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鏡作伊多神社
A−−奈良県磯城郡田原本町保津
B−−  同   同    同  宮古
祭神−−石凝姥命
                                                        2010.12.05参詣

 延喜式神名帳に、『大和国城下郡 鏡作伊多神社』とある式内社。
 田原本町保津と同宮古に、南北約200mの距離をおいて同名の神社2社があり、論社となっている。社名は“カガミツクリ イタ”と訓む。以下、南の保津にある神社を“保津社”、北・宮古のそれを“宮古社”と記す。

[保津社]
 近鉄橿原線・田原本駅の北西約900mにある保津環濠集落の南寄りに鎮座する。
 環濠集落とは、周囲に堀(濠)をめぐらせた集落(村落)のことで、集落を外敵から守るために縄文・弥生時代からあった村落形態をいう。

 保津環濠集落の始まりは不明だが、当社の案内によれば、「保津集落は近世以前には、現在の集落の東側、中垣内・奥垣内にあり、云々」とあることをみると、近世(安土桃山か)以降当地に移動したらしい。
 環濠脇に立つ案内板に描かれている元禄17年(1703)の古絵図(復元図)によれば、東西約100m南北約150mの方形で東南部にくびれ部がある。今、西面・南面・東面の南半分弱は環濠(W=3〜4m)が残っているが、東面の北半分・北面は部分的に暗渠化されている。

 保津社は、環濠集落内の南寄りに鎮座するが、南側に出入り口はない。東側くびれ部(屋舗ノ門)に開く道を入ると、道の左(南側)に北面して鳥居が立つ。社殿は西面する。
 近世以前の保津社は、現在地の東約300mほどの小字・伊多敷(イタシキ)の地にあり、保津集落の移転に従って現在地に遷座したらしい。


保津環濠集落・古絵図

同・南西角から南側環濠を望む
(右上の林が保津社)

[宮古社]
 保津社の北約200m、宮古集落の南端、宮古池の西に鎮座する。
 保津環濠集落東側を北へ、交差する東西道路(旧街道)の北、宮古池西側に接する一郭の西側道路に面して鳥居が立ち、社殿は南面する。
 宮古池南・保津との境界を東西する道路は曾ての郡界(今は大字界)で、道の北の宮古は城下郡・南の保津は十市郡に属していたという。

◎論社
 保津社・宮古社のいずれが本来の式内・鏡作伊多神社かについては、
 ・保津社とするもの−−大和志(1734)・大和名所図会(1791)・大和国神社神名帳(1940)・大和名所旧跡案内(奈良県編)・平野村史
 ・宮古社とするもの−−神社明細帳(県神社庁編・1870)・礒城郡誌(1915)
などがある。保津社とするものが多いが、各資料とも式内社とする根拠は記されていない(原典には、記されているだろうが実見不能)
 これらのことから式内社調査報告は
 「保津と宮古の同名の神社は南と北に道をへだてた両大字にあり、同じ名の坪もあり池もあり、これは鋳造に必要な池でこの作業をなし、両地に神を祭ったものか、今これの新旧は決めがたい」
 「保津・宮古の、いずれを式内社と見なすべきかは、所在地だけでは決め手がない。考古学・歴史学などの資料によらなければならない」
というが、今もって進展はないらしい。

※祭神
 両社とも、祭神は石凝姥命(イシコリトメ)

 イシコリトメについて、記紀は、アマテラスが天岩戸に隠れたとき、神々がとった対応の一つとして
 ・古事記−−天の金山の鉄を採って、鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を捜して、伊斯許理度売命(イシコリドメ)に命じて鏡を造らせた
 ・書紀一書1−−石凝姥を工(タクミ)として、天香山(アメノカグヤマ)の金(カネ)を採って日矛を造らせた
 ・書紀一書3−−天香山の榊の上の枝には、鏡作の遠い先祖の天抜戸命(アメノヌカト=天糠戸命)の子(娘)・石凝戸辺命(イシコリトベ)が造った八咫鏡をかけ
と記し、細部には異同があるが、いずれもイシコリトメが鏡(あるいは日矛)を作ったとある。

 イシコリトメの石凝・イシコリとは、“鋳型のなかで金属が凝り固まって鏡や矛になること”であろうといわれ、姥・トメとは老女であることから、イシコリトメとは、“石製鋳型のなかに溶鉄を流し込み、鏡などを鋳造する老女”となる。
 社伝によれば、この神は“鏡の材料を板版に引き延ばし鍛えられるに力のあった方”ともいう(式内社調査報告・1982)

 イシコリトメが女性なのは、鋳型の凹型を人格化して女性(母胎)とみたもので(鉱物を調整する炉・タタラと子宮は似たもの、ともいう−エリアーデ)、鏡作麻気神社の祭神・天糠戸命(アメノヌカト・男神)とは父娘の関係だが(書紀)、ヒコ・ヒメの関係にあるともいう。(日本の神々所載:鏡作伊多神社・2000)

※由緒
 延喜式に式内・鏡作伊多神社があることから10世紀以前からの神社であることは確かだが、当社への神階授与などの記録もみえず、創建時期・その後の経緯など不明。

