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*2005.04訪問

イラン/チョーガ・ザンビル遺跡
エラム王国とジグラット

※エラム王国
 紀元前25世紀頃から同7世紀中頃まで、今のイラン南西部を東西に走るザグロス山脈の南西麓からメソポタミア平野北東部にかけて、『エラム人』と呼ばれる人々がいた。
 彼らは、メソポタミアに興亡したシュメール・アッカド・アッシリア・バビロニアなどの王侯貴族が渇望した貴金属・鉄銅鉱石など、ザグロス山中に産する天然資源の産出・供給を事とするほか、中央アジア・インドといった東方世界とオリエント世界を結ぶ交易にも従事していたという。

 エラム人は、隣接するメソポタミア文明の影響を強く受けながらも、独自の言語・文字を持っていたが、印欧語族・セム語族のいずれにも属せず、その民族としての出自は不明という。

 エラム人は、メソポタミアの諸王国が強大なときは、その支配下に入り、弱体化したときは逆に彼の地を侵略・占領するなど、長年にわたって攻防を繰りかえしながら、その時々の有力者のもと群小部族の連合体を形成し、断続しながらも約2000年にわたってメソポタミア平原北東部の一角を占める小王国として活躍したが(通常、古・中・新王朝に3分される)、紀元前640年頃、アッシリアのアッシュバニバル王の侵入によって首都スーサ・聖都チョーガ・ザンビルを破壊され、王国としてのエラムは滅亡し、エラム人たちは他の民族に吸収されて消滅したという。

 所謂ペルシャ人と呼ばれる民族がイランの地にやってきて、強大な王国を打ち立てる遙か以前のことである。

※チョーガ・ザンビル遺跡
 
エラム王国の最盛期は紀元前13〜12世紀頃(一説ではBC16〜11世紀頃)といわれ、前13世紀頃の王・ウンタシュ・ガル(在位BC1275〜同1240頃)が、『ドゥール・ウンタシュ』(エラム語で「ウンタシュ王の都」)でと名づける都市を建設したという。
 これがいま『チョーガ・ザンビル』(「大きな籠のような山」の意)と呼ばれる都市遺跡で、エラム王国の首都・スーサの南約40qに位置する。

 この都市の存在は長らく忘れられていたが、1935年、油田調査中の地質学者により上空から発見され、3000年の眠りから覚めたという。
 これまでの調査によれば、チョーガ・ザンビルは一般にみられる古代都市というより、ウンタシュ・ガル王が粘土板に
 『私は建築資材を手に入れて、この地に聖なる都・ドゥール・ウンタシュを建設した。私はその内外を壁で囲った。そして、かつての王たちが建てたものよりも高い神殿を建て、それを聖域の守護神たるイン・シュシ・ナクとフンバンの神に捧げた』
と記すように、エラム・パルテノンの主神であり守護神でもあるイン・シュシ・ナク神(牡牛の姿で表したらしい)に献げられた聖なる都・宗教都市的色彩が強いという。

◎ジグラット
 チョーガ・ザンビル遺跡は、低い丘が続く高原をゆるやかに登りつめ、切り通しの路を抜けた右手のなだらかな丘の上に忽然と姿を表す。それは「アッ出た」と声にならない声を発するような、驚きを伴った出現であった。

 遺跡の中心をなすものは、中央の聳えるジグラット(雛壇式ピラミット)と呼ばれる壮大な建造物で、現存する古代のジグラットでは最大である。

 
北東正面
 
南東角より
 
東 面
 遺跡はジグラットを真ん中に三重の城壁によって囲まれている。
 ジグラット直近の内壁(日干しレンガ造・H=1mほど)はほぼ原形をとどめるものの、その外側には、聖域(テメノス、470×380m)を囲む中壁が、崩れかけた土塁然(H=1〜1.5m)としてとぎれとぎれに巡り、遠くには壊れた外壁(全長約4q)が土塁然として部分的に散見できる(全長約4km)

 現在、一見して3層の雛壇式ピラミットと見えるジグラットは、四隅をほぼ正確に東西南北に向けた一辺105mの正方形基壇の上に約28mの高さを残すが、本来は5層構造で総高は50mを超えていたろうという。

遺跡・
想定平面図
 
ホテルにあった航空写真

 古代のメソポタミア、ティグリス・ユーフラテス両川の流域に興亡した都市国家には、それぞれの守護神を祀るジグラットがあったというが、今、そのほとんどが崩れた小山と化していて、その形状ははっきりしない。
 唯一の同時代資料であるヘロドトスの「歴史」に記すバビロンのそれは、各層ごとに内部を土で埋めて積み重ねた雛壇式で、頂上に神殿を設け、各層の外側に螺旋状の階段がついていたという。

 それに対して当地のジグラットは、発掘調査からみると雛壇式ではなく“入れ子式”になっていたという。まず中央に50m超の四角い塔を建て、その周りに距離をおいて高さが低い壁を順次巡らす(その間が内庭になる)
 いいかえれば、中央の高い塔の周りを4列の四角い壁で取り囲んだ構造であり、初層の内庭には神殿とみられる小部屋が並んでいたという。ただ、今は内部に入れず覗けず、その実体ははっきりしない。

 今は、ジクラッドと切れ切れに残る土塁跡との間に建物跡とおぼしき遺構(神殿跡か)の幾つかと、日時計とも天文観測所とも生贄を捧げる祭壇跡ともいわれる用途不明の円形遺構があるのみで、一面荒涼たる荒れ地が拡がっている。

  
ジクラッドと土塁跡との間に残る建物跡(神殿跡かともいう)

ジクラッドを取りまく土塁跡 

用途不明の円形遺構 
 
ジクラッドへの入口付近
 
焼成煉瓦に彫りこまれた楔形文字

 ジグラットとは、単なる高層建造物(塔)ではなく“神殿”である。
 古代人にとってのジグラットは、世界の中心・ヘソに位置する“宇宙山”で、地上界と天界を結ぶ梯子と考えられていた。
 神は7層の天を表す7つの階の頂に降臨し、人は、それに登ることで宇宙の頂に坐す神に出合うことができる。そういった聖なる場=神殿がジグラットである(エリアーデ、「聖と俗」)

 また古代の歴史家ヘロドトスはこう書いている。
 『ジグラットの頂上には大きな神殿があり、その中に美しい敷物をかけた大きな寝椅子があり、その横に黄金の卓が置いてある。神像のようなものは一切ない。
 夜になっても、土地の女一人以外は誰も泊まらない。その女は、神が女たちの中から選んだ者だという。
 私には信じられないことだが、カルディア人のいうところでは、神が親しくこの神殿に来て、この寝椅子に女とともに休むという。そしてこの女は人間の男は決して関係をもたない』

 エラム人にとって、チョーガ・ザンビルのジグラットは、それが天界に最も近い高所にあるが故に、そしてまた、それを通じて人間界から天界に達することができるが故に、この地は世界の中心であり、エラム王国は天界と連なる聖なる国である、という宗教的信念を与えてくれる聖地だったのだろう。

 そして、そこで定期的(新年=冬至あるいは春分)に神を祀ることで、世界の更新すなわち王国の安泰と永続そして豊穣を祈ったのであろうし、多分、その頂の神殿には、神に選ばれた女性が侍り、降臨する神イン・イュン・ナクと交接することで、世界の原始的更新と王の生命の再生とが図られたのであろう。
 古代人の習俗として、新年に際して、聖所において神と巫女との聖婚をおこなうことで、太古の昔に起こった天地創造・天地開闢の業を繰りかえし、それによって王の再生を図り、その年の平安と豊穣を祈ったという

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