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*イラン紀行から、2005.04.06訪問

ペルシャ/聖地ナクシェ・ロスタム

 ペルセポリスの西北約6q・ナクシェ・ロスタムにある直立した岩山の中腹には、時代を異にする3っの遺構が集まっている。
 その中心がアケメネス朝の【磨崖墓】4基で、ついでササーン朝の【磨崖浮彫】、そして時代も用途もはっきりしない【方形建物】(ゾロアスターのカアバ)である。
 ここでは磨崖墓とゾロアスターのカアバについて概説する。

磨崖墓(王墓)
 通称【磨崖簿】と呼ばれる4基の遺構は、アケメネス朝・ダリウスT世以下4人の王墓で、垂直にそびえ立つ大断崖に穿たれた王墓は、向かって左から7代・ダリウスU世(BC24〜405)、5代・アルタクセルクセスT世(BC465〜424)、3代・ダリウスT世(BC522〜486)、鍵型に曲がって4代・クセルクセスT世(BC486〜465)の墓という(並び方については異説あり)
 ただ、即位45日目に暗殺された6代・クセルクセスU世の遺体は、父アルタクセルクセスT世墓に葬られているから、4基5王墓ということもできる。

 これらの王墓は、いずれもダリウスT世のそれを踏襲した形で、細部までほとんど同じ形をしている。
 また、当地は、エラム時代からの古い聖地だったといわれるが、アケメネス朝ペルシャの最盛期を統治した王たちの奥津城(オクツキ)である。

 
磨崖墓・全景(入口より)
 
同・近景
(左:ダリウスU世墓・右の建物はカアバ

ダリウスU世墓 
 
アルタクセルクセスT世墓
 
ダリウスT世墓
 
クセルクセスT世墓

 いずれの王墓も、屏風のように切りたった高い崖面を十字形に彫りこんだもので、その水平軸には宮殿正面を模した4本の柱が立ち、真ん中に奥の玄室への入口が穿たれている。

 十字の縦軸上部には、玉座の王が左手で弓を突き立て、右手を軽く挙げて祝福のポーズをとっている。

 王の前には炎をあげる拝火壇が、その上には神・アフラ・マズダーを象徴する有翼円盤が彫りこまれ、その間に、
  「ダリウスは、神アフラ・マズダーから王権を授けられたことを感謝し、王国と王家への神の加護を願い、天命に従って正道を歩む。云々」
との碑文が刻まれている。

 玉座の下には、上下2段に並ぶ28人の人物が両手で玉座を支えている。これらの人物はペルシャ帝国の支配下にあった民族(国々)を表すという。 

上部の浮彫

 また、これら浮彫の左右には人物像が3人ずつ縦に並んでいる。ダリウスの即位を助けた6人の大貴族を表し、且つ神アフラ・マズダーを支える6人の大天使(アムシャ・スプンダ)を意味しているという。

 これら浮彫の主題は、ダリウスが神の代理者として地上を支配する王で、その王が神アフラ・マズダーの象徴である聖火の前で、大天使にも対応する6人の大貴族たちに囲まれて国の繁栄を祈る、という極めてゾロアスター教的なものである。
 また、このような断崖の高所に墓を設けるのも、聖なる大地を死者の遺体で穢さないというゾロアスター教の教義に基づいた葬法という。

 崖に穿たれた墓の内部を見ることはできない。
 資料によれば、入口を入ると横長の前廊があり、その奥に天井の低い玄室が3室並び、その各々に3個の石棺が安置されているという。この3室9石棺という構成が何を意味しているのか謎である。
 王と共に葬られた殉死者との説もあるが、9個の石棺が規模・様式とも同じということから否定されている。
 ただ、インドにおけるゾロアスター教徒・パールシーに伝わる聖典にに記す“浄めの儀礼”が、3所9穴の施設でおこなわれるということからみて、死者の穢れをあの世に持ちこまないための浄化儀礼を象徴するものかもしれない、という。

 この世とあの世との通過儀礼に3段階の過程を設けるのは、仏教にいう“四有”(シウ)の概念に通ずるともいう。
 四有とは、人間は本有(ホンヌ、生きている状態)→死有(シウ、死の瞬間)→中有(チュウウ、生と死の中間)→生有(ショウウ、蘇りの瞬間)を繰りかえしながら輪廻転生するという概念で、
 王墓の3室は、この内の死有→中有→生有に当たり、一番目の部屋が死有、2番目の部屋が蘇りを待つ中有の場で、3番目の部屋は生有、王の蘇り・再生の場として用意されたのではないかという。
 ひとつの考え方だが、としても1室3石棺の意味はわからない。

