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和泉(大鳥郡)の式内社/大鳥美波比神社
付-式内・押別神社
大阪府堺市西区鳳北町1町
祭神--天照大神
                                                               2011.01.11参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 大鳥美波比神社』とある式内社で、今、式内・大鳥神社の境内摂社として、境内東側に鎮座する。社名は“オオトリ ミハヒ”と訓むが、爾波比と書いて“ニハヒ”と訓むとする説もある。
 なお、式内・押別神社(オシワケ)が合祀されているという。

※由緒
 大鳥五社大明神并別当神鳳寺縁起帳(849-平安前期、以下「大鳥五社縁起帳」という)によれば、
 「(大鳥神社)第二宮大鳥美波比神社は、地神第一代天照大日孁貴(アマテル オオヒルメムチ)也。
 垂仁天皇26年、天照大神勢州五十鈴河上に降り、同28年、白鳳と化して上野峯〈襲峯・小倉峯。今の鉢峰也〉に始現す。
 景行天年24年、託宣に依りて、武内宿禰、天皇の命をうけ神鳥を尋ねて此の国に来る。
 ここ下野の森に歳七十余りの一老翁有り。勅使が霊禽の在処を問うに、曰く、我は此処に棲んで120余歳也。是より西に上野という嶺あり、鳳彼の地に下りて久し、と。・・・
 勅使、彼に随って上野に詣で、再拝して霊徳を崇い、始めて祠宇を構う」(大意)
とあり、当社の祭神を天照大神、創建を景行天皇24年・上野峯(鉢ヶ峯)としている。

 ここでいう最初の鎮座地・上野峯(鉢峰)の確たる場所は不明だが、南区鉢ヶ峯寺にある法道寺近くの小丘と推測されている(南公園墓地付近)。この地は式内・国神社の旧鎮座地といわれ(明治43年、桜井神社-南区片蔵-に合祀)、同神社に残る縁起によれば、
 「垂仁8年(28年か)、天照大神が鳳凰と化してこの峰に降り、景行24年、神託により武内宿禰に命じて社殿を造営したが、同55年神鳳が千種森に移った。今の大鳥神社(美波比神社)是なり」(大意)
とあるという(大阪府全志・1922)

 当社の創建を景行24年・上野峯(鉢ヶ峯)とする真偽は不明だが、諸資料によれば、現大鳥神社境内に遷座する以前は、北王子村の農夫久保小太郎宅地(現西区鳳南町4丁、当社の南約1km)にあったという(式内社目六稿-1874)
 それが明治6年(1873)、教部省通達により現大鳥神社境内に遷座することとなり、同12年7月、旧神鳳寺の五重塔趾に遷座し、昭和9年(1934)、現在地(本堂趾)に移ったと伝えられているという(以上、式内社調査報告・1977)
 なお、久保氏敷地内には、元宮司富岡鉄齊筆の“美波比神社旧址”との石碑があるというが、未見。

※祭神
 現在の祭神は天照大神。これは上記の大鳥五社縁起帳によるものだが、
 他にも次ぎの諸説があるが、いずれもその根拠不詳。
 ・庭津日神(ニハツヒ・スサノヲの御子・大年神の御子神で、庭を照らす日の意・屋敷神)--神名帳考証(1813)・神祇史料(1871)
        --社名・爾波比(ニハヒ)と読んでの祭神名か
 ・天児屋根命(大鳥連祖神)--神社覈録(1870)
 ・祭神不詳--和泉国式内社目六稿(1874)
 ・両道入媛命(フタジノイリヒメ・垂仁天皇の女で、ヤマトタケルの妃)--和泉国式神私考(不明)

 なお相殿神として、近傍から合祀された次の諸神を祀るという。明治後期に強行された神社統廃合政策による合祀であろう。
 ・押別命(オシワケノミコト・景行天皇の皇子)--式内・押別神社祭神(明治42年-1909合祀)・詳細は下記
 ・菅原道真--菅原神社3社(野代村他)の祭神(同上)
 ・国常立尊(クニノトコタチ)--浜寺村天神社の祭神(大正3年-1914合祀)
 ・市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)--浜寺村市杵島神社祭神(同上)

※社殿等
 大鳥神社前を過ぎた突きあたり、鳥居の先に入母屋造・銅板葺の拝殿、その奥に流造・銅板葺の本殿が鎮座する。いずれも、昭和9年に現在地に遷座したときの造営という。

大鳥美波比神社/鳥居
大鳥美波比神社・鳥居
大鳥美波比神社/拝殿
同・拝殿
大鳥美波比神社/本殿
同・本殿

 また、鳥居を入ったすぐ左に4社合祀殿があるが、これは大鳥神社の末社であって当社とは無関係という。

【押別神社】
 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 押別神社』とある式内社で、明治42年(1909)、境内摂社・大鳥美波比神社に合祀されたという(由緒書などなく現状不明)。社名は“オシワケ”と訓む。別名・別松宮ともいった。

 当社の旧社地は、小栗街道(大阪和泉泉南線か)西側の田圃の間にあって広さ300歩、松樫が生えていたというが、今はJR鳳駅の東側商店街の南辺りの民地の中に埋没しているらしい。

 当社の創建由緒など不詳で、祭神についても景行天皇の皇子・押別命(オシワケノミコト・古事記、書紀では忍之別皇子)とはするものの、“祭神押別命か”(神社覈録)・“所祭未詳”(和泉国式内社目六稿)・“国忍別命-スサノヲの御子”(和泉国式神私考・神名帳考証)・“石押別命”(大阪府誌)などの諸説があり、いずれが本来のそれか不詳。

 当社は美波比神社に合祀されているというが、今、それを示す何らの標示はみあたらない。

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