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和泉(和泉郡)の式内社/丸笠神社
跡地−−大阪府和泉市伯太4丁目
                                                    2011.03.06参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 丸笠神社』とある式内社だが、明治末期の神社統廃合によって、大正5年(1916)、式内・伯太(博多)神社の飛地境内末社となっている。

 旧社地は、JR阪和線・信太駅の東南東約1.2km(伯太神社の東約700m)にある伯太神社の社地(飛地境内)・丸笠山古墳とされるが、今、現地には古い石の鳥居と壊れかけた小祠があるのみで、祭祀はおこなわれていない。

◎丸笠山古墳
 信太山丘陵の西縁部にある前方後円墳(L=96m)で、4世紀末頃築造の前期古墳と推測される(現地案内表示による)
 全体に削平が激しく殆ど原形をとどめていない。過去に埴輪が出土したという以外は詳細不明だが、西側に残る溜池(丸笠池)は周濠の名残と考えられている。大阪府指定文化財(昭和51年指定)

丸笠山古墳(部分)
丸笠山古墳(部分)
丸笠山古墳・周濠(部分)
同・周濠(部分)


※由緒
 式内社調査報告(1986)によれば、
 「社伝によれば、神功皇后が和泉の小竹宮(シノノミヤ)の行宮に還られた時、勅命をうけて国内平定につくした武将小竹祝丸・天野祝丸の墓二つを造ったので、境内は車塚となった。この地に御諸別神(和泉国皇大神)を祀った。
 白河法皇(法皇在位:1086--1129)が熊野御幸の折、当地で病まれ、ここで熊野を遙拝して平癒を祈願されたところ恢復できたので、寄進されたという鳥居、影向石、磐境、御車駕等の跡がある。この由縁により素盞鳴命を合祀したといふ」
とある。

 前段にいう“和泉の小竹宮”について、大阪府誌(1903)には
 「小竹宮趾  信太村大字尾井に在りといへども、その趾詳ならず。或いは曰ふ西方なる俗に雨降塚と称せる雑社・小竹社(祭神不詳)は其の旧址なりと。
 日本紀(書紀)
 神功皇后は紀伊國にお出でになり日高で太子にお会いになった。遂に忍熊王を攻めんとして更に小竹宮に遷られた
とあるもの即この宮にして・・・」
とあり、小竹宮は現尾井町(当地の北約1.2km附近 )にあった小竹神社(通称・雨降塚、明治42年信太森神社に合祀)がそれだというが、通説では、小竹宮の所在地は和歌山県御坊市小竹あるいは同県那珂郡小浜町の辺りとするのが有力という。

 また、“武将小竹祝丸・天野祝丸の墓二つを造り、車塚となした”とは、丸笠古墳の築造を指すとも考えられるが(時期的には略合致する)、皇后摂政紀に武将小竹祝丸・天野祝丸はみえず、代わって
 「皇后が小竹宮に遷られたとき、日中でも夜のような暗さが続いた。古老に尋ねたところ、『神官の小竹祝(シノノハフリ)の病死を悲しんで後を追った神官・天野祝(アマノノハフリ)を合葬した“アズナヒの罪”によるものだろう』と答えた。そのため墓を開き両者を別々の棺に納めて埋葬しなおしたところ、直ちに日が照りだした」(大意)
との説話があり、小竹祝丸・天野祝丸は武人ではなく神に仕える祝人(ハフリビト・神官)となっている。

 前段末尾に「この地に御諸別神を祀った」とあるのは、当社の創建を意味するのかもしれない。神功皇后の実在は否定されてはいるものの、泉北地方には神功皇后に関する伝承が多々あり、上記伝承もその一つであろう。

 後段にいう“白河法皇(法皇在位1086--1129)の熊野御幸云々”とは、当地にあった“平松王子”にかかわる縁起だろうが(泉州志-1700-に「相伝白河法皇建之」とある)
 大阪府誌には
 「平松行宮趾(附・平松王子)  趾は伯太村なりといへども今詳ならず。又平松王子祠は近世まで存せし伯太御子の神祠是にして、昔白河法皇の熊野遙拝の為に伯太街道(小栗街道ともいう)の東に建てられしものなりといふ。当時は大華表(鳥居)ありしが前年丸笠神社の境内に遷し、祠も今はなし」
とあり、
 白河法皇より後の法皇・後鳥羽院の熊野御幸記(1201・藤原定家著)にも
 「平松王子に於いて乱舞の沙汰あり。是より歩いて平松新造御所に入御す。各宿所に入る」
とあることから、当地に熊野への遙拝所兼宿泊所である平松王子の存在が確認され、これから類推して、式内・丸笠神社が平安時代(院政期以前)から実在したことは確かといえる。ただ、今に残る鳥居は江戸初期のもので法皇寄進のものではない。
 今、当地の北西約600mの幸3丁目の旧小栗街道脇に“平松王子跡”との石碑が立っている。

 伯太神社に合祀される以前の当社が、丸笠山古墳上にあったことは事実のようだが、
 ・“丸笠神社縁起”(1392・南北朝末期、和泉市史所載)には、
  「もと当社は南池田地区の宮里(国分・平井・黒石地区の古地名)にあったといふ。
   建武中興の折、後醍醐天皇(1318--39)が奉斎され・・・」
とあるという。
 ここでいう宮里とは、カッコ内の古地名によれば、当地の南南東にある現国分町・平井町・黒石町辺りを指すと思われる。とすれば、当地とは約7〜8kmほど離れており、そんな遠距離から当地へ遷座した由縁は不明といわざるを得ない。
 また、これが史実とすれば、丸笠古墳上への遷座は、後醍醐天皇から南北朝末期にかけての混乱期になされたとなるが、その真偽は不明。

