地を含めて鑰取明神社あるいは十二社権現社との関係ははっきりしないが、明治末期にこれら近傍小社を合祀したことから、混乱が起こったものと推測される。

 なお、当社は今、神戸神社飛地境内社となっているが、本社である神戸神社(伊賀市上神戸・祭神:大日靈貴命)の由緒には
 ・当社には飛地境内社・高瀬神社を有す。此社は大字比土高瀬代1972番地にして高瀬大明神鎮座す
 ・明治41年、字前谷2241鎮座の村社蔵鍵社祭神・猿田彦神をはじめ四柱の神を合祀したるも
 ・大正10年8月23日神戸神社飛地境内社となり、所定の祭祀を受くるに至れり
とあり、蔵鍵神社他を合祀したというのみで、肝心の高瀬神社についての記述はない。

 これらからみて、当社創建由緒・時期・沿革等いずれも不詳な点が多い。


※祭神
 社頭の案内には
  祭神  高瀬神・建速須佐之男神・猿田彦神・大物主神・火之迦具土神・市杵島比売神
とあるが、高瀬神が主祭神であろう。

 近世の古資料には、主祭神として
 ・太田命白鬚同躰 猿田彦とも云--伊水温故(1684)
 ・猿田彦命白鬚同躰--神名帳考証(1733)
 ・太田命--三国地誌(1763)・神社覈録(1870)
 ・高瀬神 一説に猿田彦命--伊賀国誌(1751)
 ・高瀬神--特選神名牒(1876)・三重県神社誌
などがあり、古くは太田命あるいは猿田彦命としていたらしいが、神戸神社由緒によれば、猿田彦命は合祀された蔵鍵神社の祭神であって当社本来の祭神とはしがたい。

 太田命とは、伊勢神道の基本経典・神道五部書(鎌倉時代)の一・倭姫命世紀に、倭姫命が、アマテラスの鎮座地を求めて各地を還幸し伊勢に至ったとき、
 「猿田彦神の裔・宇治土公(ウジノツチキミ)の祖・太田命が参上したので、『汝が国の名は何ぞ』と問うと、『さこくしろ宇治の国』と申しあげて、御止代(ミトシロ)の神田を献上した。
 倭姫命が『吉き宮処あるや』と問うと、『さこくしろ宇治の五十鈴の河上は、大日本の国の中にも殊勝なる霊地あり。その中に、翁三十八万歳の間にも未だ視知らざる霊地あり。・・・」
として、アマテラス鎮座の地として五十鈴川の川上の霊地を献上した地主神としてでてくる(“さこくしろ”は宇治に懸かる枕詞)

 猿田彦神とは、記紀によれば、天降る天孫・瓊々杵尊を筑紫の高千穂まで先導し、その後伊勢に帰った国つ神として登場するが、神道五部書の一・御鎮座伝記での猿田彦神は
 「吾是天下の土君也 故に国底立神と号す」
と、天下の土君すなわち日本全土の地主神であると名乗っており、太田命はその後裔という。
 
 また、伊賀国風土記逸文・国号の由来では、
  「伊賀の里  猿田彦神が始めこの国を伊勢の加佐波夜(風速、カザハヤ)の国につけ、そして二十余万年の間 この国を治めていた。・・・
  この神が治め守った国であるので、吾娥(アガ)の郡といった。・・・後に伊賀と改めたのは吾娥という発音が転訛したものである」
として、猿田彦神は20余万年にわたって伊賀国を治め守った地主神だという。

 今の主祭神・高瀬神とは、特定の神ではなく当地の産土神すなわち地主神を指すと思われ、その具体の神名として猿田彦神(亦は太田命)を充てたのかもしれない。

 なお、太田命・猿田彦に白鬚同躰との注記がある。
 この白鬚とは、比叡山東麓(琵琶湖西岸)に鎮座する白鬚神社の主神・白鬚の神(白鬚明神・比良明神ともいう)のことで、謡曲・白鬚によれば、白鬚明神は、仏法弘布の霊地としたいのでこの地を譲ってほしいという釈迦如来に対して、
  「吾は人寿六千歳の昔から、この地の主として、琵琶湖が七度まで葦原に変わるのを見てきた。この地を譲れば、釣りをする処を失ってしまうから、譲ることはできない」
として、吾は悠久の昔からこの地(比叡山東麓)に居た地主神だと主張して釈迦の申し出を断っている(その後、現れた薬師如来の取りなしで合意している)
 その白鬚明神が猿田彦神・太田命と同躰というのは、両者がもつ地主神という神格からであろう


※社殿等
 道路脇、植え込みに挟まれて鳥居が立ち、その奥、境内正面に向拝をもつ入母屋造妻入りの拝殿が、その奥板塀に囲まれた中に一間社神明造の本殿が鎮座する。
 本殿・拝殿以外に建物なく、神戸神社の飛地境内社という位置づけからか、式内社後継社としては寂しい神社である。


高瀬神社・鳥居 
 
同・拝殿
 
同・本殿
 境内に“山神”と刻した丸石と、墓石状の石碑がある(右写真)

 山神とは所謂・山の神で、春に山から下って田の神として農作業を見守り、秋に豊穣を見届けて山に帰るとの俗信があり、豊穣祈願のために祀られたかと思われるが詳細不詳。
 右に立つ石碑は、刻文が青面金剛(セイメンコンゴウ)と読めるから、昔の庚申講(コンシンコウ)の名残かもしれない。 

トップベジへ戻る