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和泉(和泉郡)の式内社/博多神社
現社名−−伯太神社
大阪府和泉市伯太町5丁目
祭神−−伯太比古命・伯太比売命他8柱
                                                  2011.03.06参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 博多神社』とある式内社。地名などで博多を通音の伯太(いずれもハカタ)とする事例は多く、当社も、今は“伯太神社”と称している。

 JR阪和線・信太山駅の南東約500mほどの住宅地の中に鎮座する。

※由緒
 当社境内に由緒を記した案内など皆無(祭神名だけはある)のため詳細不明だが、管見した資料によれば
  「白鳳2年創建と伝える」
という(大阪府全志-1922・他)
 ただ、年号の“白鳳”とは私年号であって公的な年号ではない。白鳳に対応する実年代については諸説があるが、そのひとつに天武朝(673--86)とする説(672--685・麗気記私抄)があり、それによれば、白鳳2年とは天武元年(673)に相当する。
 書紀には、天武朝初期に神祀りに関する記述は見えないが、天武朝から持統朝にかけて、アマテラスを頂点とする神祇体制が整備されたというから、これに付会した伝承かと思われる。

 当社に対する神階授与などの資料がみえず、創建後の経緯は不明。式内社調査報告(1986)によれば、明治5年(1872)に村社となり、大正5年(1916)、字下出の村社・管原神社を合祀し、字丸笠の村社・丸笠神社を飛地境内末社とした、という。

※祭神
 社頭に掲げる案内には
  応神天皇  比売神  伯太比古命  伯太比売命  天照皇大神  
  小竹祝丸  天津祝丸  熊野大神  管原道真  天児屋根命
とあり、拝殿の壁に掲げられた祭神名によれば、
 ・応神天皇 比売神 伯太比古命 伯太比売命 ・・・(博多神社)
 ・天照皇大神  武甕槌命   経津主命   八雲大神  天児屋根命 ・・・(丸笠神社)
  (神功皇后) (小竹祝丸) (天津宿丸) (熊野大神)
 ・管原道真 ・・・(管原神社)
とあり、異同がある。

 博多神社本来の祭神と、合祀されている丸笠神社(下記)と管原神社の祭神をまとめたものと解されるが、殆どの資料は、当社主祭神は“伯太比古”(ハカタヒコ)・“伯太比売”(ハカタヒメ)という(大阪府誌-1903・大阪府全志-1922)

 伯太比古の出自は不詳だが、大阪府柏原市玉手町にある式内・伯太彦神社について、神名帳考証(1733・江戸中期)
 「田辺史伯孫(タナベノフヒト ハクソン)の祠か」
と記し、伯太比古を渡来系氏族・田辺史の祖・伯孫と結びつけている(日本の神々3所載・伯太彦神社-2000)
 この田辺史伯孫にかかわって、雄略紀9年条に
 「伯孫が婿の家からの帰り道、月夜の中、誉田陵(応神天皇陵)の畔で素晴らしい駿馬(赤馬)に乗った人と出会った。欲しくなった伯孫は自分の乗っていた馬と交換して家に帰り、秣を与えて寝た。翌る朝、この駿馬をみると埴輪の馬となっていた。驚いて誉田陵に戻ってみると、自分の馬が埴輪の馬の間に立っていた」(大意)
との説話があり、その実在が推測されている。
 なお、伯太比売については、
 「けだし田辺史の先、伯孫の妻なり」(大日本神祇志・1873)
という。

 田辺史とは、新撰姓氏禄(815)によれば、
 @ 右京諸蕃(漢) 田辺史 漢王の後、知惣(チソウ)より出づる也
 A 右京皇別    田辺史 (崇神天皇の皇子)豊城入彦命の四世孫・大荒田別命の後也
の2系列があるが、本来は@渡来系氏族で、上記伯孫は渡来系田辺史に連なる人物という。

 田辺史を皇別氏族とするAについては、続日本紀に「田辺史難波等に上毛野君の姓を賜う」(720年条)とあるように、田辺史の主だった人が、豊城入彦命(トヨキイリヒコ)を祖神とする名族・上毛野氏(カミツケヌ)と何らかの形で主従関係を結び、その系譜に入れることを許されたことによると推測されている(日本の神々3)

 田辺史は、飛鳥時代、中堅官僚として国家の租税関係の手続きや出納事務などに携わった百済系渡来人で、主に河内国田辺・玉出一帯に居住していたという。
 その根拠地は当地とはかなり離れてはいるが、田辺史一族が当地に居住していた可能性もあり、当社は田辺史にかかわる氏族がその祖神・伯孫=伯太比古を祀ったというのが妥当かもしれない。

 応神天皇・比売神は、八幡大神としての勧請と思われるが、その勧請由緒は不明。ただ比売神については、末社・丸笠神社がタケミカツチ以下の春日3神を祀っていることから、春日社にかかわる比売神(所謂春日4神の一)とも解され、本来は丸笠神社の祭神に含まれるべきかもしれない。

 管原道真は大正5年の勧請というが、江戸時代の古資料に「今天神と称す」とあり(泉州志-1700・和泉名所図会-1796・大阪府誌-1903他)、古くから“天神さん”(管原道真)として知られていたともいえる。
 (丸笠神社にかかわる祭神については、別稿・丸笠神社参照)

※社殿等
 北側の道路沿いに鳥居が、境内正面に拝殿(入母屋造・瓦葺)、その奥、白壁に囲まれた中に本殿(千鳥破風付き流造・銅板葺)が建つ。末社等は見えない。

伯太神社/鳥居
伯太神社・鳥居
伯太神社/拝殿
同・拝殿
伯太神社/本殿
同・本殿

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