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須 佐 神 社
島根県出雲市佐田町須佐
主祭神--須佐之男命
配祀神--稲田姫命・足摩槌命・手摩槌命
                                                       2019.06.15参詣・雨

 延喜式神名帳に、『出雲国飯石郡 湏佐神社』とある式内社で、出雲国風土記・飯石郡条には『須佐の社』(在神祇官-神祇官から奉幣をうける社)とある。

 JR山陰本線・出雲市駅の南約14km、駅西から神戸川沿いの国道184号線を南下、須佐橋交差点から支流・須佐川沿いに東南方へ入った先に鎮座する。

※由緒
 頂いた参詣の栞・「御神徳略記」には、
 「神話の国出雲地方を潤す神戸川の上流に祀られている延喜式内の古社。
 出雲風土記に『この国は小さいけれどもよい国なり。我名を岩木にはつけず土地につける』と仰せられ、大須佐田(オオスサダ)・小須佐田を定められたので須佐という、と見えている須佐之男命の御終焉の地として御魂鎮の霊地、又御名代としての霊跡地であり、須佐之男命と稲田比売命の御子の子孫と伝える須佐国造が代々仕えている神社で、大神奉祀の神社中殊に深い縁を有する。
 須佐之男命の御本宮として古くより須佐大宮、天文年間には十三所大明神という。出雲の大宮と称えられている。
 須佐之男命が稲田姫の両神、足摩槌命(アシナヅチ)・手摩槌命(テナヅチ)をこの須佐の宮地を守る稲田の首(オビト)とされてより、須佐神社の宮司家は連綿と続き、現当主は第78代宮司須佐建紀氏である」
とあり、神名帳考証(1733・度会延経)以下の古資料も、同じ風土記・須佐郷の記述を以て創建由緒という。


 出雲風土記でスサノオにかかわる箇所は、当地を含めて4ヶ所あるが
 ・飯石郡須佐郷(当地)
   スサノオ命が「ここは小さい国だが国としては良いところだ。故に我の名は木石には付けまい」といって、ご自分の御魂をここにお鎮めになった。そして大須佐田・小須佐田(神領としての田)をお定めになった。故に須佐という
 ・意宇郡安来郷(安来市安木町・島田町辺り)
   スサノオ命が国土の果てまで見てまわられ、此処に来られたとき『吾が心は安らかになった』といわれた。故に安来という
 ・大原郡佐世郷(雲南市大東町辺り)
   スサノオ命が佐世の木の葉(不明、一説にツツジ科の常緑低木という)を髪に飾って踊られたとき、挿していた佐世の木の葉が地面に落ちた。故に佐世という
 ・大原郡御室山(山名・雲南市木次町)
   スサノオ命が御室(ミムロ)を造らせなさって宿られた所。故に御室という
とあるように、何れも地名説話の主人公として記されており、
 その中で、スサノオが飯石郡須佐郷の当地に“自分の魂を鎮めた”ということから、当地はスサノオ命終焉の地とされ、そこに創建されたのが当社と思われる(記紀には当社にかかわる記事は見えない)
 その創建時期は不明だが、出雲風土記(733)にみえることから8世紀のはじめにあったことは確かといえよう。

 なお、頂いた「須佐神社の由来」(有料)には
 「須佐神社はもと宮内部落の東南にある宮尾山山麓にありしを、53代淳和天皇の天長年間(824--33)に現在地に遷されたと伝うから・・・」
とあるが、他に是を記す資料なく詳細不明。


※祭神
  主祭神--須佐之男命(スサノオ)
  相殿神--稲田比売命(イナダヒメ)・足摩槌命(アシナツチ)・手摩槌命(テナツチ)

◎須佐之男命
 記紀神話におけるスサノオは、
 ・古事記では、イザナギが黄泉国から帰り禊ぎをしたときに生まれたとされ、書紀では、イザナギ・イザナミによる神生みの最後に生まれたとある
 ・イザナギから海原の統治を命じられるが、母がいる根の国(死者の国)へ行きたいと泣きわめき国中に混乱を撒き散らしたため、イザナギから根の国に追放される
 ・根の国に赴く途中、高天原に姉のアマテラスを尋ねるが、高天原を奪うためではないかと疑われ、そうでないことを証明するために誓約(ウケヒ)をし、それに勝ったとして乱暴を働き、アマテラスの岩戸籠りの原因となり、神々から追放される
 ・出雲国に天降ったスサノオは、八岐大蛇を退治して人身御供となりかけたイナダヒメを娶り、大蛇の尾から得た霊剣をアマテラスに献上し、須賀の地に宮を造って住み、
 ・最後には根の国に遷り、訪れてきたオオクニヌシに様々な試練を課し、これを通過したオオクニヌシと娘・スセリヒメとの結婚を許し、葦原中国の国造りをなすよう命じた
とあり(大略)、高天原では秩序を混乱させる荒ぶる神として、出雲国では英雄神・文化神として描かれるなど、異なる神格をもつ神として描かれている。

