トップページへ戻る

和泉(和泉郡)の式内社/曾禰神社
大阪府泉大津市曽祢町1丁目
祭神−−饒速日命・伊香我色雄命他5柱
                                                   2011.03.06参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 曽祢神社』とある式内社。

 JR阪和線・信太山駅の西約800m、。駅南をほぼ東西に走る泉大津美原線(2車線道路)を西へ、大運寺前信号を右(北)へ入った住宅地に囲まれた中に鎮座する。
 社殿背後(東側)は池上曽根遺跡(神殿風巨大建物の出土で知られる弥生中期の環濠集落跡)に隣接している。

※由緒
 社頭に掲げる案内によれば、
 ・創建は天武天皇4年(675)−−神社明細帳(1952)
 ・神位は従四位上、社格・村社−−国内神名帳
とあるが、その根拠となる出典史料など不詳。

 大阪府誌(1903)には、
 「式内の古社にして伊香我色雄命を祭る。
 姓氏禄に見ゆる和泉国神別曽祢連は命の後なるを以て思へば、或いは同連等の其の祖を祀りしものならん」
とある。
 地名などからみて、当地付近に居住していた曽祢氏が氏神社として祖神を祀ったのが始まりであろう。

 曽祢連とは、新撰姓氏禄(815)
  「和泉国神別(天神) 曽祢連  神饒速日命六世孫伊香我色雄命之後也」
とある物部氏系の氏族。

※祭神
 社頭に掲げる案内によれば、祭神は
  饒速日命(ニギハヤヒ)・伊香我色雄命(イカガシコオ)・素盞鳴命(スサノヲ・祇園の神)
  表筒男命(ウワツツノオ)・中筒男命・底筒男命・息長帯姫命(オキナガタラシヒメ)−−(住吉四神)
とあるが、延喜式には一座とあることからみると、本来の祭神はイカガシコオと思われ、
 ・大阪府誌(1903)−−イカガシコオ一座・・・ニギハヤヒ・スサノヲ・住吉四神は後になっての配祀
 ・大阪府全志(1922)−−ニギハヤヒ・イカガシコオ二座・・・スサノヲ・住吉四神は後になっての配祀
という(大意)
 ただ、ニギハヤヒ・イカガシコオはいずれも物部氏の祖神であり、当社が物部氏系の曽祢氏の奉斎とすれば、創建時からこの両神を祀っていたともとれる。

 スサノヲ以下について、江戸時代の古書・泉州志(1700)には
 「曽祢氏祖神饒速日命也。今天神と称す。後、住吉祇園を合せ祭る」
とあり、既に江戸時代からスサノヲ及び住吉四神を祀っていたらしい。
 なお、スサノヲとは明治の神仏分離以降の呼称であって、江戸時代までは牛頭天王(ゴズテンノウ・防疫神)であったと思われる

◎合祀社
 明治末期の神社統廃合によって、近傍各地から次の7社が合祀されている。
 ・日吉神社(大山咋神、森町) ・管原神社(管原道真、南曽祢町・千原町) ・白山神社(白山姫命、北曽祢町)
 ・二田国津神社(天足彦神・二田物部神・管原道真、二田町) ・池上神社(管原道真、池上町) ・上泉神社(管原道真、池上町)

※社殿等
 南北する道路の角に“式内 曽祢神社”の石標あり。民家に挟まれた参道先に一の鳥居が立つ。境内に入ると、右手に二の鳥居が立ち、その奥に拝殿・本殿が北東を向いて建っている。
 ・本殿−−流造(間口1.73・奥行1.5間)・銅板葺
 ・拝殿−−正面に千鳥破風・唐破風をもつ入母屋造・瓦葺

曽祢神社/二の鳥居
曽祢神社・二の鳥居
曽祢神社/拝殿
同・拝殿
曽祢神社/本殿
同・本殿

 境内のはずれに、末社・白山神社があるのみで、他に祠等見えず。

[トップページへ戻る]