トップページへ戻る

波 多 神 社
大阪府岸和田市畑町428
祭神ーー波多八代宿禰
                                                        2019.11.21参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 波多神社』とある式内社。

 JR阪和線・東岸和田駅の南西約1kmの民家に囲まれた中。
 東岸和田駅前の土生交差点から府道30号線を南西に、三つ目か四つ目の交差点(橋を渡った西側)を左に折れ、次の信号を左に進んだ左側(北側)に鎮座する。

※由緒
 境内には、社頭に「式内村社 波多神社」との社標は立っているが、案内・社務所なし。
 大阪府史蹟名勝天然記念物(1929)には、
 「畑部落の邑中、字上ノ段にあり。
 祭神は、社伝に素盞鳴尊とし、渡会氏神名帳考証(1733)に埴安神(ハニヤス)とあるも、特選神名帳(1876、神名牒の誤記)・大日本地名辞書(1907)・神祇宝典(1646)等の諸書には波多八代宿禰(ハタヤシロスクネ)とす。
 蓋し、波多氏は、古事記・孝元天皇の条に『建内宿禰の子・波多八代は波多臣の祖也』と見え、畑は即ち波多なるを以て、此の地波多氏の居住地にして、其の祖神を祭りしものなるべし。
 有眞香村大字八田(現岸和田市八田町)は此の地に近く、其の矢代寸神社(ヤシロキ)の祭神も、波多八代宿禰なれば、同族の分布したるものと見ゆ。
 延喜式内の旧社にして、国内神名帳(?)に『従五位上 波太神社』とあるは、此の社なるべし。

 泉州志(1700)に、山瀧村大字内畑・山直神社を以て之に擬するも、和泉志(1733)をはじめ、神社覈録(1870)・神祇志料(1871)・大日本史神祇志(1873)等の多くの諸書に畑村とせるは、さもあるべし。
 明治5年村社に列せらる。境内111坪、境外75坪を有し、本殿・拝殿あり」

 また、大阪府全志(1922)には、
 「波多神社は西方コントにあり。波多八代宿禰を祀れり。波多氏の其の祖を祭りしものならん。
 延喜式内の旧社なりども、由緒は詳ならず。明治5年村社に列せらる。
 境内は23坪を有し、本殿・拝殿を存す。里俗は雷除の神として崇敬せり」
とある。


 当社に関係するという波多氏とは、12代景行天皇から16代仁徳天皇までに仕えという伝説上の人物・武内宿禰の長子・波多八代宿禰(八田矢代宿禰)を祖とする氏族で、新撰姓氏録(815)には
 ・右京皇別   八多(波多)朝臣 石川朝臣同祖 武内宿禰之後也
 ・河内国皇別 道守朝臣 波多朝臣同祖 武内宿禰男八多矢代宿禰之後也
 ・  同     道守臣  道守朝臣同祖  同上
 ・和泉国皇別 道守朝臣 波多朝臣同祖 八多矢代宿禰之後也
がみえ、当地一帯に居住した波多氏とは、和泉国皇別の道守朝臣一族とおもわれ、彼らが、その祖である波多八代(矢代)宿禰を祀ったのが当社ということになる。


 末尾にいう「字内畑の山直神社を之に擬する」とは、泉州志に
  「波多神社  式内、字内畑村に在り、今牛頭天王を合祭す、神宮寺を朝日山長光寺という」
とあるのを指すが、
 ・内畑村(現岸和田市内畑町)は、当地(畑町)から南へ数キロ離れた地であること
 ・そこにある山直神社(ヤマダイ)は、延喜式神名帳に『和泉国和泉郡 山直神社』とある式内社で、当社とは別社であること
 ・この神社は、新撰姓氏録に「天穂日命17世の孫・日子曾乃己名命の後也」とある山直氏がその祖神を祀った社とされること
 ・その祭神は天照大神以下の諸神で、当社の波多矢代宿禰とは異なること
 ・その創祀は文武天皇の頃といわれ、聖武天皇の時代に僧・行基が社殿等を造営したとの伝承があること
などから、当社と異なるのは明らかで、その所在地・内畑村を当社の畑村とを誤認したための混乱と思われる。
 なお、山直神社・境内の案内には「延喜式内社波多神社を合祀」とあるというが、如何なる由縁で何時頃合祀したかは不明。


※祭神
   波多矢代宿禰(ハタヤシロノスクネ、八多矢代宿禰とも記す)

 波多矢代宿禰とは、景行・成務・仲哀・応神・仁徳という5代の天皇(12代から16代)に仕えたという伝説上の人物・武内宿禰(タケウチスクネ)の長子で、波多氏の祖という。

 この波多矢代宿禰に関して、書紀・応神3年条に
 「この年、百済の辰斯王(シンシオウ)が位につき、日本の天皇に対して礼を失することをした。
 そこで、紀角宿禰(キノツクスクネ)・羽田(波多)矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰(ツクノスクネ)を遣わして、その礼に背くことを責めさせた。
 そこで百済国は辰斯王を殺して陳謝した。紀角宿禰らは阿花(アクエ)を立てて王として帰ってきた」
とある。
 なお、ここで百済に派遣された紀角宿禰以下の5人は全て武内宿禰の子供であり、9代景行朝に生まれた武内宿禰の子供らが15代応神朝で活躍するという可笑しな話となっている。


※社殿等
 交差点を左折し東へ直進した道路の北側、二つ目か三つ目の辻を北へ入った処が境内で、玉垣で囲われた正面に鳥居が立ち、向かって右側に『式内村社 波多神社』との社標が立つ。
 周囲を民家に囲まれ境内は狭い。名称天然記念物に“境内111坪”とあることからみると、昭和初期頃までは広い境内を持っていたのが、何時の頃からかに衰微したのであろう。
拝殿左に「波多神社会館」との建物があり、これが社務所兼務かもしれないが無人

 
波多神社・社頭
 
同・鳥居

同・社標 

 鳥居を入った境内正面に、入母屋造・瓦葺きの拝殿が南面して建つ。
 拝殿の奥に覆屋があり、その中に千鳥破風を有する一間社春日造・銅板葺きの本殿が南面して鎮座する(拝殿正面の格子の間から見えるだけで、外からは見えない)
 境内に末社等なし。


同・拝殿 
 
同・内陣(本殿部)
 
同・本殿

トップページへ戻る