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和泉(大鳥郡)の式内社/陶荒田神社
付−式内・火雷神社
大阪府堺市中区上之
祭神−−高魂命・劔根命・八重事代主命・菅原道真
                                                      2011.04.01参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 陶荒田神社二座 靫』とある式内社で、同じ大鳥郡の式内社・『火雷神社』を合祀している。陶荒田はスエノアラタ(又はスエアラタ)、火雷はホノイカヅチと読む。

 泉北高速鉄道・星ヶ丘駅の北東約1.8kmの、低い丘陵地に鎮座する。交通の便としては、泉北鉄道・深井駅前から南海バス・あみだ池行きで、上之(ウエノ)下車。上之交差点を北へ上った突きあたりに鎮座する。交差点の南西角に大鳥居が立ち、大きな案内標柱が立っている。

 当社が鎮座する地域は、日本書紀にいう茅渟県陶邑(チヌノアガタ スエムラ)に比定されているが、森浩一氏(考古学者)によれば、
 「茅渟県というのは、和泉国の大鳥郡や和泉郡、今の堺市と和泉市を中心とした地域であって、陶邑はそのなかの須恵器生産によって特色づけられた邑という意味であったと推定され、江戸時代以来、旧の東・西陶器邑の付近であろうと考えられている。
 当地におけ須恵器生産の推移をたどると、6世紀はじめ頃がもっとも広大で、隣接する丹比郡にも拡がっていたが、6世紀後半になると丹比郡内のそれは急速に衰えている。
 このように須恵器生産の推移をたどると、茅渟県だけが須恵器生産地と意識されるのは、初期の生産段階か、6世紀末葉以降かのどちらかの可能性が強く、大田田根子の陶邑は6世紀以降の事態の反映ではないかと思う」(大意)
という(大阪府史・1978)

 下記の由緒にあるように、当社を創建したという大田田根子が見出された地として、日本書紀では“茅渟県の陶邑”とされ当地付近に比定されているが、古事記では“河内の美努村”(ミノムラ)とされ、一般には旧河内国゜若江郡御野(現八尾市上之町南)付近とされる。
 しかし、当社が鎮座する町・上之の南東に隣接して“見野山”との町があり、その北に連なる町・“陶器北”も曾ては見野と呼ばれていたというから、茅渟県陶邑と河内の美努村とは同じ場所を指すのかもしれない。
 因みに和泉国は孝謙天皇・天平法字元年(757)に設けられた国で、それまでは河内国に属していたから、河内の美努を当地としても間違いではない。

※由緒
 社頭に掲げる由緒によれば、
 「陶荒田神社は、崇神天皇の7年(西紀前90年)の創建にかかり、延喜式にも載っている古社であります。
 素盞鳴命十世の孫大田田祢古命が勅命を奉じて大和国大三輪大神を奉斎する大神主となられたとき、祖先の神霊を祀るため、この陶村すなわち陶器郷の大田森に社を建立されたのが当社の起源であります」
という。

 この由緒は、日本書紀・崇神7年条にある、
 「疫病流行・災害発生など国内が乱れたとき、その因をなした三輪の神・大物主神の夢告を受けた天皇が、茅渟県陶邑から大田田根子(オオタタネコ)を見出して、これを祭主としてオオモノヌシを祀ったら、疫病が収まり国内が鎮まった」(大意)
との伝承をうけたもので、この時、オオタタネコがその居住地である当地に祖神を祀ったのが当社となる。

 また、当社の創建を崇神7年とするのも、この伝承をうけたものだが、オオタタネコが陶邑の窯業集団を率いたいたとすれば、上記の陶邑を中心とする陶器生産状況の経緯、あるいは奈良桜井の大神神社周辺から出土する祭祀土器(須恵器)に6世紀以降のものが顕著ということからみて、当社の創建は6世紀後半以降とみるのが自然かもしれない(奈良・大神神社の創建は6世紀ともいう)

