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因幡の神社/白兎神社
鳥取市白兎宮原
祭神−−白兎神
                                                       2012.08.27参詣

 古事記(神代記−大国主神の段)にいう神話・『稻葉の素菟』(因幡の白兎)にかかわる神社で、「菟神」を祀る。但し、延喜式神名帳には列していない。因幡国風土記・逸文には因幡の白兎の話は載るものの、当社にかかわる記載の有無は不明。

 鳥取市の西方、白兎海岸として著名な海岸の南方約150mほどの丘陵上に鎮座する。海岸に沿って東西に走る国道9号線脇の一の鳥居の前に、袋を担いだ大国主命がウサギと向きあった大きな像が立っている。

※神話・因幡の白兎
 神話・因幡の白兎は、古事記(712)・因幡国風土記(逸文・8世紀中頃か)にはみえるが、日本書紀(720)には見えない。

 古事記では、
 ・オオクニヌシの兄弟である八十神(ヤソガミ)が、稲羽の八上比売(ヤガミヒメ)へ求婚しようと気多岬(ケタノミサキ)までやってきた。
 ・そこでは、ワニ(サメ説など諸説あり)をだまして淤岐島(オキノシマ)から気多の岬まで渡ってきた兎が、だまされたことを怒ったワニに丸裸にされて苦しんでいた。
 ・八十神は兎に「塩水を浴びて風に吹かれれば治る」と告げたので、そうしたら、身の皮が風に吹き裂かれてより痛くなった。
 ・そこへ、八十神の従者として大きな袋を担いだオオクニヌシがやって来てこれを見、憐れんで「真水で身体を洗い、河口の蒲の穂にくるまって休め」と教えたので、そうしたら痛みが去り元の姿に戻った。
 ・喜んだ兎は、「貴方様は大きな袋を担いでいるが、ヤガミヒメは八十神ではなく貴方様と結ばれるでしょう」と告げた。
 ・これが稲羽の素兎で、今に菟神という。
という(大意

 一方、因幡国風土記逸文(塵袋所載)の、高草郷の地名説話のなかに、
 ・高草郡の名について二つの解釈がある。
  一つは、野の中の草が高かったので高草という解釈で、その一つは、元ここに竹林があって、その竹林が竹草と訛ったというものである。
 ・昔、この竹の中に年老いた兎が住んでいたが、ある時の洪水によって竹林が水につかり、老兎は竹の根につかまったまま流されて隠伎島に着いた。
 ・水が引いた後、ワニをだまして気多の岬まで並ばせ、数を数えながら岬まで帰り着いたが、だまされたことを知ったワニにつかまって、毛を剥ぎ取られ丸裸にされてしまった。
 ・そこへやって来たオオナムチに治療法(古事記に同じ)を教わり、そうしたら毛が生え元の身体に戻った。
とあり(大意)、ワニをだましたために丸裸にされた兎が、オオナムチ(オオクニヌシ)に救われたとはあるものの、八十神は登場せず、ヤガミヒメへの求婚譚もない。

 このどちらが原型なのか不明だが、
 「風土記のほうが、因幡国に元から伝えられていた説話であったと断定してよいようである」(出雲神話の誕生・1966)
といわれ、また、
 ・ウサギとワニが争う“動物葛藤譚”は、中国・東南アジアなどのわが国周辺地域に多く分布していること(古代史と日本神話・1990)
 ・兄弟の中で一番弱いとか愚かであるとして疎外された者が、動物に親切にしてやったり忠告を聞いたことから、最後に成功するという話も世界中に広く見られること(神話と日本人の心・2003)
などから、当神話の原点は南方から渡来した海人族が伝えた外来神話で(伝来の経緯など不明)、それにオオクニヌシ顕彰譚が結びついたものであろうともいう。

※由緒
 社頭の案内には
 「白兎神社は、古事記・日本書紀に記されている由緒の明らかな、所謂「因幡の白兎」で有名な神社である。
  ・・・因幡の白兎の話・・・
 日本医療の発祥の地であり、古来病気疾病に霊験あらたな神様である。
 尚、大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様でもある」
とあるが、その創建年代は不記。

 当社に関する資料・伝承はほとんど見当たらないが、江戸前期末の記地誌・稻葉民談(1688頃)には
 「兎宮 高草郡内海村の辺、海辺の上の山、松林の中にあり」
とあり、また江戸後期の地誌・因幡誌(1795)によれば、
 「土人の口碑に、中世の乱世のため兵火にかかって社殿焼失し境内も荒廃していたが、慶長年間(1576--1615)、気多郡鹿野城主・亀井武蔵守茲矩が見た夢に、何者かが現れ、
  『我は白兎というものなり。我が住む社なし。本所に社を建て賜へ』
と告げたので、調べたが知る人がおらず放置していた。
 しかし、再度同じ夢を見たので、改めて在所各処に尋ねまわったところ、90歳ほどの老翁から、
  『そのような社が、昔、此の処にあったと聞いたことがある』
と申し出たので、然らばとして、今の処に神殿を営み社領も与えられた」(大意)
とあるという(日本の神々7・1985)
 これらによれば、当社は中世以前から存在していたと思われるが、それを証する資料はない。