 スサノオの名義については諸説があり定説となるものはないが、その名の原義として
 ・勇み進む意の「ススム」、あるいは荒れ狂う意の「スサブ」からのもので、「勇み進む男」あるいは「荒れ狂う男」という意味とする説
 ・出雲にある地名“スサ”からとする説(紀伊にある地名・スサからとする説あり)
などがあり、記紀神話でのスサノオは前者であり、出雲神話のそれは後者、“(地名)スサの男”としてのスサノオにあたるという。

 その地名からくるスサノオを指すのが、風土記・須佐郷にいう地名説話だが、
 ・須佐郷は、飯石郡西部を北流する神戸川の中流にある小盆地で、そこには小型の後期古墳が数個見えるくらいで、政治的にも文化的にも重要な地とはみえないこと
 ・風土記でのスサノオが大神の尊称で呼ばれていないことから(風土記での大神は、天下造らしし大神-杵築大神・熊野大神・野城大神・佐太大神の4柱)
 スサノオとは、神戸川中流・須佐盆地の一地方神であって、この小盆地にあった小集落の守り神だったのであろう
との説がある(出雲神話の誕生・1966)

 これに対して、
 ・出雲風土記には、スサノオに直結する説話として、飯石郡以外にも意宇郡・大原郡(2ヶ所)といった古代出雲の中央部にもあること
 ・また、その御子神にかかわる伝承・説話を含めると、東の意宇郡から西の大原郡に至る出雲国の略全域に及んでいること
 ・スサノオは大神とは呼ばれていないが、その信仰圏は、大神と呼ばれる熊野・野城・佐太のそれより広い範囲に及んでいること(大己貴信仰圏はもっと広い)
などから、スサノオを須佐盆地の一地方神と限定することはできないともいう(日本神話の形成・1970、この著者は、スサノオは紀伊国の須佐が本貫地で、出雲の須佐はその分祀だとしている)

◎稲田姫命(奇稲田姫とも、記では櫛名田比売、いずれもクシナダヒメ)
 記紀神話での稲田姫は
 ・八岐大蛇退治のなかで、大蛇への人身御供になるところをスサノオに救われ、スサノオと結ばれた女神
 ・スサノオとの間に八島士奴美命(ヤシマジヌミ)を生み、この神の6代後が国造りし大神として崇められるオオナムチ(オオクニヌシ)
とあるが、

 出雲国風土記・飯石郡条には
 「熊谷郷(クマタニ)  郡家の東北26里。古老伝へて云はく、久志伊奈太美等与麻奴良比売命(クシイナダ ミトトヨマヌラヒメ)、任身(ハラ)みて産まむとする時に及(イタ)り、生む処を求めてき。
 その時、此処に来たりて『甚(イタ)く久々麻々志枳(クマクマシキ・奥深い)谷なり』の勅したまふ。故熊谷と云ふ」
とあり、ここでいう久志伊奈太美等与麻奴良比売命とは、記紀にいう櫛(奇)稲田姫を指すという

 稲田姫とは、別名・奇稲田(クシイナダ・クシナダ)にみるように“霊妙な稲田の女神”、あるいは“奇しく神秘な御霊をもって、稲田を守る豊かで美しい女神”を意味し、里人に多くの穀物をもたらしてくれる豊穣の女神として崇敬されていたと思われる。

 ・この飯石郡熊谷郷とは、飯石郡東部を流れる斐伊川が支流・三刀屋川と合流する辺り(当社の北東約15kmの雲南市三刀屋町下熊谷付近)に比定され
 ・この地は、斐伊川と支流・三刀屋川の合流点を中心に広がる盆地で(須佐郷を流れる神戸川とは流域を異にする。須佐盆地より広い)
 ・三刀屋川西岸の山中に前方後円墳(前期古墳、長:50m、漢式鏡・短剣・ガラス玉等の出土あり)があり、その山裾(三刀屋町給下)に稲田姫命を配祀神とする三屋神社(ミトヤ、主祭神:大己貴命)との式内社が鎮座すること、
 ・その辺りには嘗て正倉(ミヤケ・官の倉庫)が置かれていたこと
 ・出雲風土記に、
   「飯石郡 三屋(ミトヤ)の郷 郡家の東北二十四里 天下所造大神の御門 即ち此処に在り 故三刀矢と云ふ 
    神亀三年 字を三屋に改む 即ち正倉有り」
とあることなどから、かなりの勢力をもつ豪族が蟠踞していたかと思われるという。

