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六 所 神 社
島根県松江市大草町
祭神--伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神
 月夜見命・素盞鳴命・大己貴命
                                                     2018.12.17参詣

 延喜式神名帳に、『出雲国意宇郡 佐久佐神社』とある式内社の論社の一で、出雲国総社とも称し、意宇六社にも列した古社。
 JR山陽本線松江駅の東南約5kmに残る出雲国庁跡の南に接して鎮座する。

※由緒
 頂いた「参詣の栞」によると
 「当社は、奈良時代に編纂された出雲国風土記に『佐久佐社(サクサノヤシロ)、青幡佐久佐比古命(アオハタサクサヒコ)が坐すので大草(サクサ)という』と記され、平安時代に完成した延喜式神名帳にも所載されている社で、仁寿元年(851)には熊野・杵築両大神の従三位に次いで従五位下の神階を授かり、貞観7年(865)従五位上、同13年(871)正五位下、元亀2年(878)には正五位上となった由緒ある神社です。
 古代律令制のもと、この地に出雲国庁が置かれてからは、出雲国の総社として一層重きをなすようになりました。総社とは国内を統べる神社のことです。国内の神社に幣帛を班(ワカ)つ班弊式(ハンヘイシキ)や、重要な祈祷等も当社で行われました。
 その後、室町時代頃から、総社と六所が併称されるようになり、明治維新に伴い、御祭神の変更とともに六所神社に改称されました」
とある。

 嘗ての当社は、出雲国司が国内すべての神々を祀るべく設けられた出雲国府総社だったといわれ、現地に立つ案内板には、
 「この神社は、国府の総社と呼ばれ、古文書にもしばしば登場します。
 総社とは、国司が出雲国内の神々を合わせ祭るなど、国内の神社を統括する機能を持っていました」
とある。
 律令制の下 新たに赴任してきた国司が行うべき最初の仕事は、国内の神社を順次巡って参拝することだったが、平安時代になると、国府近くに国内の神々を集めて、これを参詣するように変わり、これを総社と称した。

 国府と当社との関係について、上記案内板には
 「当社は、当時の国府の隣接地にあったと考えられていますが、平安時代以降に国府が衰退していくと、神社は嘗ての中心地に移され、この地区の氏神として信仰され現在に至っています」
とある。

 当社は国府廃絶後に現在地に遷ったといわれ、その位置は、出雲国疔跡復元図によれば、国庁の中心である政庁区画内(南北96・東西72m)の北西側(後殿跡の西隣り)に位置していたようで、国府存在時の位置は不明だが、国府の近くにあったのは確かであろう。

 
出雲国庁跡復元図
 
同・政疔部分拡大
 
後殿柱列跡・復元
(この右に六所神社あり)

 因みに、国府跡についてネット資料・国指定文化財等データーベース(文化庁)には、
 「出雲国府跡  1971年12月1日指定
  出雲国庁が意宇平野に所在したことは、出雲風土記に明らかであるが、その所在地については、最近の研究成果によって大草郡字宮ノ後付近が有力視されるにいたった。
  そこで昭和43年から3年間にわたって、その付近を発掘調査した結果、奈良時代だけでも前後六段階に分けられる掘立柱建物の遺構があることが判明した。
  しかも、発見された溝地割と出雲の郷社・六社神社脇の遺構を検討すると、近江国庁跡の地割とも一致し、出雲国庁の正庁後殿の位置もほぼ確定が可能となった。(以下略)
とあり、当社の東に国庁後殿の跡があったことを記している。

 なお、社名の六社について、参詣の栞には
 「六柱の神もしくは六所の神社の御祭神が祀られているから六所神社というように思われがちですが、実際には、全国にある六所神社の全てが六柱を祀っている訳ではなく、本来は国内の天神地祇・天地四方(上下+東西南北)の神を併せ祀るという総社の性格と、六の字がもつ意味合いから“六所”の名を冠するようになったと考えられます」
とある。
 ただ、総社が国内の神々を祀り且つ管理統括したことから、これを録社(ロクシャ)と称し、その録社が六社に変わった、との説もある。


◎式内・佐久佐神社
 参詣の栞は、当社は式内・佐久佐神社の後継社だといい、東側からの入口にも“佐久佐社”と刻した石碑(右写真)が立っているが、式内・佐久佐神社は当社の西約3kmに鎮座する八重垣神社(松江市佐草町)とする説が有力という。

 佐久佐神社とは、出雲国風土記に意宇郡の在神祇官社48社の44番目に「佐久佐の社」と記されている神社で、延喜式では意宇郡にある式内社48社中9番目に記されている。

 佐久佐の社について、出雲国風土記の注(講談社学術文庫版)には
 「神名式(延喜式神名帳)に佐久佐神社。松江市佐草町の八重垣神社に吸収された佐久佐神社に擬する。
  一説に松江市大草町の六所神社の前身ともいう」
とあり、その鎮座地について風土記に
 「大草郷(オオクサノサト、当社ではサクサと読んでいる) 郡家の南西二里百二十歩、須佐之男命の御子・青幡佐久佐壮丁命(アオハタサクサヒコ。壮丁は日子とも記す)坐す」
ちあり、その注に
 「大草郷 松江市東南部、大草町・佐草町から八束郡八雲村付近」
とある神社で、風土記からは、大草町にある当社と佐草町の八重垣神社の何れが式内社かは決めがたい

