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鏡作麻気神社
奈良県磯城郡田原本町小阪
祭神−−天麻比止都禰命
                                                             2010.12.05参詣

 延喜式神名帳に、『大和国磯城郡 鏡作麻気神社』とある式内社。社名は“カガミツクリ マケ”と訓む。

 近鉄桜井線・田原本駅の北東約1.2km、鏡作天照御魂神社の東約300mに鎮座し、寺川をはさんで西に天照御魂社・東に当社という位置関係になる。天照御魂神社の南側道路を東へ、国道24号線を北上した左手(西側)に鎮守の森が見える。

※祭神
 社頭に掲げる案内には、
 「祭神の“天麻比止都禰命”(アマノマヒトツネ)は、日本書紀に“作金者”(カナタクミ)と記される“天目一箇命”(アマノマヒトツ)であり、鍛冶に関わる神とされる」
とある(他に磯城郡誌・大和名所旧跡案内がアマノマヒトツネとする)>

 しかし、天麻比止都禰命の名は記紀などの古史料には見えず、その別名という天目一箇命は、日本書紀及び古語拾遺(807・斎部系史書)に“鍛冶の神・鉄器製作の神”として出てくる。
 ・日本書紀国譲条一書2−−天目一箇命を作金者(カナタクミ−鍛冶の役)とす
 ・古語拾遺日神岩戸隠条−−天目一箇命をして雑(クサグサ)の刀(タチ)・斧及び鉄の鐸(サナギ)を作らしむ

◎天目一箇命
 アマノマヒトツ命の“目一箇”とは“片眼(隻眼)”を意味する。
 古代にあって、岩石から金属を生み出す技をもった鍛冶人は“神に仕える巫覡”、あるいは“神そのもの”として崇敬され畏れられたという。
 そういったタタラ製鉄に従事する人は、永年、炉内で燃える火の色を片眼で見守り続けて(火の色により砂鉄の投入量や吹き込む空気の強弱を調整したという)、その眼を痛め失明することが多いことから、そんな職業病的症候を神格化したもので、鍛冶従事者の守護神という。

 アマノマヒトツ命を祀る神社iは、鍛冶・金属鋳造に関係する場合が多いといわれ(近くから銅鐸が出土した例もあるという)、片眼あるいは跛とは神に奉仕する人の神聖な証とされ、そのような人が鍛冶に関係したとする神話伝承は、世界中にみられる、という(青銅の神の足跡・1989)

 アマノマヒトツ命の出自ははっきりしないが、天津彦根命(アマツヒコネ−アマテラスとスサノヲの誓約-ウケヒ-によって生まれた五男神の2ないし3番目)の御子ともいう。
 管見のかぎりでは、アマツヒコネとの係わりを記した史料は見えないが、
 ・記紀・アマツヒコネの後裔氏族に−−凡河内国造・・・山代国造・・・等があり、
 ・凡河内国造の系譜に−−アマツヒコネの御子5柱の一に“天麻比止都命”があり、山代氏(山代国造)の祖という、
 ・先代旧事本紀・国造本記に−−“天一目命を山代国造とした、山代直の祖である”
などがあり、山代国造(山代直)を介してのものか、と思われる。

 一方、同じ鍛冶の神に、“天津麻羅”(アマツマラ)・“天津真浦”(アマツマウラ)があり、
 ・古事記天岩戸条−−鍛人(カヌチ)天津麻羅を求ぎて(剣を作らしめ)・・・
 ・書紀綏靖天皇紀−−倭鍛部(ヤマトカジ)天津真浦に鹿を射る鏃を造らせ、・・・
 ・先代旧事本紀(9世紀後半・物部系史書)−−船子 倭鍛師等祖天津真浦(ニギハヤヒの降臨に従った氏族の一)
などがあり、いずれも鍛冶に係わる神で、異名同神という。

 通説では、マラは男根を指すというが、これを神名とする場合
 ・折口信夫がいう、常世から稀(マレ)に訪れるマレビト(来訪神)のマレに関係するとの説
 ・善行の妨げとなる神をいう梵語のマラからくるとする説(男根に通じる)
他があるが、本居宣長が天津麻羅について
 「麻羅は一神の名にあらず、鍛人の通名などにや。此名のみは神とも命とも云ぬをも思うべし」
というように、マラは鍛冶に従事する鍛人(カヌチ=鍛師・鍛冶師・鍛部)と同じ普通名詞だという。
 また、マウラとは“目卜”(マウラ)で、練鉄の火色などを片眼で占ったことによる名前というが(飯田季治)、マラあるいはマヒトツと同意といえる。

 当社祭神・アマツマヒトツネとは、上記の天目一箇命・天津麻羅(真浦)を一体化した神らしいが、アマノマヒトツ命が忌(斎)部系(古語拾遺に“築紫・伊勢の忌部の祖なり”とある)なのに対して、アマツマラ(マウラ)は物部系(旧事本紀に“物部造祖天津麻良”とある)であって、これを一体化するのは疑問ともいう。
 当社では、いずれも鍛冶、特にタタラ製鉄に関わる神として、その出自とは無関係に、アマノマヒトツ命を以て代表させたのであろう。

