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土 生 神 社
大阪府岸和田市土生町1114
祭神--菅原道真
                                                 2019.11.21参詣

 JR阪和線・東岸和田駅の南約750m、駅西から府道39号線を南下した西側、民家に囲まれた叢林の中に鎮座する小社。式外社

※由緒
 拝殿内に掲げる「土生神社要覧」には
 「古老の伝ふる所に依れば、当部落は元山中と称し、人皇11代垂仁天皇の御代、野見宿禰は土偶を以て殉死に代へむと請ひて許されし時、当所よりも亦此の土偶に用ふる埴土を供したる事ありしかば、此の起因に由りて、後に山中を改めて土生と称ふ。然して元より今の有眞香村にある意賀美神社を産土神と仰ぎ居たりき。

 堀川天皇の寬治4年(1090)正月、白河上皇熊野行幸の御事ありて還幸の途次隣村別野に白蓮華の咲けるを看行はし給ひ、熊野の霊夢に応ずる所ありと同所に熊野の神を鎮め給はいとて暫し蹕(ヒツ、天使の乗り物-輦か)を駐め給へり。
 此の時、土生の人々は常に産土神社の遠く隔たり居るを憂い居りしかば、衆議の上源俊頼卿の執奏によりて土生に鎮守の神を鎮め奉らむ事の聴許を願出でたりしに、上皇は天満天神を祀る可しとの宣旨を下し給ひき。
 即ち村民大に悦びて庄官山中治郎兵衛等16名の者、俊頼卿に随ひ上洛して其旨を北野天満宮に伝へ、其の御分霊と菅公御直筆の法華経壱軸とを拝受して帰り、上皇の御駐廉蹕地に社殿を建立して之を鎮め奉れり。
 これが当社の起源にして実に寬治4年8月21日なり」
とある。

 これによると、当社は、白河上皇(1034--1129)が熊野御幸からの帰途当地に留まっておられたとき、従う源俊頼を仲介として鎮守社の創建を願い出、聞き届けられて北野天満宮から勧請した社という。

 白河上皇は9回熊野に詣でているが、寬治4年のそれが最初の御幸で、正月20日に出立し同26日に還ったとの記録がある。
 旧熊野街道が当地付近に通っていたことから、上皇が当地に留まったとしてもおかしくはないが、7日間の御幸の途中にそれだけの時間があったかどうかは不祥。

 当地の旧産土社・意賀美神社とは、当社の南約3km強にある神社で(土生滝町17、式内社)、産土社とするには遠すぎる感はあり、より近くに式内・矢代寸神社・波多神社もあるのに、何故に遠い意賀美神社を産土社としていたかは不明。
 臆測すれば、意賀美神社が水神を祀る社であることから、農耕に必要な水を司る神としての意賀美神社を鎮守としていたのかもしれない(矢代寸・波多両社は当地一帯に蟠踞した波多氏の氏神社)

 なお、当社創建を仲介したという源俊頼(1055--1129)は、堀川天皇・鳥羽天皇に仕えた公卿で、歌人・楽人として知られ、白河上皇の命により金葉和歌集を編集したが、上皇のお気に召さず3度にわたって編集しなおした(最終:1126)というが(Wikipedia)、詳しい経歴等は不明。


※祭神
  祭 神--菅原道真公
  配 祀 --武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比咩神 「以上四社・春日大神」
         品陀別命 「八幡神社」

 配祀神について、要覧には
 ・春日大神は、元境内末社として祀られるを合祀せしものにして、年月共に詳ならず
 ・八幡神社は、元当村字山下に祀られたり、その起源は詳ならず。
   往古の社殿は応仁年中兵火に罹りて焼失せしに、寛文6年に至りて岸和田城主・岡部美濃守宣勝(1597--1668、和泉岸和田藩初代藩主)或る祥兆に感じ、篤く尊崇して再興せられしを、明治410年11月官憲の命に依りて当神社に合祀し奉れり
とある。
 
 岸和田城主が感じた祥兆について
  「岡部美濃守宣勝が当所にあった隠居所に移った後、土用丑の日に具足を座敷に飾っていたところ、首に輪のある二羽の山鳩(八幡鳩)が飛び来たったので、これを武運吉兆の標として喜び、飛び去った鳩が留まった所を見届け、そこに社殿を建て八幡宮を勧請した」
との伝承があるという(鳩は八幡神の使とされている)


※社殿等
 府道から境内北側の小道を入った左に一の鳥居が、参道の二の鳥居・三の鳥居を入った先に、入母屋造・横長の割拝殿が建ち境内に入る。

 
土生神社・一の鳥居
 
同・二の鳥居(奥に三の鳥居が見える)

同・拝殿(正面) 
 
同・拝殿(側面)

 境内正面に神門(四脚門・瓦葺)が建ち、その左右に透塀が延び、その中が本殿域。
 神門から奥に屋根付きの廊下(弊殿)が延び、その奥、低い石垣の上に本殿が鎮座する。
 本殿は一間社流造と思われるが、廻りの樹木が邪魔して全体はみえない。

 
同・神門

同・渡廊下と本殿正面 
 
同・本殿

◎境内社
  要覧には、境内神社として
   天照皇大神宮・神武天皇社・厳島神社・熊野神社・高龗神社・稲荷神社・牛神社
とあるが、本殿の向かって左に小祠が、右に石祠がみえるものの社名等は不明。
 なお稲荷社は、神門前向かって右に鎮座する。

 
本殿左の小祠(左に数社あるらしい)
 
本殿右の石祠

稲荷神社 

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