◎足摩槌命(脚摩乳とも、記では足名椎)・手摩槌命(手摩乳とも、記では手名椎)
 ・古事記に、「吾は国つ神・大山津見神の子で名を足名椎、妻の名は手名椎、娘の名は櫛名田比売という」と名乗ったあり、その娘がクシナダヒメ
 ・スサノオがイナダヒメを娶って須賀に宮に住んだとき宮の長官に任じられ、稲田宮主須賀之八耳神(イナダノミヤヌシ スガノヤツミミ)の名を賜った(書紀では稲田宮主神)
という神で、この辺りを支配していた首長ではなかったかという。


 稲田姫以下の3神が当社に祀られるのは、記紀にいう八岐大蛇神話によるものだろうが(風土記にはみえない)、この神話は、ギリシャ神話にみえる、英雄ペルセウスが海の怪物を退治して人身御供にされかかった乙女・アンドロメダ姫を救い、これと結婚したとの神話から、ペルセウス・アンドロメダ型と呼ばれるもので、世界各地に同様の神話が多々みられ、わが国の八岐大蛇神話もその一つという。

 八岐大蛇神話の解釈には諸説があるが、その一つとして
 ・稲田姫は豊穣の女神として崇敬されたというが、その前段は、田に豊穣をもたらす水神に仕える巫女であった
 ・一方、水神とは蛇であるとされ、それは丁重に祀られると適当な雨水を供給して豊穣をもたらすが、怠ると洪水や嵐をおこす恐るべき存在であり、
 ・稲田姫は、この水神(蛇神)に仕えてその意を和らげる神の妻であったと思われる
 ・八岐大蛇も、本来は田畑に雨水をもたらす水神・蛇神であったが、それへの祭祀が忘れられ怠られるにつれ、次第に洪水等をおこす邪悪な蛇神へと変貌し(斐伊川の洪水が是ともいう)
 ・これを宥めるためには人身御供を捧げねばならないとして、水神に仕える巫女であった稲田姫が人身御供の乙女へと変身した、
という説話が先ずあって、
 ・それが中央に知られることによって、高天原の荒ぶる神であったスサノオが、出雲に降るとともに英雄神へと変身し、八岐大蛇を退治して人身御供にされかかった稲田姫を救うという壮大な八岐大蛇神話が作られた
とみることができる。

 なお出雲では、今でも蛇神を稔りをもたらす豊穣神として祀る風習があるようで、幾つかの神社で、大木の根元に藁で作られた蛇神が祀られているのをみることができる。


藁製の蛇神・頭部(揖夜神社) 

同左(同左) 

同左(六所神社) 


※社殿等
  県道39号線から東に折れ(「須賀神社」との標識あり)、素鵝川(スガガワ・須佐川とも)に架かる宮橋を渡って少し進んだ左側(北側)に鳥居が立ち、参道を進んだ正面に「随神門」が建つ。 

 
社殿配置略図

須佐神社・鳥居 

同・参道(正面が随神門) 

◎随神門
  祭神--豊磐間戸神(トヨイワマト)・櫛磐間戸神(クシイワマト)
   古事記・天孫降臨段に、天孫・瓊々杵命に従って天降った一柱で、
    「天石門別神(アメノイワトワケ) 亦名は櫛石窓神(クシイワマト)、亦名豊石窓神 この神は御門(ミカド)の神なり」
   とある神で、
   古語拾遺には、天照大神が籠もっていた天岩戸から出て新殿に遷られたとき
    「豊磐間戸命・櫛磐間戸命をして殿門を守らしむ。是、天太玉命の子なり」
   とある。
   また、御門祭の祝詞には
    「櫛磐牖命・豊磐牖命とは、大宮の四面内外の御門に盤石のように塞がっておいでになって、天麻我都比(アメノマガツヒ)という邪神が大宮に侵入しようとするのを防ぎ止め追い払って、大宮が平安であるように守っておいでの神で・・・」(大意)
とあり、いずれも宮殿の御門にあって、外から侵入しようとする邪霊を遮り追い払う門番の神という。

  門内の左右に、極彩色の稚拙な随神像2躰が相対して置かれている。


随神門 

随神像(左) 

随神像(右) 

◎西末社・東末社ーー随神門を入ってすぐ、参道の左右に相対して鎮座する小祠
  祭神--天忍穂耳命(アメノオシホミミ)・天穂日命(アメノホヒ)・天津彦根命(アマツヒコネ)・活津彦根命(イキツヒコネ)・熊野樟日命(クマノクスヒ)
       市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)・田心姫命(タゴリヒメ)・湍津姫命(タギツヒメ)--所謂宗像三女神
   アマテラスとスサノオとの誓約(ウケヒ)によって成りでた五男三女の神々で、成りでたとき、アマテラスがスサノオに
   「吾の持ち物である玉を物実として成りでた5男神は吾の子で、汝の剣を物実として成りでた3女神は汝の子である」
   と仰せられた、とある神々で(古事記)、筆頭に記す天忍穂耳命は天皇家の始祖。