 一方、当社から頂戴した由緒書には、当社社名の由来として、
 「大田田根子命の子孫の荒田直(アラタノアタイ)が祖先神を当社にお祀りし、その後、地名・陶邑の陶と人名の荒田から『陶荒田神社』と呼ばれるようになりました」
と記すが、
 堺市が社頭に掲げる案内には、
 「主神の高魂命五世の孫劔根命の子孫にあたる荒田直が当社の祭祀を行っていたとされ、地名の陶と人名の荒田をとって陶荒田と名づけられたと伝えられている」
とあり、社名・陶荒田は地名・人名の一体化とするのは同じだが、祭祀氏族とされる荒田直の系譜が異なっている。

 荒田直とは、新撰姓氏禄(815)に、
 「和泉国神別(天神) 荒田直 高魂命五世孫劔根命之後也」
とある氏族で、オオタタネコとは直接的なつながりはみえない。

 なお荒田直は、姓氏禄にいう、同じ劔根命(ツルギネ・ツルキネ)の後裔氏族である大和国神別の葛城忌寸(カツラギイミキ)・河内国神別の葛城直(カツラギノアタイ)と同祖の葛城国造系の氏族で(書紀・神武2年条に「剣根を以て葛城国造と為す」とある)、同じ葛城氏でも、武内宿禰・葛城襲津彦を祖とする葛城臣(カツラギノオミ)とは別系統という。

 系譜からみると、オオタタネコと荒田直との直接的な接点はないが、
 ・オオタタネコは大物主神と陶津耳命(スエツミミ)の娘・活玉依姫(イクタマヨリヒメ)の子とされるが(書紀)、荒田直の祖・ツルギネ命の系譜も、古代豪族系譜集覧(1993)によれば、
  『高魂命(タカミムスヒ)−伊久魂命−天押立命−スエツミミ命−玉依彦命−ツルギネ命−夜麻都俾命−久多美命(葛城直祖)』
とあり、これによれば、スエツミミを祖父にもつオオタタネコとツルギネとは従兄弟同士となること、
 ・オオタタネコの後継氏族の一である鴨君の鴨とは葛城の鴨(賀茂)(姓氏禄に、「大和国神別(地祇) 賀茂朝臣 大国主神之後也 大田田祢古命孫大賀茂都美足尼奉斎賀茂神社也」とある)、荒田直と同じ葛城を本貫とすること、
 ・陶邑を中心とする陶器生産の技術が、葛城国造や鴨君などの仲介で、三輪の地に入ったと推測されること
などから、両氏族ともスエツミミの後裔氏族であり、地縁的にも大和の葛城という土地をを介して繋がっているともいえる。

 上記の由緒を素直に読めば、オオタタネコが創建した当社の祭祀を、同じ系譜に連なる荒田直氏が携わったとなるが、祀られる祭神が荒田直の祖神であり、何故か、オオタタネコ系の祖神名(オオモノヌシ或はスエツミミ)はみえない。

 オオタタネコ一族が奈良・三輪山麓に移った後に、同族の荒田直が入ったとも解されるが、元々の創建氏族は荒田直氏であって、当社が陶邑に鎮座することから、後になって、陶邑から移ったとされる大神神社の祭祀者・オオタタネコを加上して作られたのが今の由緒かもしれない。

※祭神
 当社祭神について、今は
 ・主祭神−−高魂命(造化三神の一・高御産霊命の別名)・劔根命、
 ・配祀神−−八重事代主命・菅原道真
とするが、古来から次のような諸説があり、定説はないという(式内社調査報告・大阪府神社史資料)
 ・神社覈録(1870)−−祭神分別ならず。一座は荒田直祖神か、一座はいまだ考え得ず。
              惣国風土記異本は大己貴命・活玉依姫といふ。
 ・泉州志(1700)−−荒田直祖神高魂命・劔根命か。又云、高魂命・大村直祖神神魂命(カミムスヒ、造化三神の一)二座か。
 ・和泉志(1736)−−一座を天神と称し、一座は枳築(キツキ)と称す。
 ・和泉国式神私考(?)−−大陶祗命(オオスエツミ)、今陶天神と称す、劔根命、今枳都岐社(キツキ)と号す。
 ・大神分身類社鈔(1905)−−配祀神として天日方奇日方命(アメノヒカタクシヒカタ)・活玉依姫を増祀
 ・神社明細帳(1879)−−高魂命・劔根命・菅原道真・八重事代主命
 ・大阪府誌(1903)・大阪府全志(1922)−−高魂命・劔根命なりしが、後に菅原道真・八重事代主命を配祀せり。
 ・大阪府史蹟名勝天然記念物(1931)−−古来より高魂命・別(剣)根命となすが、大村直の祖神神魂命と高魂命、又陶津耳の祖神とも云ひ一定せず。当地を字大田と云ひ、神宮寺が大田山大村寺と号するから、大田田根子命に因あるもののように思はる。
 ・大阪府神社史資料(1933)−−(主祭神)高魂命・劔根命・(配祀神)八重事代主命・大田田根子・菅原道真

