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和泉(大鳥郡)の式内社/美多彌神社
大阪府堺市南区鴨谷台1丁
主祭神−−天児屋根命
                                                        2011.02.07参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 美多彌神社』とある式内社。社名・美多彌は“ミタミ”と訓む。

 南海高野線に接続する泉北高速鉄道の栂・美木多駅の南西約1.2kmの小高い丘の上に鎮座する。
 駅から、道路と鉄道とが併用する泉北1号線を西へ約900m、鴨谷橋南詰交差点を左折して南へ約800m、美多彌神社前交差点を右(西)に回りこんだところに二の鳥居が立つ。

※由緒
 当社略由緒によれば、
 「平安時代には既に建立されており、西暦905年(927年の間違い)に作成された延喜式神名帳に記載されている由緒ある式内社である。
 美多彌神社社名の由来は、新撰姓氏禄・和泉国神別によると、天児屋根命(アメノコヤネ)の後裔、大中臣朝臣の同祖、“民直”(ミタミノアタイ)からとの説があり、民直氏族は、飛鳥時代の天武天皇の人物史に“大史”なる人物が記載されている。・・・
 又、民直は大鳥郡の御民(ミタミ)で、天皇の御領の民の直であり、大鳥郡に美多彌神社があると記載されている」
とある。

 民直(ミタミノアタイ)とは、略由緒にいうように、新撰姓氏禄(815)
 「和泉国神別(天神) 民直 天児屋根命之後也」
とある中臣氏系の氏族で(直・アタイは姓の一)、日本書紀・天武即位前記に、所謂・壬申の乱(672)の直前、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野山を脱出されたとき、皇子に従った舎人のなかに“民直大火”(タミノアタイオオヒ−略由緒にいう“大史”か)なる人物が、衛我河(エガノカワ)の戦いで近江方(弘文天皇方)と戦った皇子方の将軍の一人として“民直小鮪”(タミノアタイオシビ)が出ている。
 なお、“民”を書紀では“タミ”と読んでいるが、大阪府史蹟名勝天然記念物(1931)には「美多彌(ミタミ)と訓むを正しとす」とある。

 当社に関連する古代氏族として、諸資料ともに民直一族を挙げるが、民直氏と当地との関係ははっきりせず、また当社の創建年代・由緒なども不詳。

 ただ大阪府全志(1922)は、和名抄(937)における当地の旧郷名「大鳥郡和田彌木多」とあり(当地一帯の地名“美木多”は之による)、その和田郷(ニキタゴウ)との地名から、
 「姓氏禄に、『和泉国神別(天神) 和太(田)連 天児屋根命之後也』とある和田氏(ニキタ)の居りし所ならん。
 美多彌神社は延喜式内の神社にして天児屋根命を祀れり。和田氏の祖神を祀りしものならん。後醍醐天皇の御宇(1318--39)には社頭綸奐の美を極めたる神社にして、楠木氏の守護神なりしが、天正年間(1573--92)に至り織田氏の兵乱のため荒廃に及びけるに、元禄元年3月和田道山(讃)楠木氏の裔なるを以て之を再興し、云々」(大意)
と記している。

 この和田氏と先述の民氏との関係は不詳だが、和田氏一門が当社門前に居を構え、氏子が組織する宮座の“一老”として、神宮寺・得泉寺(高野山末寺、1500年代建立という)の社務を別当とともに統括していたこと(式内社調査報告・1986)、あるいは楠木氏の家紋・菊水を刻した石燈籠(1711・1743奉納)が残ることなどから、和田氏との関係が深いと思われる。

 江戸時代になると、当社も当時流行していた牛頭天王(ゴズテンノウ)を祀っていたようで、寺社改帳(元禄4年・1691・江戸前期)には
 「牛頭天王社 勧請年号不知 神主巡番」
とあり、境内に「牛頭天王御神前」と刻した石燈籠(正徳元年・1711、和田治左衛門寄進というが、摩耗していて読めず)が存置されている。

 明治の神仏分離により、神宮寺・得泉寺が廃寺となり、神社として今に至っている。

※祭神
 当社略由緒には、アメノコヤネ以下9座の神名を記しているが、明治以前の史料はアメノコヤネのみであり、これを主祭神とするに諸資料とも異論はない。
 アメノコヤネ以外の祭神として
 ・牛頭大神(ゴズオオカミ、素盞鳴命と注記あり)は、江戸時代のゴズテンノウ勧請の名残りで、それ以外の
 ・菅原道真 ・天之水分大神 ・厳島大神(市杵島比売命) ・大国主大神
 ・熊野大神 ・琴平大神(大物主大神) ・八幡大神(誉田別尊)
の諸神は、明治40年(1907)以降、政府の神仏統廃合政策によって近傍各地から合祀されたもの。

※社殿等
 往時の当社は、広大な山林を擁した神域をもっていたらしいが、今は、戦後の住宅地開発によって神域は縮小し、高層住宅が林立する泉北ニュータウンに中に残る小高い山頂に鎮座する。

 美多彌神宮前交差点を回りこんだ道路脇に立つ二の鳥居すぐの石段を登った上、小さな平地に立つ一の鳥居をくぐり、やや急な石段を登った上にコンクリート造の近代的な拝殿が建ち、拝殿奥、白壁に囲まれた中に本殿が建つ。
 ・本殿−−素木入母屋造・木造・銅板葺・間口2間・奥行2間
 ・拝殿−−コンクリート造切妻造・平入・銅板葺・間口4間・奥行2間
いずれも、昭和47年(1972)改造という。 

美多彌神社/二の鳥居
美多彌神社・二の鳥居
美多彌神社/一の鳥居
同・一の鳥居
美多彌神社/拝殿
同・拝殿
美多彌神社/本殿
同・本殿
 一の鳥居下の両脇に古い石燈籠が数基並び、その中に「牛頭天王御神前」の刻したものがある。
 当社が、江戸時代に防疫神・ゴズテンノウを祀っていたとき奉納された遺物で、今の祭神の中に素盞鳴命(=牛頭天王)を祀る由縁でもある。
 なおゴズテンノウは、明治の神仏分離に際して邪神として排斥され、同じ神格をもつスサノヲに替わっている。

なお、一の鳥居の左に金刀比羅社および龍神社(小祠)が鎮座する。
美多彌神社/牛頭天王刻銘のある石燈籠
牛頭天王の石燈籠
美多彌神社/石燈籠群
石燈籠群

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