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和泉(和泉郡)の式内社/泉穴師神社
大阪府泉大津市豊仲町1丁目
祭神−−天忍穂耳尊・栲幡千々姫命
                                                     2011.03.06参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 泉穴師神社二座』とある式内社。
 和泉五社(和泉総社・五社総社)の一で、泉州二の宮。
 泉州志(1700)によれば、本来の社名は“穴師神社”だが、大和国城上郡に同名の式内社(穴師坐兵主神社)があり、それと区別するために“泉”を冠したという。

 JR阪和線・和泉府中駅の北西約1km、民家に囲まれた鎮守の森(豊中公園)の中に鎮座する。

※由緒
 和泉穴師神社由緒によれば、
  「御鎮座  天武天皇白鳳年間(約1300年前)
とあるが、それを証する史料はなく、“創建年次不詳”というべきであろう。
 なお白鳳との年号は私年号で公的年号ではない。白鳳に相当する実年代については諸説があり、そのひとつとして、ほぼ天武天皇の在位期間(672--685)に相当するとの説がある。

 諸資料によれば、
 ・元正天皇・霊亀2年(716)、河内国から別れた和泉監設置のときに創建された和泉国総社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)の一社、
 ・聖武天皇・天平3年(731)、蔓延する悪疫を鎮めるため幣帛を奉り大祓を執行せよとの勅が和泉五社にあり、当社もその一社として大祓を執行した(→現春季大祭の始まり)
とあり、遅くとも8世紀初頭には実在していたと思われる。

 正史に見える当社としては、
 ・続日本後紀  承和9年10月  無位穴師神を従五位下に叙す
 ・三代実録    貞観7年2月   従五位下泉穴師神を従五位上に叙す   同6月 正五位下に叙す 
           貞観10年2月  正五位下穴師神を従四位下に叙す
などがみえ、その後、
 ・天正7年(1575)  織田信長より社領安堵の朱印状を受く
 ・天正13年(1585) 豊臣秀吉の根来征伐の際、兵火により社殿焼失
 ・慶長7年(1602)  豊臣秀頼、片桐且元に命じて社殿造営(→現本殿他)
 ・明治6年(1873)  郷社に列す、 その後府社に昇格(明治27)
 ・明治27年(1894)  神社統廃合により近傍の加茂神社他7社を合祀
との記録がある。

※祭神
 当社祭神については、次の諸説がある(式内社調査報告・1986)
 @天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)・栲幡千々姫命(タクハタチヂヒメ)
    −−和泉名所図会(1796)・大阪府誌(1903)・大阪府全志(1922)・大阪府史蹟名勝天然記念物(1979)および当社由緒
    ただし、大阪府全志以下の資料は、「泉州志にはシナツヒコ・シナツヒメとあるが、社伝では・・・」と注記している。
 A級長津彦(シナツヒコ)・級長津姫(シナツヒメ)−−風の神−−泉州志(1700)・和泉志(1736)
    なお、泉州志は「社伝では、アメノオシホミミ・タクハタチヂヒメともいう」とも記している。
 B天富貴命(アメノフキ)・佐古麻槌神(サコマツチ)−−神社覈録(1870)・大阪府神社明細帳(1879)・地誌提要(1978?)
    なお、地誌提要には「或いは大己貴命・風神を祭ると云う」との異説も併記しているという。
 C天富命(=天富貴命)・大己貴尊(オオナムチ)−−別本泉州志
 D御食津神−−神祇志料(1871)

@について
 祭神:アメノオシホミミ・タクハタチヂヒメは江戸時代には定着していたようだが、当社由緒は
 ・アメノオシホミミ−−農業の神、天照大神の御子神で、皇室の御祖神の系列にあらせられる神
 ・タクハタチヂヒメ−−紡織の女神、衣服の紡織に種々の工夫改良を加えられた姫神
という。
 アメノオシホミミは、アマテラスとスサノヲとの誓約(ウケヒ)に際して、アマテラスの所有物を物実(モノザネ)から生まれた五男神の長子。皇統譜ではアマテラスの嫡男で、葦原中国に降臨したホノニニギの父神
 タクハタチヂヒメは高皇産霊尊(タカミムスヒ)の娘で、オシホミミの妃、ホノニニギの母神
であって(記紀)、農業の神・紡織の神というのは、その名(充てられている漢字)から類推された付会で、穴師(アナシ)を名乗る当社に祀られる由縁はみあたらない。

Aについて
 古く、北西(戌亥・イヌイ)から吹く風をアナシ(アナジ・アナゼともいう)ということから(柳田国男)、社名の穴師を戌亥(イヌイ・北西)の風・アナシとみて、風の神・シナツヒコとシナツヒメを祭神とする説で、この両神を挙げている資料は多い。
 シナツヒコとは、書紀・国生み段・第6の一書に
 「イザナギ命が、『われらの生んだ国は、朝霧がかかっているが、よい薫がいっぱいだ』といって、霧を吹き払われた。その息が神となった。名づけて級長戸辺命(シナトベ)、別名をシナツヒコ命という。これは風の神である」
とある神で、シナツヒメとはその配偶神をいう。

 このアナシ=戌亥の風説に対して、穴師とは“鉄鉱石や砂鉄を採取して、金属製品を鋳造する部族をいう”との説がある。所謂、古代のタタラ製鉄に従事する部族(所謂・鉱山師)で、これらの部族が守護神として“穴師の神”を祀ったともいう。

