トップページへ戻る
大鳥神社へリンク

和泉(大鳥郡)の式内社/大鳥浜神社
大阪府高石市羽衣5丁目
祭神−−両道入媛皇女
                                                      2011.01.22参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 大鳥浜神社 鍬』とある式内社で、今は大鳥神社の境外摂社となっている。
 大鳥五社明神の一社。別名・羽衣浜神社とも呼ばれ、道路に面する二の鳥居脇の社標には「羽衣浜神社」とある。

 南海本線・羽衣駅の南約500m。駅の西を南北に走る府道204号線(堺阪南線)の羽衣南交差点を東に入った先(南側)、疎林に中にに鎮座する。当社前の道をはさんだ北側に、宗教法人・ほんみち本部の大きな建物がある。

※由緒
 社頭に掲げる由緒には、
 「創祀せられしは文武天皇り御代にして、慶雲3年鎮座せられ、・・・延喜式内の古社であります。古くより井戸の守大明神として尊崇せられてきました」
とある(由緒略記等なし)

 文武天皇・慶雲3年(706)創建とするのは、大鳥五社大明神并神鳳寺縁起帳(849)に記す、
 「文武天皇慶雲3年、勅使菅生朝臣小村が幣帛を奉じ、始めて三妃を祀り、神宮を営造し、大鳥五社大明神と号す也」
によるものと思われる。

 上記由緒と縁起帳を勘案すれば、菅生朝臣小村が、慶雲3年にヤマトタケルの3人の妃を祀る神社として造営したのが当社および大鳥北濱神社・大鳥井瀬神社の創建となるが、縁起帳の記事は、これらの3社が大鳥五社大明神としてまとめられた由緒を記すとも解され、慶雲3年を以て当社創建とするのには疑問がある。

 ただ古資料・大鳥神社流記帳(922)には
  「正三位浜社一所 座嶋木里五坪内」
とあり、10世紀には大鳥五社明神の一社として、“浜社”との略称で呼ばれていたとはいえる。
 なお、当社が大鳥神社の境外摂社となったのは、明治40年5月という。

 一方、元禄4年(1691)の寺社改帳に
 「泉州大鳥郡今在家村  井戸守明神社
   右井戸守明神社勧請年号不分明に御座候へ共、云々」
 また和泉志(1736)には
 「大鳥浜神社 今在家村に在り、井戸森明神と称す。・・・村中先祖代々の氏神に御座候」
とあり、当地・今在家村(字井戸森)には、江戸時代以前から創建時期不詳の古社・井戸守(森)明神社との氏神社があったという。
 この井戸守明神社と大鳥浜神社との関係は不詳だが(当地と流記帳にいう嶋木里との関係不詳)、神社明細帳(1879・明治12)は、これを式内・大鳥浜神社の後継社に比定し(式内社調査報告)、今に至っている。ただ、その根拠は不明。

 ただ、当社が古く“井戸守”と称したこと、社前に深い“井戸”があり(今の手水槽がその跡らしい)、海辺にあって眞清水を湧き出すことから、式内社調査報告に
 「この井戸水は神水として尊崇され、これが当社への信仰として受け継がれたのであろう」
とあるように、この井戸(あるいは井戸水)に対する信仰が当社の始まりであって、それは慶雲3年以前のことと思われる。

※祭神
 現在の祭神は、ヤマトタケルの3妃の一人である、
 ・両道入姫(崇神天皇の皇女で、景行天皇の母)−−現祭神、和泉国式内目六稿(1874)、神社明細帳(1879)
とするが、
 ・弟橘姫(オトタチバナヒメ、穂積氏忍山宿禰の娘)−−大鳥五社大明神并神鳳寺縁起帳(849)
 ・天児屋根命(アメノコヤネ、中臣氏系の大鳥氏の祖神)−−泉州志(1700)・和泉国式神私考(?)
とする資料もある(式内社調査報告)

 この内、フタジノイリヒメ説・オトタチバナヒメ説は、大鳥神社の主祭神をヤマトタケルとして、大鳥五社明神を構成する当社および大鳥北浜神社・大鳥井瀬神社の祭神にヤマトタケルの3人の妃(フタジノイリヒメ・キビアナトタケヒメ・オトタチバナヒメ−−景行紀)を割り充てたもので、必然性はない。
 またアメノコヤネ説は、大鳥神社主祭神を大鳥氏祖神(アメノコヤネ)とし、それを当社にも祀るとしたもの。

 いずれにしても、当社が大鳥五社明神の一社として大鳥神社と結びついたことからの祭神と思われ、当社が大鳥五社成立以前からあったとすれば、本来の祭神は、由緒に記すように、
  涸れることのない神水(井戸)への崇敬対象としての水神
であったと思われるが、それを証する資料はない。

※社殿等
 境内は北側を道路に接した方形で、北東隅に二の鳥居を入り、南へ進んだ右手に一の鳥居が東面して立つ。
 疎林に囲まれ東面する社殿は、拝殿と弊殿・本殿覆屋が連なった構造で、白壁に囲まれた中に建つ覆屋の中に入母屋造檜皮葺きの本殿が鎮座するようだが、実見不能。

大鳥浜神社/一の鳥居
大鳥浜神社・一の鳥居
大鳥浜神社/拝殿
同・拝殿
大鳥浜神社/本殿
同・本殿

◎末社
 境内北西の隅・道沿いの鳥居の奥に背の高い石燈籠が立つ。社殿はなく、当燈籠を以て末社・金刀比羅宮(大物主命)としている。

 社頭の案内によれば、
  「古くは現国道脇に奉斎されていたものを、昭和10年(1935)、当境内に遷座したもので、
   この燈籠に大神の霊が籠もるとして崇拝す」
とあり、燈籠正面に“金毘羅大権現”とある。側面の刻文により文化年間(1804--18)の建造というが、文字が摩耗していて判読困難。

: 境内右手の疎林に中に稲荷社がある。末社・“井戸守稲荷”(井戸守稲荷大明神)、昭和37年勧請という。
大鳥浜神社/末社・金刀羅社燈籠
金刀比羅社・燈籠

トップページへ戻る] 〈大鳥神社へリンク