 なお、わが国の古代鍛冶集団には、倭鍛冶(ヤマトカジ)と後発の韓鍛冶(カラカジ)の2系列があり、当社に関連するアマツマウラは倭鍛冶の祖といわれる。
 また、鋳造技術を主とする倭鍛冶は、天日矛伝承をもつ新羅系に係わる古くからの集団(鋳造が主)で、韓鍛冶は5世紀末ごろ、百済から鉄の鍛造技術を保持する百済系集団によってもたらされたという(異説もある)

◎天糠戸命(天糖戸・アマノヌカト)
 祭神・アマノマヒトツネ命に対して、当社祭神は“天糠戸命”(アマノヌカト・アマノアラト、天糖戸とも書く)とする説がある(神名帳頭注・大和名所図会・大和志料など)
 当社が、大和の旧鏡作郷にある鏡作三社(天照御魂神社・伊多神社・麻気神社)の一であることからみると、天糖戸命とするのが順当かもしれない(天照御魂社は、火明命・石凝姥命・天糖戸命を祀るとの説がある)

 アマノヌカト命とは、
 ・書紀天岩屋戸条一書2−−鏡作部の遠祖・天糠戸命(アマノアラト)に鏡を造らせた
 ・   同      一書3−−(天香山から掘り出した榊の)上の枝には鏡作の遠祖・天抜戸(アマノヌカト=天糠戸)の子、石凝戸辺(イシコリトベ)が造った八咫鏡をかけ、・・・
 ・古語拾遺−−石凝姥(イシコリトメ=イシコリトベ)〈天糖戸命の子、鏡作の遠祖〉をして天香山の銅を取りて日の像(鏡)を鋳しむ
 ・先代旧事本紀天神本紀−−天糠戸命 鏡作連等の祖
とあるように、鏡作部の遠祖で、天照大神が天岩戸に隠ったとき、アマテラスを呼び戻す方策の一つとして、アマノヌカト自ら、あるいはその子・イシコリトメが鏡を造ったという。

 神名・ヌカトの語源については、
 ・ヌカは、こまかい泥や米ヌカのような微細なものを指すとする説(若尾五雄)
 ・鋳物の土型(鋳型)・ニカタがヌカタ→ヌカトになったとする説(松岡静雄)
 ・古く、糠戸の糠はアラとも読み、アラトとは鏡作に必要な粗砥を意味するとする説(大野晋)
 ・糠戸は鋳造のための糠型のことで、米糠で作った鋳型をいうとする説(森秀人)
 ・ヌカには、銅や鉄あるいはその精錬の意味が込められているとの説(谷川健一)
 ・ヌカには“抜く”・“貫く”の意味があり、タタラ炉の中の空気が入ったり出たりする状態をいうとする説(大和岩雄)
など相互に関連する説があり、いずれも鍛冶・金属鋳造に関係することから、
 ヌカト神とは
 ・タタラ鍛冶に従事す鍛人(ヌカチ・職人)そのものを神格化したもの(大和岩雄)
ではないかという。(以上、日本の神々4所載・鏡作伊多神社鏡作麻気神社・2000)

 天目一箇命・天津麻羅・天糠戸命のいずれも鍛冶・金属鋳造に関わる神であって、いずれを祭神としてもおかしくはないが、当社が鏡作部に関わることからみると、その祖・天糠戸命を祀るとみるのが妥当であろう。

※由緒
 当社の創建由緒・時期、その後の経緯など不明だが、大和志(1734)・大和名所図会(1791)
 「鏡作麻気神社 小坂村に在り、今、春日社と称す」
とあり、現鎮座地も“小阪”であることから、古くから当地に鎮座していたと思われる。
 ただ
 「今、春日社」−−大和志
 「元、子安大明神であったが、神仏分離により明治2年(1869)に社名を変更した」−−社頭案内
ともあり、江戸時代には本来の社名は忘れられていたらしい(春日社・子安大明神と呼んだ由緒不明)

※社殿等
 国道24号線の西側、2枚ほどの畑を隔てた疎林のなかに鎮座する。
 東面する鳥居を入った境内西寄りに拝殿が、その裏、小さな鳥居が立つ神域内に本殿が、いずれも東面して建つ。
 ・本殿−−春日造(桁行三尺・梁行四尺三寸)・銅板葺(古くは朱塗りだったようだが、今は色あせている)
 ・拝殿−−入母屋造(桁行六間三尺・梁行二間)・瓦葺

鏡作麻気神社/鳥居
鏡作麻気神社・鳥居
鏡作麻気神社/拝殿
同・拝殿
鏡作麻気神社/本殿
同・本殿

◎末社等
 社殿の反対側(東側)、鳥居の右手に古びた小祠が2社並ぶ。社名等は見えないが、資料によれば左が白山社(春日造・銅板葺、祭神不詳)・右が的場社(天照皇大神)という。
 社殿左手、雑木に囲まれて金比羅大権現の石碑が、境内東南隅に丸い鏡池(鏡作に必要な水を得た)がある。

 拝殿の右壁に掲示する案内書に、明治3年(1870)の古絵図が載っている。本殿・拝殿・白山社・鏡池・金毘羅石碑の位置はほとんど変わっていないが、東側の鳥居は見えない。明治の頃は北側から出入りしたらしい。
 また境内東側に、西から庫裏・観音堂・薬師堂他1棟が並んでいる。江戸期まで当地にあった神宮寺で、今、観音堂のみが残っている。


末社(左:白山社、右:的場社)

神 池

古絵図(明治3年)

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