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和泉(大鳥郡)の式内社/蜂田神社
俗称−−鈴の宮
大阪府堺市中区八田寺町
祭神−−天児屋根命
                                                              2011.02.03参詣           

 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 蜂田神社 鍬』とある式内社。俗に鈴の宮という。

 JR阪和線・津久野駅から南下する府道61号線(泉北2号線)・毛穴南交差点の東約800m(JR鳳駅の東約2km)、周囲は住宅地化しているが、神社北側に接して鈴の宮公園がある。

※由緒
 当社の創建由緒・時期ともに不明だが、社頭の案内(堺市設置)には
 「当社の起源は古く、当地を原籍とする蜂田連の祖天児屋根命を主祭神として祀る。
 創建は明らかではないが延喜式神名帳にも記されている古社である。
 社伝に、永禄年間(1558--70・室町末期−織田信長勃興期)以前の当社は、現在地より西一丁余りの山麓に鎮座していたが、永禄11年(1568)の三好衆対松永勢の家原城攻防が原因で、現在地に遷宮したと伝えている。
 近世では神宮寺として西林寺を併有していたが、明治の神仏分離令により西林寺は廃寺とした」
とある。

 当社の祭祀氏族とされる蜂田連とは、神饌姓氏禄(815)に、
 「和泉国神別(天神) 蜂田連 天児屋根命之後也」
とある中臣系氏族だが、その詳細は不明。

 境内西側の小道を越えた畑の先に、雑木と竹藪に覆われた小山があり、この山麓が当社旧鎮座地という。当社の由緒略記(だいぶ古いものという)には、「今尚古宮の跡を存せり」とあるが、今、どうなっているか不明。

 当社遷座の原因となった家原城攻防とは、織田信長の勃興時(永禄11年、信長は足利義昭を擁して入京している)、畿内八ヶ国を制圧していた三好長慶と、その家臣であった松永久秀の対立から、松永方がたてこもる家原城を三好方が攻め落とした戦いをいう。
 なお家原城は、当社の北西約1.3km ほどの西区家原寺町にあったといわれ、今は高層住宅地になっているという。

旧鎮座地といわれる小山

 当社は俗称を“鈴の宮”と称し、社頭の鳥居には“鈴の宮”、傍らの社標石柱には“鈴の宮 蜂田神社”とある。
 由緒略記によれば、
 「鈴の宮と呼ぶ由縁は、昔、蜂田連が土鈴12個を作り、春の初めに神前に供え、その音色の良し悪しにより、その年の吉凶を占ったとの古伝によるもので、毎年節分に鈴占神事との古式祭祀がとりおこなわれる。
 近年は、神域の清き土を以て12個の占鈴を作り、神前に献供して祈願をこめ、参拝者の乞いにより授与の事とせり」(大意)
という。
 12個の土鈴とは干支の動物を象ったもののようで、社務所では今年の干支・兎型の土鈴が頒布されていた。
 なお、参詣(昼過ぎ)したのは節分の日だったが、鈴占神事がおこなわれるような雰囲気ではなかった。午前中に終わったのかもしれない。

※祭神
 諸資料とも、当社祭神を蜂田氏の祖神・天児屋根命とするに異論はみえないが、曾ては天神社と呼ばれたという。しかし、この天神は、泉州志(1700)
 「蜂田社は蜂田祖神天児屋根命也。今天神というは、天の富貴神の義也。天神は北野天神に非ず」
とあるように、天つ神(アマツカミ)であって菅原道真ではないという。

 しかし、何時の頃からか菅原道真を祀るようになり、明治12年(1879)の神社明細帳では、「アメノコヤネと菅原道真の2神を祀る」という。

 社頭の案内によれば、
 「明治政府の神社合祀策によって、明治43年(1910)付近の村社6社と無格社2社(八田莊7社・久世1社)を合祀した」
とあり、その合祀社として、式内社調査研究(1931)は、琴平神社(大物主命・住吉四神)・市杵島神社(イチキシマヒメ)・菅原神社(菅原道真)・家原〈六柱〉神社(カナヤマヒコ・イザナミ・高野大神・タカオカミ神・白山比当ス・百済王仁)・稲荷神社(ウカノミタマ)・八田神社(スクナヒコナ)・神明社(伊勢両宮皇大神)の7社を挙げるが、1社は不明。
 明治末期に強行された神社統廃合によるというが、由緒略記には合祀祭神名の記載がなく、今、これらの諸神がどうなっているかは不明。

※社殿等
 神社そのものは鬱蒼たる鎮守の森の中にある。
 西側の鳥居から入ったが、樹木にはさまれた参道の先、〆柱の奥に大きな唐風破風を有する拝殿が、その奥、白壁に囲まれた中に本殿が鎮座する。
 ・本殿−−春日造・銅板葺・間口一間・奥行一間半(塀が高く、本殿と弊殿が連続していてよく見えない)
 ・拝殿−−入母屋造・銅板葺

蜂田神社/鳥居
蜂田神社・鳥居
蜂田神社/拝殿
同・拝殿
蜂田神社/本殿
同・本殿

◎鈴塚
 境内左手に、鈴塚の刻した低い石碑、その左に小祠が建つ。
 由緒略記によれば、
 「古くは、鈴占神事後、神事に使われた土鈴を埋葬していたが、昭和4年以降、参拝者に抽籤によって授与していた。
 今は、当社が授与した土鈴の内、破損したものを返納される例が多くなったので、毎年12月8日に修祓をおこなって埋蔵している」(大意)
とある。

 隣接する祠との関係は不明。あるいは返納された土鈴破片を納めた祠かもしれない。
蜂田神社/鈴塚の石碑
鈴塚の石碑
蜂田神社/鈴塚横の祠
鈴塚横の祠

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