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因幡の神社/売沼神社
鳥取県鳥取市河原町曳田
祭神--八上姫命
                                                        2012.08.27参詣

 延喜式神名帳に、『因幡国八上郡 売沼神社』とある式内社。因幡国風土記における記載の有無は不明。
 今、当社名は“売沼”と書いて“メヌマ”と読むが、因幡誌(1795・江戸中期編纂の地誌)には、「売の上に比の字ありしを、延喜式に脱したりと見ゆ」とあり、本来は“比売沼”と書いて“ヒメヌマ”と称していたのではないかという。

 鳥取市西部を北流する千代川の上流、同川に合流する曳田川の北岸に鎮座する小社。対岸の簗瀬山には八上姫の墓所との伝承をもつ嶽古墳がある。

※由緒
 社頭に掲げる由緒によれば、
 「延喜式神名帳に『八上郡 売沼神社』とある神社でありまして、中世より“西日天王”といっておりましたが、元禄年間(1688--1704・江戸中期より元の売沼神社という名にかわわりました。御祭神は“八上姫神”で、御祭日は10月1日を大祭としております。
 古事記に伝えるところによると、出雲国の大国主神は八上姫をお后になさろうとして、この因幡国にお出でになりました。途中で白兎の難をお救いになりまして、この白兎神の仲介で八上姫と首尾よくご結婚になりました。
 この神話伝説は、漂着した外地の舟人たちが千代川をさかのぼって、まず、この曳田郷を開いたことに間違いはありません。対岸山麓の前方後円墳を神跡とするのも決して単なることとはいえないようであります」
という。

 由緒にいうように、当社は、古事記・因幡の白兎に登場する八上姫(ヤガミヒメ)を祀った神社とされ、因幡誌には、
 「曳田村氏神西ノ日天王、当社は八上姫の霊所なり。大己貴(オオナムチ)、兄の八十神と兄弟各稲羽八上姫を婚らんとして、出雲国より来たり玉ふ。大己貴神は従者となりて袋を負い玉ひしが、つひに八上姫と婚し玉ふこと、旧古二記に委しく見えたり。
 先代旧事本紀(9世紀後半頃)に、『上皇初代八上姫出生地なるを以て祭祀す』とある(旧事本紀には見えず、大成旧事本紀の間違いらしい)
 凡国中大小の神社多くありと雖、神書に其神源を明かに記せるは当社の外未だこれを聞かず。あがむべし。国中最初の神廟なり」
とあり、古くは西日天王社と呼んでいたという。

 また“当国旧記を見るに”として、
 「八上姫の旧居は今の智頭郡用(モチガセ)宮原といふ村なり。上古、此所に八上姫住み玉ふなり。其の親の名は安蔵長者といふとあり、・・・
 凡夫婦の神の故事州民口碑も亦少なからず、大己貴命の袋を捨て玉ふ所を袋河原といひ、艶書をかき玉ふ所を倭文といふ。婚し玉ふ所を縁通寺と名づく(いま円通寺)
とあり、当地一帯にヤガミヒメにかかわる伝承が多々残っているという。
 なお因幡誌以外でも、大日本地名辞典(1907)・河原町誌(1959)が、智頭郡用瀬郷宮原村(現鳥取市用瀬町宮原、当社の南約8km)を八上姫の旧居としている。

 八上姫の旧居とされる用瀬町宮原には犬山神社(旧葦男大明神社・祭神:大己貴命)が鎮座するが、同神社には
 「大昔、衆面大王もしくは三面鬼と称する鬼が、智頭郡金屋村の山奥、千賊の窟という所に住み国土を荒らしていたのを、曳田村の西日天王が美女に姿を現じ、この鬼神の妻となってこれを滅ぼしたが、鬼の霊が祟りをなしたので社を建てて永くこれを祀った」
との縁起があり、西日天王とは八上姫のこととで、八上姫は鳥越長者の娘と伝えるという(日本神話の形成・1970、なお因幡誌にも同意の伝承があり、そこには「三上姫の神美女と現じ、謀りて鬼神の妻となり、終に之を亡し玉へり」とあるという)