 *剣根命とは、書紀・神武2年条に
  「(東征時の功により)剣根という者を葛城国造とした」
と、先代旧事本紀・国造本紀には
  「(神武天皇が)剣根命を葛城国造となした。即ち葛城直の祖である」
とある神で、葛城国造系氏族の祖神とするに異論はないが、同じ旧事本紀に“土神葛城剣根命”なる名がみえ、高魂命に連なる天つ神というより、葛城地方土着の国つ神である可能性が強い。

 なお、ツルギネの“ネ(根・禰)”とは“4世紀以前の古い称号(原始的カバネ)”で、“地域の政治的英雄的首長に付けられた名称”といわれ(ウィキペテ゜ィア)、“ツルキ”が“葛城”を指すことから、ツルギネとは葛城地方を支配した首長を意味するという。

 *天神あるいは菅原道真を配するのは、泉州志他に「今天神社と称す」とあるように江戸時代以前からのもので、その鎮座由緒として、小出山城国領分大鳥郡寺社帳(1705)には
 「道真が左遷された折、当地で暫く休息された因縁から、天神として勧請し、当所の氏神として奉祀したとの伝承あり」(大意)
とあるという。天神祭祀令(947)によって各地に祀られたうちの一社であろう。

 *八重事代主命とは、大田田根子あるいは荒田直と葛城の鴨氏との関係から、鴨氏が祀る事代主命を合祀したものらしい。

 *大村直の祖神・神魂命とするのは、和名類聚抄の和泉国大島郡に“大村郷”があることから、新撰姓氏禄に
  「和泉国神別(天神) 大村直 大名草彦命男枳弥都弥命(キミツミ)之後也」
とある大村直一族が当地に関連するとみたもの。その系譜はよくわからないが、諸資料から推測すれば、
  神魂命−(五世の孫)−天道根命(紀伊国造)(五世の孫)−大名草彦命−君積命(キミツミ)・・・大村直
となり、紀氏に連なる氏族らしい。

 *大己貴命・活玉依姫とするのは、先代旧事本紀・地祇本紀に
  「大己貴神は、天の羽車である大鷲に乗って、妻となる人を探し求めた。茅渟県に降って行き、大陶祗(オオスエツミ・陶津耳の別名)の娘の活玉依姫を妻として通った。(以下、苧環説話に続く)
との伝承をうけたものであろう。

 これらの諸説をみるとき、その殆どが荒田直に関係する神々であって、当社を創建したというオオタタネコに直接連なる神(例えばスエツミミ)がみえないのが気にかかる。

※社殿等
 上之交差点から民家に挟まれた参道(一般道路)を北上し、二の鳥居を入り、境内中央に拝殿(入母屋造・瓦葺)、その奥に本殿(三間社流造・銅板葺)が鎮座する。ただし、拝殿両脇には建造物があって、外からは本殿を拝見できない。神社の方にお願いして本殿を拝ませて頂いた。

