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出雲の伝承/印瀬の壺神(八口神社)
島根県雲南市木次町西日登
祭神−−須佐之男命・櫛名田姫命
                                                        2012.08.28参詣

 JR木次線・日登駅の南西方の山中、田舎道脇の狭い畑の奥、樹木で覆われた丘の麓に鳥居が立ち、階段状の坂を登った上が境内で、狭い平地の左に印瀬の壺神、右に八口神社が鎮座する。

 いま地元では、小中学校の生徒に地元に残る伝承などを教えているそうで、当地も伝承地の一つとして、道路・駐車場の整備などが行われている。

【印瀬の壺神】
 社頭に掲げる案内によれば、
 「壺  口径四寸五分(約14cm)・胴径六寸五分(約20cm)・深さ五寸(約15cm)
  神代の昔、須佐之男命が八岐大蛇を退治なされる時、脚名槌・手名槌の夫婦に
  『汝等は八塩折の酒を醸り、垣を造り廻らし、その垣に八門を作り、門毎に八棧敷を結ひ、その棧敷毎に酒船を置きて、船毎にその八塩折の酒を盛りて待ちてよ』
と仰せられた−古事記より−
 その時の酒壺の一つを祀ったものである。昔、土民がこの壺に触れたところ、俄に天はかきくもり山は鳴動して止まず、八本の弊と八品の供物を献じて神に祈ったところ、ようやく鎮まったという。村人たちは、人の手に触れることを恐れ、多くの石で壺をおおい、玉垣で囲み注連縄を廻らし、昔のままの場所に安置することにつとめ、現在に至ったものである」
というが、その創祀年代は不明。

 注連縄を巡らせた木柵の中に、数個の石が何かを覆うように置かれている。
 この下に御神体とされる酒壺が埋まっているのだろうが、その酒壺が案内にいうように口径14cm・胴径20cmほどの大きさであれば、それは何処にでも転がっていそうな壺であって、イメージとして、「その長は谿八谷・峡八尾に度りて、云々」(古事記)という大蛇が、その首を突っ込む酒壺としては似つかわしくない。

 何かを粗末に扱ったら災厄が起こったため、それを神の祟り(怒り)として、その怒りを鎮めるために祀ったとの伝承は多々みられることで、当社もその類だろうが、それを当地付近に多い八岐大蛇伝承に結びつけて、八塩折の酒を入れた酒壺としたところに他と違いがあるといえる。

印瀬の壺神−1
印瀬の壺神(側面)
(奥に見えるのが八口神社社殿)
印瀬の壺神−2
印瀬の壺神

【八口神社】
 祭神−−須佐之男命・櫛名田姫(クシナダヒメ=稲田姫)

 印瀬の壺神の右に並ぶ小祠。

 社頭の案内には、
 「現存する最古の棟札は宝暦8年(1758・江戸中期)のものであるが、当社の創建年代は不明である。
 ・・・(八岐大蛇退治の話)・・・
 今、境内に“壺神”として祀られてあるのは、その酒壺の一つである。
 天正年代(1573--92)三沢城主為景の建立した国神社があったが、後世荒廃し合殿として当社に合祀されている。
 古来より、例祭には“八塩折の酒”を作って献上していたが、今は行われていない。
 明治43年神社制度の改革により、三社神社に合祀されていたが、氏子(7戸)の熱心な願望により、昭和21年御分霊を奉斎して飛地末社となし、同31年宗教法人として設立、元の社地に復旧したものである」
とある。
 
 “印瀬の壺神”と並んでいることからみると、当社は酒壺=壺神を御神体とする社で、壺神に具体の神名を充てたのがスサノヲ・イナダヒメの両神と思われるが、壺神と当社のどちらが先に祀られたのかは不明。 

八口神社/入口付近
八口神社・入口付近
八口神社/鳥居
同・鳥居
八口神社/社殿
同・社殿

付記
 延喜式神名帳に『出雲国大原郡 八口神社』とある式内社があり、出雲国風土記・大原郡条には“矢口の社”(在神祇官社)がある。この矢口の社が式内・八口神社の前身とされ、そこには、酒に酔った八俣の大蛇が、北方の草枕山を枕として寝ているところを、スサノヲが当地(社地)から弓で射たとの伝承がある(矢口の由来)
 ただ、この式内・八口神社は、今、雲南市木次町神原に鎮座する八口神社とされ、当社(印瀬の八口神社)とは異なるらしい。

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