 犬山の八上姫と、当社の八上姫との関係は不詳だが、当社の古社名・西日天王社は、犬山の八上姫を“曳田村の西日天王”(日本神話の形成・1970)と呼ぶことに関係するともとれ、当社と犬山神社との間で、何らかの関係があったことが窺われる。ただ、八上姫を西日天王とよぶ由緒は不明。

 なお因幡誌には、別説として
 「大成旧事本紀(に曰く)、因幡国(ウベ)の神社也。上皇初代の時、八上姫大社を以て出生の地と為す。住在鎮座とあるは当社のことなるべし」
との記事があるという。
 文意は判然としがたいが、ここにいう“部の神社”とは現鳥取市国府町宮下(当社の北東約12km)にある因幡国一ノ宮の宇倍神社のことといわれ、この記事は、宇倍神社発祥の地が旧用瀬郷宮原であることを伝えているのであろう、という。
 また、これに関連して、売沼神社には「売沼が出ないと宇倍の祭ができない」との伝承があり、曾ては、宇倍神社の祭礼の日には、売沼神社の神主が馬に乗って宇倍神社へ赴いたといわれ、両社間に何らかの関係があったかとも推察されるが、それを証するものはない。

 なお、因幡国一ノ宮である安倍神社は武内宿禰を祀るが、これは後世の付会で、本来は、因幡国造の祖神(彦多都彦命)あるいは伊福部氏(物部氏系というの祖神(武牟口命)を祀ったものと推測されており、いずれにしろ八上姫との関係はみえない。
 また、大成旧事本紀は江戸時代の偽書ともいわれ、当伝承の信憑性は薄い。

 当社は今、曳田川を千代川との合流点から曳田川を少し西へ溯った屈曲部の左岸(県道196号線と川との間)に位置し、社頭の河岸一帯はきれいに整備され、八上姫公園との小公園がある。

 当社は往古、曳田川を挟んで当社対岸の簗瀬山(ヤナセヤマ・H=283m)の中腹に鎮座していたと伝えられ(ネット資料によれば、今も小祠があるという)、安土桃山初期の古文書に
 「社領は天正年中(1573--92・戦国末期)には同村上の曳田谷川添の西側少し小高き処にあったが、何時の頃からか一町少し方只今の田地に相成った」
とあり、これからみると、簗瀬山腹にあった旧社地から現在地より西一町(約100m)ほど上流の小高い所に遷り、その後、更に現在地に遷ったことになる(中世末か近世初め-17世紀初頭頃ではないかという)

 当社の旧社地と伝える簗瀬山の先端尾根には、八頭郡最大の前方後円墳・嶽古墳(全長=50m・後円部径=25.8m・後円部高=4m、未調査のため築造時期等不明)があり、地元では、八上姫の陵墓もしくは八上姫を中心とする地方豪族の古墳と伝えるという。鳥取市指定史跡(昭和53年指定。鳥取市教育委員会掲示の案内板より)

 嶽古墳が当地豪族の奥津城(オクツキ・墳墓の地)だとすれば、古く、その近くにあったという当社は、この豪族(千代川・曳田川での舟行・漁撈などに従事していた海人系の一族ではないかともいう)が祖先を祀った社である可能性が高い。
簗瀬川先端尾根
簗瀬山先端部(手前が曳田川)

※祭神
 主祭神--八上姫命
 合祀神--伊弉冉尊(イザナミ)・保食神(ウケモチ)・建御名方神(タケミナカタ)・高龗神(タカオカミ)・闇龗神(クラオカミ)
        (明治元年に合祀されたというが、他に資料なく、勧請由緒など詳細不明)

※社殿等
 河岸脇に立つ鳥居をくぐり参道を進んだ先、一段と高く石垣を積んだ上に拝殿(入母屋造・瓦葺)が、その奥に本殿(一間社流造千鳥破風唐破風付・銅板葺)が鎮座する。

 境内には、古びた小祠が数基見られるが、詳細不明。

売沼神社/鳥居
売沼神社・鳥居


同・拝殿

同・拝殿側面
売沼神社/本殿
同・本殿

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