 当社と同じ穴師を名乗る奈良県桜井市の“穴師坐兵主神社”については、三輪山周辺でタタラ製鉄に従事していた穴師族が、製鉄作業の守護神(=祖神)として祀った穴師神に、兵器の神・鉄器製作の神とされる中国伝来の兵主神(ヒョウズ)の名を充てたともいう(別稿・「大兵主神社」参照)
 当地に採鉱・製鉄などに従事する穴師族が居たかどうかは不明だが、Bにいう穴師神主一族が製鉄に関係すること、隣接する岸和田市に“兵主神社”があることからみて、その可能性はあるという。

 ただ、一定方向から吹く強い風は、タタラ製鉄に必要な炉内への送風を助ける風であることから、製鉄の守護神は風の神でもあり、兵主神は風の神を従えるとする伝承からみても、当社が祀る風の神は穴師(兵主)の神の一面をもつともいえる。

Bについて
 新撰姓氏禄(815)
  「和泉国神別  穴師神主  天富貴命五世孫 古佐麻豆智命之後也」
との氏族がある。
 天富貴命(アメノフキ)とはタカミムスヒの御子で、アマテラスが隠れた天岩屋戸の前でアメノコヤネ(中臣氏の遠祖)とともに祭祀を司った天太玉命(アメノフトタマ、忌部氏の遠祖)の孫とされ、穴師神主に至る系譜は
  タカミムスヒ−アメノフトタマ−○−アメノフキ・・・・古佐麻豆智命(コサマツチ)・・・・・・・穴師神主
となる。
 アメノフトタマを遠祖とする忌部氏(後の斎部氏)は、中臣氏とともに宮中における祭祀を司ったとされる氏族だが、鏡や刀剣・鉄鐸などの製作氏族を率いていたともいわれ(天孫降臨段・崇神紀)、後世の穴師族とのかかわりも窺わせる。

 当社祭神をアメノフキ・コサマツチ二座とするのは、忌部氏に連なる穴師神主一族がその祖神を祀ったということだが、それは単なる祖神奉斎だけではなく、鉄器製作の守護神・穴師神=兵主神を祀ることでもあり、ひいては風の神祭祀とも連なるといえる。

 今、アメノフキ・コサマツチの二座は、本殿の右にある摂社・春日社に祀られているが、大阪府全志は、社名は異なるものの、
 「摂社の天御前(天富貴命・古佐麻槌命)は、穴師神社の其の祖神を祀りしものならん」
と記す(今、春日社とする由縁不明)。本来の祭神が摂社祭神に貶められたものかもしれない。

Cについて
 天富命はBにいう天富貴命と同一というから、穴師神主一族の祖神ということになるが、オオナムチをまつる由緒は不明。

Dについて
 延喜玄蕃式に、「新羅の客人が来たとき、その饗宴の席に供される酒を醸成する稲を、大和の賀茂神社・河内の恩智神社などとともに当社からも出す」とあることから食物の神・御食津神を祀るとしたもので、二座のうちの一座は同じ食物神のトヨウケヒメというが、根拠としては弱い。

 上記の各論いずれも確証はないが、当社本来の祭神はAあるいはBとみるのが妥当と思われる。

※社殿等
 二の鳥居をくぐってすぐに小さな石造の太鼓橋(通行不能)が架かり、その左右に境内に入る石橋が架かる。
 広々とした境内の正面に拝殿、左右に続く透塀に囲まれた神域内に本殿および摂末社が建つ。

 ・本殿−−千鳥破風付き一間社流造・檜皮葺の社殿2棟を合の間で連結した得意な形(二連造又は比翼造)で、
        全体としては三間社造(間口三間)にみえる。
        慶長7年、豊臣秀頼の造営によるもので、国指定の重要文化財(昭和24年2月19日)
 ・拝殿−−入母屋造・瓦葺、間口七間、拝殿前に、本殿2社殿にあわせた小さな鳥居2基が立つ。

泉穴師神社/二の鳥居
泉穴師神社・二の鳥居
泉穴師神社/太鼓橋
同・境内入り口の太鼓橋
泉穴師神社/拝殿
同・拝殿
泉穴師神社/本殿(部分)
同・本殿(左側)
泉穴師神社/本殿(資料転写)
同・本殿(栞より転写)

◎摂末社
(摂社)
 神域内に鎮座する本殿の右に摂社・春日社、左に同・住吉社が鎮座する。
  ・春日社(天富貴命・古佐麻槌命)−−一間社入母屋造・檜皮葺−−桃山時代(本殿と同時か)−−国指定重要文化財(昭和24年)
  ・住吉社(住吉四神)−−一間社入母屋造・檜皮葺−−室町時代−−国指定重要文化財(昭和24年)
(末社)
 神域内、住吉社の左に8社合祀殿、すこし離れて天照皇大神社・戎社・熊野社があるが、遠くて祭神等不詳。
  ・8社合祀殿(貴船社・八坂社・管原社・春日社・加茂社・琴平社・厳島社・稲荷社)
     −−明治41年の神社統廃合で近傍から合祀したものというが、式内社調査報告とは社名の一部が異なっている。
 境内左手に、3社合祀殿(市杵嶋姫命・大国主命・事代主命)をはさんで、右に多賀社(伊耶那岐大神)・愛宕社(火之香具土神)・樟本社(楠木正成)が、左に八幡社(誉田別尊)・兵主社(八千鉾命)・大歳社(大歳神)が並んでいる。

泉穴師神社・摂社/春日社
摂社・春日社
泉穴師神社・摂社/住吉社、末社/合祀殿
左:8社合祀殿、右:住吉社(摂社)
泉穴師神社・末社/戎社他2社
左から末社、熊野社・戎社・皇大神社
泉穴師神社・末社/愛宕社
末社・愛宕社
泉穴師神社・末社/合祀殿
末社・3社合祀殿
泉穴師神社・末社/大歳社
末社・大歳社

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