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加支多神社
大阪府泉佐野市鶴原1834
祭神--品陀別命・市杵島姫命
                                                    2019.10.04参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国日根郡 加支多神社 鍬靫』とある式内社だが、今、当社では『加支多八幡神社』・カキタハチマンと称している。

 南海本線・鶴原駅の南東約300m、駅東側の鶴原商店街を南東方に進んだ左手、民家に挟まれて鎮座する。

※由緒
 頂いた加支多八幡神社由緒には
 「泉佐野市鶴原に御鎮座まします加支多八幡神社(カキタハチマン)は、8世紀に定められた延喜式の神名帳に、和泉国62座の中の一座として記載されている式内社です。
 御祭神は
  ・誉田別命(応神天皇・八幡大神)
  ・市杵島姫命
  ・天児屋根命
をお祀りしています」
とあるだけで、創建由緒等は記されていない。(境内に案内表示なし)

 大阪府全志には(1922)には
 「もと市杵島神社と称し、市杵島姫を祀れり。勝間家の伝ふる所に依れば、往時楠氏の臣・勝間某なるもの、敗軍の際、祭神を負ふて此の森に来たり、豪家新川氏の宅を訪ふて奉祀せんことを乞ひければ、新川氏其の手続きを為し、国司に出願して奉祀せしものなりと。勝間氏の子孫は今も本地に居住せり。
 明治5年村社に列し、同42年7月12日 字貝田の村社・加支多神社(品陀別命)を合祀して今の社名に改め、
 同時に同字の村社熊城八幡神社(誉田別命)、無格社九萬城八幡神社(誉田別命)、字鶴原の村社大宮八幡神社(誉田別命)、字新家の同八幡神社(誉田別命)、字濱田の同濱之神社(事代主命)、宇布の無格社八幡神社(誉田別命)、字古屋敷の同曽我神社(曽我兄弟の霊)を合祀し、云々」」
とある。

 これによれば、当社は元々市杵島姫神社と称していた神社に、明治末の神社統合令によって、明治42年に字貝田にあった加支多神社を合祀して(明治末の神社統廃合令によるものであろう)、社名を加支多神社と変更し、合わせて近傍各字の小社(殆どが八幡神社)を合祀したという。
 合祀された加支多神社について、
*大阪府全志
 「字貝田の加支多神社は、延喜式内の神社なり。由緒は詳ならず。社名は地名に因めるものなるべし。俗に八幡神社と称し、国内神名帳に従四位下・垣田神社と記せらる」
*大阪府史蹟名勝天然記念物(1929)
 「加支多神社址  延喜式内の旧社にして、国内神名帳に従四位下・垣田社とあり。一に八幡宮と称し、社域442坪を有したりしが、明治42年7月12日、今の加支多神社、即ち元の俗称・新宮に合祀後、廃墟となる」
として、旧式内・加支多神社は字貝田にあったというが、いずれもその由緒等についての記述はない。

 この旧社地の位置は不祥だが、資料によれば、当社前の道路を約300mほど進んだ右側(南側)にある貝田町会館の辺りにあったともいうが、今その痕跡はない(今は鶴原町に含まれ字名はなくなっているが、すく南に貝田との交差点があり、この辺りが字貝田とみても間違いはないだろう)

 ただ、式内・加支多神社の合祀先については異説があり、
*史跡名勝天然記念物は、上記に続けて
 「然るに南近義村大字王子の南方貝田社に八大龍王を祀る一社あり。社域110余坪、南近義神社に合祀後、遺址を存するのみ。この社亦古来式内の加支多神社なりとの説あり」
*大阪府全志
 「南近義神社  明治40年11月16日・・・本地字貝田社の同加支多神社・・・を合祀」
とある。

 ここでいう南近義神社(ミナミコギ、祭神:ミズハノメ)とは、当社の東約900mほどの貝塚市王子に鎮座する神社で、吉野の丹生神社の分社で、境内に掲げる案内(貝塚市教育委員会)には、
 「明治40年から42年にかけて、南近義地域に所在する神社を合祀し、南近義神社と改めた」
とあり(ネット資料)、その内の一社が史跡名勝天然記念物にいう“大字王子の南方貝田社”であろうが、それが式内・加支多神社であった確証はない。

※祭神
  上記の通り。由緒には御神徳が記されているが、割愛する。


※社殿等
 鶴原商店通り終点近くの左側に朱塗りの鳥居が東面して立ち境内に入る。
 境内正面に、千鳥破風付き向拝を有する切妻造平入りの拝殿が建ち、その奥に本殿が鎮座する。
 ただ、拝殿脇から屋根の一部が見えるだけで、全貌をみることはできないが、屋根の形からみて流造社殿と思われる。

 
加支多神社・鳥居
 
同・拝殿

同・本殿(屋根の一部) 

◎境内社
 拝殿の向かって右に境内社2社が鎮座する。
 頂いた由緒書には
*戎神社--祭神:八重事代主命
   商売繁盛の守護神で、「つるはらえびす」と親しまれ、1月10日には戎祭がおこなわれる。
*塞(サイ)の神
   道反大神(チカヘシノオオカミ)とも称され、身体についた凡てのの罪・穢れ・病気・悩みを祓い浄め・追い出し・治癒してくださる神で、古来、「足神」として足の病を治してくださる神です。
*金神(コンジン)
   金神の坐す方位は殺気の凶方とされ、方位のあやまちを犯さないよう、又未然に防いでくださる神です
とある(大意)

 塞の神とは、此岸と彼岸の境界にあって、やってくる悪霊・邪神の侵入を遮る神で、通常、道祖神と一体化している。
 道祖神が、悪霊・邪神の侵入を遮ると共に旅人の安全を守るということから足神とされたのであろうが、これは拡大解釈であって本来の道祖神にそのような神格はない。。
 その別名・道反大神とは、黄泉国から逃げ帰ったイザナギが、黄泉国とこの世との境界である黄泉比良坂に据え置いたという大石で、これを境として追ってきたイザナミと絶縁したとされ、古事記には「その黄泉の坂に塞(サヤ)りし石は道反之大神と名づけて云々」とある。

 金神とは、陰陽道でいう方位神(5柱ほどある)の一で、この神が坐す方角(時期によって移動する)は凶方であって、その方角へ向かうことは忌避され、それを犯せば災いが降りかかるとされた怖ろしい神という。

 
戎神社・鳥居
 
同左・社殿
 
塞の神・金神社・鳥居
 
同左・石碑
(左:塞の神・右:金神)

 由緒書にわれば、「大黒様」との境内社がある。
 独立した社殿はなく社務所の中央に祀られているそうで、社務所右の玄関に「大黒殿」との扁額が掛かっている。

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