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拝 火 壇

 ナクシュ・ロスタムを左に回り込んだ岩山の麓、一本の灌木もみえない荒々しい岩山の麓を巡る道沿いの、高さ1m強の岩塊の上に、岩山に溶け込むかのように、ササーン朝時代のものといわれる【拝火壇】が2基並んでいる。
 また、右手後方の山上にも拝火壇らしきものが小さくみえる。
 山麓の拝火壇、あるいは山上・山麓2ヶ所の拝火壇で燃やされる火の前で、神聖な祭祀儀礼がおこなわれたと思われる。

 山麓の拝火壇の形は、下すぼみになった角形のコップを伏せたような形で、角形のコーナーには柱が彫りだされている。
 上部には、火床とおぼしき窪み(方形と円形)があり、ここで火が燃やされたらしい。我々の理解では、方形は大地を、円形は天を表すというが、この方形と円形が何を表すかは不明。


拝火壇・全景 
 
拝火壇・正面

 旅の途上、拝火壇といわれるものを遠幾つか望した。
 その一つ、イスファハーン郊外のアーテシュガーでは、道ばたの小高い岩山の上に小さい廃墟があった。ゾロアスター教の神殿跡といわれ(ササーン朝時代)、その一角(写真の左端)に煉瓦造・円筒形の構造物が立っている。
 塔には縦長の窓らしいものが幾つか開いているのみで、内部の構造はわからないが、その中に拝火壇があっかと思われる。

 ヘロドトスは、
  「ペルシャ人は天空全体をゼウス(神アフラ・マズダーをギリシャ神話の最高神ゼウスに当てたもの)と呼んでおり、高山に登ってゼウスに犠牲を捧げて祈るのが彼らの風習である。また彼らは、日・月・地・火・水を祀る」(歴史)
と記している。
 ここで“高山に登って云々”というのが、山上の拝火壇における“拝火壇祭祀”を指すのかもしれない。

 
アーテシュガーの神殿跡・全景
 
同・山頂部拡大 

 ゾロアスター教は、俗に“拝火教”と呼ばれるように“火”を神聖なものとして崇めるという。
 しかし、火の崇拝は古くからのもので、古代にあって、火は神あるいは神に連なるものであった。それは、“火の起源”に関する神話が世界各地にあることからも窺われる。
 古代の生活にとっての火は、寒期には暖をとる源であり、食べ物を料理する手段でもあった。竈(炉)の火を絶やすことは戌ことであった。
 そんな火を崇める火の祭祀は印欧語族の中で広くゆきわたり、燃え上がる炎に供義を捧げることは祭祀の基礎であった。

 火の祭祀とは、火を燃やしつづけることであり、その火を燃やしつづける装置が拝火壇である。人々は、炎を上げる拝火壇を前にして、その奥に坐す神に祈りながら火を燃やしつづけたであろうし、その原点は、個人あるいは家族のための“炉の火”であったろうという。

 アケメネス朝になると、火は高い台の上で燃やされるようになり、とともに、中東から国家的な宗教儀礼や王の尊厳性が伝えられ、王の前にある火にも威厳が与えられるようになった。ナクシュ・ロスタムから出土したダリウス大王像の前に描かれている拝火壇(大王の火)がそれである。

 しかし、パサルガタイにしろペルセポリスにしろ、神殿・寺院とおぼしき建造物がまったく見あたらないことから、火の祭祀は屋外でおこなわれていたのかもしれない。ただ、大王の火のみが宮殿の中に置かれ、大王の尊厳の証として、荘重なる祈りのなかで燃やされたとも思われる。

 ササーン朝になると、ゾロアスター教は、それまでの地域毎の集団あるいは個人による信仰に代わって、帝国の権威を背景とした教団へと変貌していく。シャープル一世によるゾロアスター教の国教化である。
 それに伴って、王の火もまた“国家の火”として重視され、ササーン朝の諸王は、荘厳な台座の上に燃える王の火を、権威の証として貨幣にも描かせるようになる。

 ササーン朝では、この王の火に加えて他にも2種の火があったという。
 特定の神あるいは人(王家の一族)などに捧げられた“偉大な火”と、特定されない唯の“火”で、後者は“定められた場所の小さな火”とも呼ばれ、普通の教徒たちによって個々に燃やされたという。

 ナクシュ・ロスタムでみた拝火壇、アーテシュガーでの山上の拝火壇が、どれに当たるかは不明だが、ロスタムの近くにササーン朝諸王の顕彰浮彫があることから、前者は“偉大な火”と呼ばれるものかもしれない。

 ゾロアスター教は拝火教と呼ばれるように火を崇拝するが、そこでの火は神ではない。火は、あくまでも神を称え神に祈るための手段であり、神は燃えさかる炎の向こうにあって、火によって浄められた祈りをうけるという。

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