陶荒田神社/鳥居
陶荒田神社・鳥居
陶荒田神社/拝殿
同・拝殿
陶荒田神社/本殿
同・本殿

◎末社
 境内右手に戎社・大田社・玉の緒社が、左手に老松社・山田社・弁財天社(小池内)にある。由緒書によれば
 ・戎社−−八重事代主命、商売繁昌・家内繁栄の神、陶器の里の戎さん
 ・大田社−−大田田根子命、当社創建の神
 ・玉の緒社−−天御中主命、万物生成の神
 ・老松社−−祭神不詳、歯の神
 ・山田社−−活玉依姫命、安産福寿の神
 ・弁才天社−−市杵島姫命、子宝授与の弁天さん
とあるが、その勧請由緒など不明。
 資料によれば、上記以外に、明治41年に近傍各処から合祀された火雷神社(式内社)以下13社があるが、これらの現況は不明。

陶荒田神社・末社/大田社
末社・大田社
陶荒田神社・末社/戎社
末社・戎社
陶荒田神社・末社/老松社
末社・老松社

付−−火雷神社(ホノイカヅチ)
 延喜式神名帳に、『和泉国大鳥郡 火雷神社』とある式内社だが、明治末期の神社統廃合によって明治41年(1908)2月に陶荒田神社に合祀され、石鳥居・石燈籠などを移転し社殿は売却されたという。
 今、陶荒田神社には当社から移転されたという石燈籠2基があるのみで、由緒書・案内板などに当社名の記載はない。

 当社は陶荒田神社の北方約1.3kmの中区福田(大鳥郡福田村字愛宕−明治初年)にあったといわれ、今の愛宕神社(ある個人が、旧社地の一隅に愛宕神を勧請したものという)がその旧地という(大阪府神社史資料所載・火電神社-1933による。以下同じ)

 当社は今、火雷神社(ホノイカヅチ)と称するが、延喜式・九条家本などには“大電神社”とあり“イナヒカリ”と読む。祭神は不明ながら、その読みからみて“農業神”だろうという。

 “火”と“大”、“雷”と“電”との誤読・誤写しやすい文字だが、どちらが本来の社名かは不詳。
 近世には“火雷神社”(ホノイカヅチ)となり、江戸前期頃に愛宕信仰が付加されて“愛宕地蔵権現”・“愛宕大権現”、俗称・“愛宕さん”と呼ばれていたという。

 当社の創建年代・由緒など不詳だが、延喜式内社であることとともに、明治12年(1879)神社明細帳に
 「勧請年月不詳、蓋し正保年中(1644--48)当村開拓元祖氏家武俊再興す。后元治元年(1864)八月廿四日拝殿及弊殿焼失。翌乙丑年再建す」
とあり、他にも
 ・泉州大鳥郡陶器苻久田村(フクダムラ) 真言宗 平地 金竜山興源寺 鎮守愛宕権現−−寺社改帳(1685)
 ・陶器北村北に在り、今愛宕と称す−−和泉志(1736)
などがあることから、古くから当地に鎮座していた古社である。

 祭神としては
 ・祭神不詳。或は大年神(オオトシ)の裔−−大阪府史蹟名勝天然記念物(1931)
 ・別雷神(ワケイカヅチ)−−神社明細帳(1879)
 ・火雷大神(ホノイカヅチ)−−和泉国式内社目六稿(1874)・特選神名牒(1925)
などの説があるが、
 大阪府神社史資料には
 「別雷神とした理由は不詳。本来の社名・大電が誤写されて火雷となり、(雷神・防火神を祀る)愛宕信仰が貞享年間に付加された為ではなかろうか。
 また、当社の旧社地の景観は平坦な田園地帯であり、火雷神を祀る動機は見いだせない。
 八張り当社は大電(イナヒカリ)の社名をとり、本来は農業神としての神徳が希求されて祀られたのではなかろうか。・・・
 大阪府史蹟名勝天然記念物は、『祭神は古来不詳とせり。或いは云ふ、大年神の裔なりと』と記すが、これが正しい解釈かもしれない」(大意)
とある。
 なお、ワケイカヅチとは賀茂神社に伝わる丹塗矢神話で生まれた御子神で、ホノイカヅチとはその父神(乙訓坐火雷神社−長岡京市−の祭神)
 オオトシ命はスサノオの御子神で(古事記)、農業神とされる。

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