 式内・鏡作伊多神社についての個別史料として、
 保津社に関して、
 ・鏡作伊多神社 穂津村に在り。社の傍に小池有り。式には名鏡作・城下郡に在りと載る(大意)−−大和志(1734)・十市郡
 ・十市郡保津村 式内−−明細書(明治12年−1874−の神社明細帳か?)
 ・村の東三丁に字伊多敷(イタ敷とも書く)という田畑あり、ここを伊多神社の旧地といふ。村の申方(南西)六丁に字鏡池がある
  ここを宮の池といふ−−礒城郡誌(大正1年・1915)
などがある程度で、ほとんど残っていない。
 なお当社地附近は、延喜式当時は城下郡にあったが、大和志編纂時代(江戸中期)には十市郡(城下郡の南にあった)に属し、明治になって礒城郡へと所属郡名が変わったという。穂津とは保津のことで、いずれも穂積の転訛という。

 なお保津社に関して、今、田原本町富木に鎮座する“富津神社”が鏡作伊多神社ではないかとの説がある(幕末から明治初期の儒者・西谷氏の説−−礒城郡誌)というが、式内社調査報告に転記する西谷氏の論旨を読んでもよくわからない。

 宮古社については、
 ・当社は延喜式所載の神社にして、其の創立は遠く上代にある故年代等詳かならず・−−明細帳
 ・鏡作伊多神社(宮古)は村社で、村の南方の池の脇にある。社名の鏡作は郷名だが、この地は三宅郷で鏡作郷ではない
 古伝によれば、本社は古来補屋明神と称した。祠の東北にある池を伊多の坪というが、享保年間までは田面で、その後池としたという。
 享保4年(1719)の村図に、補屋明神北側の池床に伊多との字があり、この伊多坪をもって伊多神社と称したのか。社の近くにフヤとの字があり、フヤは補屋で元は神田だったので、こう名づけたのか。あるいは、この地の氏族・三宅連が祖神天の日鉾を祀ったものか。考えるべし(大意)−−礒城郡誌
などがある。(以上、式内社調査報告)

 式内・鏡作伊多神社が保津・宮古のいずれかということについては、確証がないということになる。

※社殿等

[保津社」
 屋補の門から入った左手に北面して鳥居が立ち、境内奥に西面して拝殿(切妻造・桁行三間梁行一間半)が、その東側・ブロック塀に囲まれた基壇上に、色あせた社塗りの社殿2社が建つ。
 環濠集落内という制約のためか、下記の宮古社に比べて、境内・社殿ともに簡素。また社殿が西面する由緒不明。

 基壇上、向かって右(北側)の社殿が本殿で、イシコリトメ命を祀る。
  本殿−−春日造・銅板葺(古くは萱葺)、桁行二尺八寸・梁行二尺五寸

 向かって左(南側)社殿の祭神について何の案内もないが、式内社調査報告(1982)にいう境内社・宇麻志麻邇神社(祭神:ウマシマジ・物部氏の祖)と思われる。
 社殿は本殿と同じ春日造・銅板葺だが、“隅木入春日造”という珍しい構造だという(社頭案内)。本殿に比べて、やや小降りにみえる。
 この社殿について、式内社調査報告によれば、磯城郡誌(1915)に記す、保津社は式内・鏡作伊多神社ではなく、同じ城下郡の式内社で、物部系の穂積氏が奉斎していた“富都神社”(現田原本町富本)ではないか、との推論のなかに、
 「里人は云ふ、本社は元と一座なりしが、更に村内に在りし宇麻志麻遅公(ウマシマジ)の祠と伝へしを、近世此社に配祀せりと。ウマシマジ命はニギハヤヒ命の子にて物部氏の祖なれば、・・・祠の此地にある由なきにあらず」(大意)
とあるという。
 鏡作氏は物部氏系とみられることから、ウマシマジを祀るのかと思われるが、郡誌以外に資料なく、詳細不明。 

鏡作伊多神社(保津社)/鳥居
鏡作伊多神社(保津社)・鳥居
鏡作伊多神社(保津)/拝殿
同・拝殿
鏡作伊多神社(保津社)/本殿
右:本殿、左:境内社

[宮古社]
 西側から入った境内先に南面して拝殿が、その奥、練塀・瑞垣に囲まれた神域内に本殿が建つ。保津社に比べて境内・社殿ともに大きく、今も整備されている。
  本殿−−一間社流造
  拝殿−−切妻造・間口三間奥行三間
 いずれも台風被害により平成9年新築。

 本殿の左・覆屋のなかに、板葺屋根・朱塗りの小祠があり、案内には境内社・『布(富)屋社』(フヤ)という。
 社頭の案内には、
 「布(富)屋社 覆屋の中に板葺本殿、前に□屋大明神の石燈籠があり、この布(富)屋社が本来の鏡作伊多神社とも伝えられている」
とある。上記・礒城郡誌にいう“ウマシマジ公の祠”とも思われるが詳細不明。
 式内社調査報告には、末社として稲荷神社(ウケモチ神)・住吉神社(住吉三神)・春日神社(アメノコヤネ)を記すが、今、稲荷社以外は見えない。

鏡作伊多神社(宮古社)/鳥居
鏡作伊多神社(宮古社)・鳥居
鏡作伊多神社(宮古)/拝殿
同・拝殿
鏡作伊多神社(宮古社)/本殿
同・本殿
鏡作伊多神社(宮古社)・境内社/布屋社
同・布屋社覆屋(境内社)
鏡作伊多神社(宮古)・境内社/社殿
同・布屋社・社殿

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