 なお、これらと同じものがペルセポリス遺跡の背後に3基あり(1基は未完成)、遺跡直背のそれはアルタクセルクセスU世墓だという。

ゾロアスターのカアバ

 4王墓の最左、ダリウスU世墓の前に縦長の方形建物がポツンと建っている。
 通称【ゾロアスターのカアバ】と呼ばれる建物で、3層の基壇の上に建つ各辺5〜6m、高さ14〜15もほどで切石積みである。
 3方の壁には2段の窓があり一見して3階建てと見えるが、この窓は飾りである。北壁には14・5段ほどの階段残欠が付き、その上に入口が開いている。復元すると29段ほどあったという。

 外見は3階建てに見えるが、内部は高さ5mほどの一部屋で窓はなく、入口の扉を閉めると中は漆黒の闇だという。
 この闇の中で何がおこなわれたのか、この建物は何なのか。その手がかりは何もないが、建物側面の下部にササーン朝シブルT世の碑文があり、そこには『始原の家』とあるという。

 イランには、
 「イマ王が、大洪水のあとに建てた四角い建造物は、三層になった密閉できる扉のついたものであった。イマ王は、そこで大地に足跡の窪みをつくった。この建物はワル(ワラ)といい、その中には人間の男女・動植物の種子が保存された。内部には梯子があったらしい記述がある。年に一度、この建造物から星辰をみることができた」
との神話があるという。
 この建造物は、旧約聖書にいうノアの方舟と同じく、そこから新しい人間や動植物が生まれ出ることから、始原の家と呼ばれたという。

 これと同形の建物がキュロス大王の古都・パサルガダイにも残っているが、こちらは入口を含む壁のみが補強材に支えられているだけ。
 この建物残欠が何かは不明だが、ゾロアスターのカアバと同じだろうという説が有力という。

 
ゾロアスターのカアバ
   
パサルガタイにある同種の建物


 ゾロアスターのカアバが何時建てられたのかは不明。紀元前6世紀にキュロスが建てたカアバに習って、ダリウスが建てたともいうが、確証はない。
 幾つかの遺構断片から、この地がエラム時代からの聖地だったのは確からしいから、その頃のものかもしれない。

 ゾロアスターのカアバとは何かについては、
 @ゾロアスター教の経典・アヴェスタが納められていた、
 Aゾロアスター教徒が崇拝する聖火の種火を保存した、
 B死体を一時安置するも殯(モガリ)の場、C死せる王の葬送儀礼の場
など諸説があるが、次の説は面白い。
 プルターク英雄伝に
  『アルタクセルクセスU世は、パサルガダイの戦いの女神の神殿で、王としての秘儀を授かった』
との一節があり、その時、王は昔キュロス大王が着ていたマントを着し、干したイチジクの実を食べ、テルミントを囓り、ヨーグルトを飲んだ、という。

 故キュロスのマントを着ることは、偉大なる始祖王の霊異をわが身に付ける儀礼である。
 マントは死せる始祖王の魂の容器であり、それを着用することは新王としての蘇り・再生を意味する。
 またイチジクを食べることは、始原の食べ物を食べて一旦始原の状態に戻って、そこから改めて再生することを意味するという。テルミント・ヨーグルトはわからない。

 これらの伝承からみると、ゾロアスターのカアバでは、その真っ暗な部屋の中に先王の遺体が安置され、その傍らで皇太子が王位を引き継ぐ、そんな即位儀礼がおこなわれる聖殿であったのかもしれない。
 それはわが国の即位儀礼・大嘗祭に相当し、キュロスのマントは大嘗祭で新天皇が伏されるという真床覆衾(マトコオウフスマ)に当たる。
 なお“カアバ”とは“立方体状の建物”を意味し、イスラムの聖地・メッカの中心に建つ方形建物を『カアバ神殿』と呼ぶように、宗教的な建物に使われることが多い。

 磨崖墓背後の岩山の上には、通称“ヘソ石”と呼ばれる上部が凹んだ岩があるという。
 古代にあってヘソ石とは、天と地を結ぶ梯子であり、その地は世界の中心である。その下に、すべての生命が生まれ、帰っていく始原の家としてのカアバがあり、死せる王たちの再生・復活を願った磨崖墓が造られた、ともいえる。

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