 両末社ともに同じ祭神8座を祀るのか、二つのグループに別けて祀られているのかは不明。

 
西末社
 
東末社 

◎拝殿
 随神門を入った正面に南面して建つ、1間向拝付き入母屋造

◎本殿
 拝殿背後に弊殿を介して南面して鎮座する。大社造 県重要文化財(昭和41指定)
 頂いた「須佐神社の由来」(有料)には
 「方2間(4m余) 高さ7間(12m余)
 大社造とは、四方の柱の間に一本ずつの柱がある。即ち方2間で中央に真柱(シンバシラ)がある。中央と右中間の柱との間を壁で閉じ階(キザハシ)をつくる。
 この入口が右方に隔たっていることは、他の神社や仏寺には例のないことで、神社と住宅が分離しない原始の建築を伝えている。
 屋根は切妻栩葺(クヌギフキ)で妻の方に入口がある。出雲大社とともに典型的な大社造の建造物で、島根県重要文化財として指定されている」
とある。

 
須佐神社・拝殿
 
同・本殿(東側より)
 
大社造・模式図


◎三穂社(下社・下の御前社ともいう)--本殿背後の疎林の中に鎮座する小祠
  祭神--三穂津比売命(ミホツヒメ)・事代主命(コトシロヌシ)
  ・三穂津比売命--高皇産霊尊の娘で大物主命(大国主命の別名、異論あり)の后
  ・事代主命--大国主命の御子で、国譲りに際して父神に国を譲るように進言した
との神で、いずれも松江市美保関の美保神社の祭神。
  ただ、スサノオを主祭神とする当社に、この2柱が祀られる由縁は不明。大国主命がスサノオに連なることからか。

 拝殿は切妻造・妻入りの社殿で、その背後、覆屋の中に二つの屋根を連ねた本殿が鎮座する。
 当社祭神は2座なのに、本殿正面は3間でそれぞれに扉がついており、3座が祀られているようにも見えるが、中央部は単なる繋ぎの間かもしれない。


三穂社・参道 

同・拝殿 

同・本殿 


◎天照社(上社・上の御前社ともいう)--前面道路南側(本殿の反対側)の疎林の中に鎮座する小祠
  祭神--天照大神
     鎮座由緒等不明。

 鳥居から道路を挟んで南側に「天照社」との石標が立ち、南へ向かって参道が延びる。
 参道奥に簡単な拝殿が建ち、その奥に大社造の本殿が鎮座する。

 
天照社・参道入口
 
同・拝殿

同・本殿 

◎稲荷社

 本殿の東側(右側)に鎮座する小祠。
 祭神--稲倉魂命(ウカノミタマ) 

 樹木に覆われたなかに白木の鳥居3本が列をなして立ち、その奥に切妻造の小祠が鎮座する。

 鳥居及び小祠に掲げる扁額に「稲荷社」とはあるものの、通常みられる朱塗りの鳥居がないため、一見したところでは稲荷社とは見えない。
 勧請由緒等不明。



稲荷社

 なお「須佐神社の由来」によれば、境外末社として
 ・厳島神社--洗度社又は祓戸社とも称す--字荒井戸鎮座
   祭神--市杵嶋姫命・田心姫命・湍津姫命
 ・須賀神社--才神楽とも称す--字才神楽鎮座
   祭神--素盞鳴尊を祀る
があるというが、不参詣。

◎塩ノ井
 境内右側、神楽殿の横に「塩ノ井」と称する池(泉か)があり、須佐神社の由来には
 「本社前の小池。須佐之男命自らこの潮を汲み此の地を清め給うたという。
  この塩井は大社の稲佐の浜に続いており、湧出に間濁があるのは、潮の干満と関係があるといい、満潮の時には付近の地面に潮の花がふく。・・・」
とある。
 池の中には清らかな水が湛えられているだけで、湧水の有無は確認できない。


塩ノ井・全景 
 
塩ノ井

 当社には、須佐の七不思議という伝承があり、上記塩ノ井もその一つ。
 須佐の七不思議とは、塩ノ井・相生の松・神馬・落葉の槇(マキ)・影無桜(カゲナシサクラ)・星滑(ホシナメラ)・雨壺(アマツボ)の七つで、境内に案内板が立っているが、いずれも荒唐無稽の話ばかり。

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