トップページへ戻る

和泉(和泉郡)の式内社/夜疑神社
大阪府岸和田市中井町2丁目
祭神−−布留多麻命
                                                      2011.03.26参詣

 延喜式神名帳に、『和泉国和泉郡 夜疑神社』とある式内社。社名は“ヤギ”と読み、陽疑・揚貴・八木とも記す。

 南海本線・忠岡駅の南東約1.2km、忠岡市との境界に近い岸和田市北部の住宅地内に鎮座する。

※由緒
 社伝に「昔数度の回録に罹りて旧記焼失せしを以て由緒詳かならざれど・・・」というように、由緒・創建年代など不明だが、当地に居住していた八木氏が奉斎した古社という。

 鎮座地について、並河誠所が式内社をまとめた古書・和泉志(1733-江戸中期)に「泉南郡中井に在り 旧名中八木」とあるように、文禄以前は中八木と呼ばれた八木郷の中心地(八木一族の本拠地と推測される)に鎮座していた神社で、鎮座地の移動はなかったらしい。

※祭神
 今、布留多麻命(フルタマ)を主祭神とする。
 布留多麻命とは海神・豊玉彦命(ワタツミ・トヨタマヒコ)の御子とされ、
 新撰姓氏禄(815)
 「右京神別(地祇) 八木造 和多罪豊玉彦命児布留多麻乃命之後也」
とある八木一族が当地に居住し、その祖神を祀ったのが当社と推測されている。

 当社の奉斎氏族・八木氏については詳細不詳だが、その名・八木は河内国(後の和泉国)和泉郡八木郷に基づくといわれ、当地辺りが本拠地と推測されているが(ただし、今、岸和田市に八木を冠する地名は見えない)、奈良時代にあったという大和の八木寺(廃寺)を八木氏の宇治寺とみて、橿原市八木町一帯に盤踞していたともいう。

 当社略記によれば、次の神々・10柱を合祀するという。
 ・天照皇大神 ・品陀和気命(八幡様−勝利の神) ・菅原道真(天神様−学問・書の神) ・天手力男神(格闘技・力の神)
 ・保食神(食物・料理の神) ・素盞鳴命(八坂様−農業・開拓・愛情の神) ・天児屋根命(言葉・音楽の神)
 ・栲幡千々姫命(服飾・織物の神) ・少彦名命(神農様−酒・医療の神) ・伊耶那美命(安産・鎮火の神)
 これらの神々は、明治41年から同42年にかけて村内各処から合祀された村社(14社)の祭神というが、大阪府全志などにいう合祀社祭神とは些少の異同があり、消えているものもある。

※社殿等
 南側道路の脇に立つ一の鳥居から、民家に挟まれた参道の奥に二の鳥居が立つ。
 境内正面に朱塗りの拝殿(唐破風付入母屋造・銅板葺)、その奥、透壁に囲まれた神域内に本殿(三間社流造・萱葺)が鎮座する。

夜疑神社/二の鳥居
夜疑神社・二の鳥居
夜疑神社/拝殿
同・拝殿
夜疑神社/本殿
同・本殿

◎末社
 拝殿右前に戎神社(事代主命)、社殿裏の疎林中に稲荷社(倉稲魂神)・祖霊社が鎮座し、他に神宮遙拝所がある。

夜疑神社・末社/戎社拝殿
末社・戎神社拝殿
夜疑神社・末社/戎社本殿
同・本殿

◎雨淵
 二の鳥居の東前に小さい池があり、その一画に市杵島姫命を祀る小祠(弁天社)が鎮座している。
 “雨淵”と呼ばれる池で、大阪府史蹟名勝天然記念物(1929)には、
 「昔旱魃の時、神誥により、ここに池を穿ち、幣帛を蔵めしに、忽水出て、雨を降らししにより、此名ありといふ」
とあり、旱魃に際して当池を浚い、幣帛を納めて祈れば、必ず慈雨があったという。
 今は玉垣・柵がめぐらされ、池には入れない。
夜疑神社/雨淵の池
雨淵の池
夜疑神社/弁天社と雨淵
弁天社と雨淵

トップページへ戻る