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和泉(和泉郡)の式内社/舊府神社
大阪府和泉市尾井町2丁目
祭神−−武速素盞鳴大神
                                                             2011.03.06参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 舊府神社 鍬』とある式内社。舊府は“フルフ”と訓む。以下“旧府”と記す。

 JR阪和線・北信太駅の南東約400mの町中に鎮座する。

※由緒
 当社の創建年代の不詳だが、三代実録(901)に、
 「貞観元年(859)5月7日壬戌 和泉国旧府神・聖神・比売神等官社に列す」
 「同年8月13日丙申 和泉国従五位下聖神を従四位下・無位旧府神を従五位下・比売神を従五位上に叙す」
とあり、9世紀以前からの古社であるのは確か。

 当社参拝の栞によれば、社名・旧府の由来について
 @神功皇后の行在所・小竹宮(シノノミヤ)に由来するとの説
 A和泉国府が当社地から現府中町に移管したことから、新国府に対する旧国府跡ということで旧府というとの説
の2説があるが、
 @Aいずれにしろ、当社は、創建当初より古代国家の“宮”や“府”としてマツリゴトを司る要所の鎮守社である(大意)
という。

 神功皇后・小竹宮云々とは、神功皇后摂政2年に
 「忍熊王は軍を率いて退き、宇治に陣取った。皇后は紀伊國においでになり、太子(後の応神天皇)に日高でお会いになった。群臣とはかって忍熊王を攻めようとして、更に小竹宮に移られた」
とある小竹宮の所在地を当地付近とする伝承によるもので、当地の地名・信太(シノダ)の旧表記が“小竹田”(シノダ)であったことから、小竹宮の小竹(シノ)をこれに関連づけたものであろうという(参拝の栞)

 この小竹宮にかかわって和泉志(1736)には
 「小竹宮 在尾井村 乃旧府也」
とあり、大阪府全志(1922)
 「旧府神社は字上尾井にあり。延喜式内の神社なり。社名の旧府は、神功皇后の御し給ひし小竹宮のありし所なるより起り、社は復た其の地に鎮座せるより社名に負わせたるものならん」
というが、“小竹宮趾”の項には
 「信太村大字尾井に在りといへども、其の趾詳ならず。或ひは曰ふ、西方なる俗に雨降塚と称せる雑社小竹社(祭神不詳)は其の旧址なりと」
として、旧地は不詳としている。なお、小竹神社は、明治42年(1909)信太森神社(葛葉稲荷神社)に合祀されたという。。

 小竹宮の比定地としては当地以外にも異説があり、和歌山県那珂郡粉河町あるいは御坊市小竹とする説が有力ともいう。当地説あるいは和歌山説のいずれを採るにしろ、神功皇后の実在が否定されているなかでは、あまり意味のないともいえる。

 また、古代の地方行政制度として各地に“国”が置かれていたが、当地については
 ・古くは河内国に属していたが、
 ・霊亀2年(716)4月−−河内国から大鳥郡・和泉郡・日根郡を割いて“和泉監”(イズミノゲン)を設置。
   (和泉監−−当地付近にあった元正・聖武両天皇の行宮・茅渟宮の管理などのために置かれた特別行政組織で、国府に準じるという)
 ・天平12年(740)8月−−和泉監を廃止し、河内国に併合。
 ・天平法字元年(757)5月−−河内国から再度上記3郡を割いて“和泉国”を設置。
という経緯がある。

 和泉国府の所在地については諸説があるようだが、一般には府中町御館森付近(現府中町5−2・御館山児童公園内に「和泉国府庁跡」との石碑あり)といわれ、和泉監衙もまたこの辺りにあったと推測されている(参詣の栞)
 この地は当社の約2.5kmほど南に当たることから、“当社が和泉監跡あるいは和泉国府跡に建つから旧府という”とするAの説は、やや疑問で、大阪府史蹟名勝天然記念物(1929)は、
 「この地を以て和泉国府のありし地にして、今の国府村(現府中町)に遷りしを説くあるも、旧府てふ名称によって付会したる説ならん」
と記し、当社と和泉監あるいは和泉国府との関係を否定している。

 当社が、祭祀に当たって特別に“鍬”を奉祀される式内社とはいうものの、その創建年代・由緒など不明といわざるを得ない。

※祭神
 今の祭神は武速素盞鳴(スサノヲ)となっているが、江戸時代は“牛頭天王”(ゴズテンノウ)としていたようで、当社参拝の栞によれば、
 「拝殿新築工事(平成17年)の際に発見された江戸時代の棟札には、墨書銘で“氏神牛頭天皇”とあり、氏神とは、尾井町(信太郷尾井村)の氏神であることを意味し、・・・」
という。
 ゴズテンノウとは、江戸時代以前から各地に祀られた防疫神で、通説では、インド・祇園精舎の守護神という(異論あり)
 明治の神仏分離の際、邪神として排斥され、蘇民将来伝承(備後国風土記逸文)で同神とされるスサノヲに祭神名を変更している。
 今、当社がスサノヲを祭神とするのは、曾てのゴズテンノウを引き継いだものだろうが、それとても本来の祭神とは思えず、大阪府全志(1903)他の資料にいうように、「祭神不詳」とするのが妥当であろう。

※社殿等
 石燈籠2基が立つ参道の奥、やや小ぶりの鳥居2基に接して割拝殿(入母屋造・瓦葺)、拝殿の左右に続く白壁に囲まれた中に本殿覆屋(切妻造・妻入り)が建つ。覆屋の中に本殿が鎮座するようだが、実見不能。

旧府神社/社頭
旧府神社・社頭
旧府神社/拝殿
同・拝殿
旧府神社/本殿覆屋
同・本殿覆屋

◎末社
 参道の途中、簡単な覆屋の中に巨石が一箇祀られ、下の銘板には“白狐化石”とある。

 参拝の栞には、
 「若宮社 「白狐化石」(ビャッコ バケイシ)・・・祭神は葛葉姫。猟師に追われた白狐が逃れるために化けた(隠れた)石とされる。元々、街道沿いにあったものを昭和22年(1947)境内に祀ったもの」
とある。
 安倍清明の生誕にかかわる所謂・葛の葉伝承のひとつで、清明の母(実は白狐)の名が葛葉姫。当社の南東約700m附近に拡がる信太の森(聖神社)が当伝承の舞台と伝える。
旧府神社/白狐化石
若宮社(白狐化石)

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