 また、参詣の栞は、「当社は仁寿元年に従五位下の神階を授かり云々」というが、神階綬叙記録としては
 ・仁寿元年9月 出雲国青幡佐草壯丁命に従五位下を授(文徳実録)
 ・貞観7年10月 出雲国従五位下佐草神に従五位上を授(三代実録)
 ・ 同13年11月 出雲国従五位上佐草神に正五位下を授(同上)
 ・元慶2年3月  出雲国正五位下青幡佐草壯丁神に正五位上を授(同上)
があり、9世紀頃の佐久佐神社の祭神が青幡佐久佐壮丁命(佐草神)であったことは確かだが、この神階綬叙が当社に対するものか、八重垣神社に対するものかは不明。

 今の当社祭神に青幡佐久佐壮丁命の名はないが、本殿右の末社・丁明神社(テイミョウジンシャ)の祭神が青草佐久佐壮丁命とあり、当社本来の祭神・青幡佐久佐壮丁命が、当社が総社になったとき、末社に遷されたという。
 一方の八重垣神社では、相殿神の中に青幡佐久佐壮丁命の名があり、当社よりも丁寧に祀られている。
 これからみると、祭神の面からみても、六所・八重垣の何れかを式内・佐久佐神社とする決め手はない。

 しかし、近世の資料には
 ・神社覈録(1870) 祭神・青幡佐久佐日子命 佐草村に在り
   雲陽誌(1717)に、今八重垣明神と云ふ。出雲神社巡拝紀(1833)に、今は小社と成りて八重垣神社の脇にあり、末社の如く小社なれば、巡拝の人其の心得を以て拝礼すべしと云り。
 ・神祇志料(1871) 今大草郷佐草村に在り、八重垣大明神と云ふ。須佐能袁命の子・青幡佐草日子命を祀る。
 ・特選神名牒(1876) 祭神:青幡佐久佐日子命  所在:大束郡大庭村佐草
とあり、何れも佐草町の八重垣神社に比定している。(別稿・八重垣神社参照)
 (八重垣神社は中世の頃、大原郡須我の地から佐草の地へ遷った社で、それ以降、嘗ての青幡佐久佐命は相殿神へおとしめられ、社名も佐久佐から八重垣に変わったという。別稿・八重垣神社参照)

 これに関して、 式内社調査報告(佐久佐神社項・1983)は、 
  「明治維新の折、現松江市大草町鎮座の六所神社が式内佐久佐神社であるとして、当局に対して相当強力に働きかけたが、結局認められなかった。
  けだし、六所神社は、いふがごとく国府の総社であったとは考えられるが、式内佐久佐神社としての証左はどこにもない」
として、式内・佐久佐神社は八重垣神社だと断定している。

 ただ、当社が式内・佐久佐神社であるとの伝承はあったようで、境内東側入口に「佐久佐社」との石柱が立ち(右写真)、本殿向かって右に青幡佐久佐彦命を祭神とする境内社『丁明神社』(チョウメイ)が鎮座している(下記)

 


※祭神 
  伊邪那岐命・伊邪那美命・天照皇大神・月夜見命・素盞鳴命・大己貴命

 イザナギ・イザナミは神代7代の最後に成りでた神で、全ての神々の親神であり、アマテラス・ツクヨミ・スサノオはギ・ミ両神が生んだ三貴神(書紀、古事記ではイザナギの御子)、オオナムチはスサノオの御子(5世の孫ともいう)で、出雲では国造りし大神であって、これら記紀神話にいう著名な神々を出雲を代表する神として、総社としての当社に祀られたものであろう。

 ただ、当社の前身が佐久佐神社であったとすれば、本来の祭神は青幡佐久佐壮丁命とみるのが順当で、それが出雲国総社へと変身したことから今の祭神になったのかもしれない。

 なお、青幡佐久佐壮丁命とは出雲風土記にのみ登場する神で、その出自・神格などは不詳だが、
 風土記・大原郡(意宇郡の西に隣接する郡)条には
 「高麻山(タカアサヤマ) 郡家の北十里二百歩 古老伝へて云 神須佐之男命の御子・青幡佐草壮丁命、是の山の上に麻蒔き給ひき。故に高麻山と云ふ。即ち此の山の岑に坐すは其の御魂也」
とあり、大原郡・大草郷など出雲国東部一帯に坐す在地の神で、植物にかかわりの深い神ではないかという。

 書紀8段一書5には、韓国においでになったスサノオが、その鬚や体毛から杉・檜などの樹木を生み出したとあり、その御子・イタケルも樹木の神とされるように、スサノオ一家には植物との関係は深く、スサノオの御子という青幡佐久佐壮丁命が植物・樹木に関係するというのも頷ける神格ではある。


※社殿等
 意宇川沿いの道路から5・6段の石段を下りた所から参道が北へ延び、正面・鎮守の森を入った処に随神門が建ち、その奥が境内となっている。

 
六所神社・参道
 
同・随神門 

 境内中央に切妻造・平入りの拝殿が、その奥に大社造の本殿が、それぞれ南面して建つ。


同・拝殿 
 



同・拝殿内陣

同・本殿 

◎境内社
*丁明神社(チョウメイ)
   祭神--青幡佐久佐彦命(アオハタサクサヒコ)
  本殿の右に鎮座、
  青幡佐久佐彦命とは式内・佐久佐神社の祭神で、当社本来の祭神だったのが、当社が総社となり祭神が変わった時点で、末社へと貶められたのか、あるいは当社が式内・佐久佐神社であるとの伝承に基づいて鎮座したものか、であろう。
*王子神社
   祭神--高御産霊命(タカミムスヒ)・神御産霊命(カミムスヒ)
  本殿の左に鎮座
*天満宮
   祭神--菅原道真
  境内右手に鎮座

 なお境内左手の疎林の中に、樹木に藁製の蛇を巻き付け、白い幣束を巡らせた“荒神さん”が鎮座している。

 
丁明神社
 
王子神社
 
天満宮
 
荒神さん

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