 大阪府史蹟名勝天然記念物には、明治以降のこととして
 「かつて伯太神社等当社(丸笠神社)に合祀し遷座式を行ひし後、内務省伯太神社の移転を許可せず。故にそれを原に復し、大正5年に至り当社を伯太神社に合祀することとし、尚境外別社として旧地に置く」
とあり、明治末期からの神社統廃合政策によって丸笠神社が伯太神社に合祀された際、地元の意向と政府のそれの間に相違・混乱があったことを示している。

※祭神
 本社である伯太神社拝殿に掲げる案内には、
  丸笠神社−−天照皇大神(神功皇后) 武甕槌命(小竹祝丸) 経津主命(天野祝丸) 八雲大神(熊野大神) 天児屋根命
とあるが(カッコ内は別伝か)、諸資料によれば
 ・皇大神 熊野神−−−大阪府誌(1903)・大阪府史蹟名勝天然記念物(1929)
 ・伊奘諾命 伊奘冉命−−−大阪府全志(1922)
 ・御諸別命 素盞鳴命−−−式内社調査報告(1986)
などの諸説がある。延喜式には一座とあるが、これに当たるのがどの神かはっきりしない。

 *天照皇大神(皇大神)とは通常ではアマテラスを指すが、当社にアマテラスを祀る由緒はみえない。
    神功皇后を指すのかもしれないが、皇后を天照皇大神あるいは皇大神と呼んだ資料はみえない。
 *タケミカヅチ・フツヌシ・アメノコヤネは所謂・春日三神だろうが、当社と春日社との関係は不詳。

 *神功皇后・小竹祝丸・天野祝丸とは、当社の創建由緒に因むもので、
 *熊野大神(熊野神)とは白河法皇の熊野参詣途上での出来事にもとずくものと解される(大阪府誌にいう熊野神も同じ)

 *御諸別命(ミモロワケ)とは、創建由緒にいう「この地に御諸別神(和泉国皇大神)を祀った」によるものだろう。
 ミモロワケについて、書紀によれば
 @崇神帝−−豊城入彦命−−○−−彦狭島王−−御諸別王(命)
 A景行帝−−稻背入彦命−−御諸別命
の出自を異にする二人がみえ、
 @のミモロワケについて、景行紀には
  55年条 トヨキイリヒコの孫・ヒコサシマを東山道の都督に任じたが、赴任前に亡くなった
  56年条 ミモロワケに詔して、『早く死んだ父・ヒコサシマに代わって東国を治めよ』と命じた。
       ミモロワケは命を奉じて東国におもむき善政を敷いた
とあり(大意)
 Aのミモロワケについて、同じく姓氏禄に
 「右京皇別 佐伯直 景行天皇皇子稲背入彦命之後也 男御諸別命、成務天皇の御代に針間(播磨)国の半分が与えられた(大意)
とあり、播磨国国造の祖といわれる。

 御諸別と当社との関係は不明だが、新撰姓氏禄(815)
  「和泉国皇別 珍県主 豊城入彦命三世の孫御諸別命之後也」
とあり、和泉国にもミモロワケの後裔氏族・珍県主(チヌノアガタヌシ)一族がいたとある。
 当社近傍では、泉井上神社の末社・和泉神社の祭神がミモロワケとも推測されることなどから、当社祭神もまたミモロワケだったかもしれないが、確証はない。

 *スサノヲとは、案内にいう八雲大神を指すと思われる。古事記にいう、スサノヲが須賀宮を造ったときに歌った歌・「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに・・・」に因むものか(ただ、出雲の熊野神社では祭神・櫛御食野命の別名をスサノヲとしている)

 いずれの説も、その根拠となる資料はみえず、当社祭神は不明といわざるを得ない。

※社殿等
 丸笠山古墳南側の道路脇に一の鳥居が立ち、脇に“丸笠山古墳”との石標が立つ。
 民家に挟まれた地道を進んだ先に古墳へ入る簡単な入口(古墳裾に繞らしたロープの切れ目)がある。古墳名を示す表示はあるものの神社を示すものはない。

 入口を入った先、雑木林に囲まれてちょっとした平場があり、右手笹原の中に古い鳥居(「貞享第四丁卯歳・1687 三月吉祥日 伯太村」の刻字あり)が、左手に壊れかかった小祠があるが、これが曾ての拝殿かどうかは不明。祠の中に陶製の白狐像が転がっているから、ある時期、稲荷社として祀られていたらしい。

 丸笠山古墳の案内には、
 「(丸笠山古墳は)もと式内社丸笠神社の境内地で、前方部に拝所を設け、本殿を設けず直接古墳を祭る、古代の祭祀形式をとっていたと考えられる」
とあるが、今は荒れはてていて、その面影はない。

丸笠神社/一の鳥居
丸笠神社・道路脇の鳥居
丸笠神社/二の鳥居
同・旧社地に立つ鳥居
丸笠神社/祠
同・祠

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