 当社が鎮座する身干山(ウサギが体を乾かした処という)一帯には多くの古代遺跡があり、堆積砂層の下部からは弥生土器が、上層からは数個の横口式石棺などが出土したといわれ、中世から幕末にかけて、この砂丘一帯は埋葬地・墓地として利用されていたという。
 これらからみて、当社の原姿は、これら古墳の祭祀を目的とする斎場ではなかったかとも考えられるという(日本の神々7)
 なお、当社の背後(南)にあった身干山は、今、全山削平されて嘗ての面影はないという。

◎淤岐の島
 白兎海岸の西端に突出する気多の前(ミサキ)から、約150mほど沖合にある小島(高さ約10m)で、陸寄りの頂きに鳥居と小祠がある。
 稲羽の白兎は、ワニを欺いて、この島から気多前まで渡ったといわれ、見る位置によっては、蹲った裸のウサギに見えなくもない。また島と岬の間に低い岩礁が連なり、これをワニに見立てたともいう。 

淤岐島と気多岬
淤岐島と気多前(左の突き出た岬)
淤岐島
淤岐島

 日本海に面する白兎海岸は、東は岩木の鼻、西は気多前に限られた小さな湾で、今は、弓なりに砂浜が広がっているが、紀元前後の海面は今より6.5mほど高く、現海岸一帯のほとんどが海面下であって、そこに幾つかの岬(小丘)が突出するなど出入りが激しく、その様相は今と大きく異なっていたという(現地ガイド)
 古事記が編纂された8世紀初頭の当地の様相は不明だが、今とは異なっていたと思われるなか、眼前の小島が神話に出てくる淤岐の島との認識があったかどうかは不明で、時期不明ながら(平安以降か)、オオナムチ信仰が伯耆・因幡の地に浸透するなか、沖合のウサギ状の島を淤岐島に見立て、それと神話とを結びつけて造られたのが当社ともいえる。

 オキノシマが何処かということについては、現島根県隠岐郡隠岐(所謂・隠岐島)とする説、陸地から離れた沖にある島・沖の島とする説がある。当地の淤岐島は沖の島であって、その意味では神話の場所を当地のみに特定はできない。

 因幡の白兎の話の該当地について、当地以外にも
 ・隠岐島から長尾鼻(当地の西方約10kmの青谷地区にある岬)に渡ったとする説、
 ・同じく大山の北方海岸に渡ったとする説
などがあり、隠岐島と見るかぎり、距離的には後者の方が近い。
 なお後説について、本居宣長は古事記伝(1798・江戸後期初)の中で
 「菟神 この神今も有りや、くはしくは国人に尋ぬべきことなり。
 伯耆の国人の云く、本国八橋郡束積(ツカツミ)に鷺大明神と云あり、須佐之男命を祭ると云。同村に大森大明神と云あり、大穴持命を祭ると云。鷺大明神を疱瘡(モガサ)の守護神なりと云て、・・・
 その束積のあたりに木の江川とて大きなる河ありて、その川の海に落ちる処、塩津浦とて、隠岐の知夫里(チブリ)の湊その向かひに当れり。
 さて、因幡の気多の岬は伯耆との堺にて、束積村とは五六里隔たれりと語りき。此れ因幡の気多の前とあるには合はざれども、菟神は此の社にて、鷺とは兎の誤りたるならむか。疱瘡を祈るも、此の段の故事に縁あることなり」
として、鷺大明神が白兎神を祀る社ではないかという(祭神からみれば、大森大明神が妥当か)

 この大森大明神とは、今、大山北麓の鳥取県西伯郡大山町束積にある“中山神社”とされ、地元には
 「白兎が、ある日、中山神社の辺りで鱒と戯れていたところ、誤って木枝川(宣長がいう木の江川)に落ち、木の枝にしがみついて隠岐島にたどりついた。(以下、古事記に同じ)
との伝承があるという(大山町提示のネット資料)

※祭神
 社務所に掲げる案内には
  祭神  白兎神 保食神(ウケモチ) 豊玉姫命(トヨタマヒメ)−−縁結び・皮膚病・傷病に霊験が高い
とある。
 主祭神を白兎神とするのは、当社由緒からみて順当だが、ウケモチは所謂イナリ神としての勧請で、トヨタマヒメは気多前の神ヶ岩にあった川下神社を大正元年(1912)に勧請したもので、トヨタマヒメをワニの化身と見立てたものという。

※社殿等
 白兎海岸南のちょっとした広場の奥に一の鳥居が立ち、その先の石段を上り、参道(緩やかな山道)を進んだ先に二の鳥居が立ち境内に入る。今は海から離れた丘の上にあるが、古代の頃はすぐ近くまで海が迫っていたという。

 境内正面に大きな拝殿(切妻増・妻入・銅板葺、大社造の変態か)が、その奥に本殿(大社造・銅板葺らしい)が建つが、参詣時、本殿改修工事中で全形は見えない。

 参道途中の右手に、“不増不減の池”と称する小さな池があり、案内によれば、
 「往古は内海池(内海−当地の旧地名)の流出口であったので“水門”と呼んでいたが、内海池が良田と化してから、わずかに此の池だけが残っている。
 神話にある白兎神が傷口を洗い蒲の穂を採って傷に付けて、全治したと伝えられる霊池である」
とあり、別名“身洗いの池”という。
 昔は、この近くまで迫っていた海に流入する河口近くにあったというが、今は山中の黄濁した小池と化している。


白兎神社・一の鳥居

同・二の鳥居

同・不増不滅の池

同・拝殿正面

同・拝殿側面

同・本殿(改修工事中)

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