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上賀茂神社/末社
棚尾社・川尾社・橋本社・岩本社・山尾社・土師尾社・杉尾社・山森社
梶田社・白髭社・百太夫社・鎮守社・福徳社・藤木社・小森社・半木社

 賀茂別雷神社(上賀茂神社)には、境内・境外あわせて16社の末社がある。参考資料がほとんどないため、上賀茂神社(2003刊)の記述を中心に略記する。なお、ほとんどが寛永5年(1628)の造営という。

【境内末社】

※棚尾社
 祭神--櫛石窓神(クシイワマド)・豊石窓神(トヨイワマド)

 楼門を入った正面・本殿域に入る中門の右に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)。重要文化財

 「鎮座年代不詳。本宮中門創建の際、中門を守護する門神として中門台に鎮祭されたもので、鎮座の時代は相当古い」という。

 クシイワマド・トヨイワマド両神は“門を守護する神”で(古事記は“天石門別神”-アメノイワトワケ-と記す)、記紀では、天孫降臨の時、天孫・ニニギに随伴して天降ったとされるが、古語拾遺(807)では太玉命の子で、天岩屋戸から出現したアマテラスの新しい宮殿の門を守ったという。
上賀茂神社・末社/棚尾社

※川尾社
 祭神--罔象女神(ミズハノメ・ミツハノメ)

 楼門前から右へ、御物忌川の西北岸に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)

 「鎮座年代不詳。最初の本宮遙拝殿造営と同時に創祀されたものであろう。御物忌川の守護神で、御物忌川を神格化した神、
 御物忌川は、本宮を中心とする最初の神地の境界をなす川で、神聖な川として信仰された」という。

 ミツハノメ神とは、火の神・カグツチを産んだため瀕死となったイザナミがもらした尿から生まれた女神で、水の神とされる。
上賀茂神社・末社/川尾社

※橋本社
 祭神--衣通姫(ソトオリヒメ)

 細殿の左(西)、楼門に至る樟橋の南西詰に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)

 ソトオリヒメとは、容姿絶妙で並ぶものがなく、うるわしい体の輝きが衣を通して外に現れる美女をいう一般的呼称で、衣通郎姫(ソトオシノイラツコ・ソトホリノイラツコ)ともいうが、古事記と日本書紀では異なる説話が記されている。

 古事記では、允恭天皇の皇女・軽大郎女(カルノオホイラツメ)の別名で、同母兄・軽太子(カルノヒツギノミコ)と情を通じるというタブーを犯したことから、允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予国(愛媛)に流され、軽大郎女も後を追って伊予におもむき共に自死したという。
上賀茂神社・末社/橋本社
 一方、書紀では允恭天皇の皇后・忍坂大中姫(オシサカオオナカツヒメ)の妹・弟姫(オトヒメ)の別名で、姫を寵愛する允恭天皇は頻繁に通い詰めたが、皇后の諫めにより次第に通わなくなったという。

 当社がどちらのソトオリヒメを祀るのか不明だし、当社にソトオリヒメを祀る由緒も不明。
 資料・上賀茂神社には「和歌・芸能の神としての信仰がある」とある。書紀に軽太子との間で取り交わされた相聞歌を数首載せているからかもしれないが、両ソトオリヒメ共に和歌・芸能の面影はみえず、この案内は疑問。

※岩本社
 祭神--底筒男神・中筒男神・表筒男神

 ナラの小川から分かれて東へ流れる小川の畔、数個の岩塊の上に鎮座する小祠。

 祭神は所謂・住吉三神で、河の瀬を司る。「古くから歌人の守り神としての信仰が篤い社」とあるのみで、鎮座時期・由緒など不明。
上賀茂神社・末社/岩本社

※山尾社
 祭神--大山津見神(オオヤマツミ)

 本殿域の右手(東側)・新宮神社の左(西)に鎮座する小祠(切妻流造・檜皮葺)。通常、当社域に入る新宮門は閉まっていて一般者は参詣不能(写真撮影不可)

 祭神・オオヤマツミは、イザナギがイザナミ逝去の因となった火の神・カグツチを切ったとき生まれたという神。ヤマツミとは山を持ち坐(イマ)すの意で、オオヤマツミとは山を司る神を意味するという。大山祇神とも書く。

※土師尾社(ハジオ)
 祭神--賀茂玉依比古命(カモタマヨリヒコ)

 本殿が鎮座する神域内に祀られる小祠で、中門内にあるため一般者の参詣不能(写真撮影不可)。重要文化財

 祭神・カモタマヨリヒコはカモタケツノミ命の御子で、賀茂県主氏と西埿部氏(ニシハニベ)との祖神である。
 賀茂県主氏が賀茂の地に定着して上下社に奉祀するようになって以来、西埿部氏も賀茂・幡枝・木野・岩倉等に定住して陶器の製作に当たっていた。・・・
 西埿部氏は、賀茂社の発展にともなって陶器の製作も盛んになり、その祖神・タマヨリヒコの神霊を上賀茂神社の境内に奉斎したのが当社である。ところが、時代の推移と当社が中門内奥深く祀られたこともあって、人々の参拝から隔離され、次第に陶器神を祀る社という信仰から遠ざかってしまった、とある(大意、資料・上賀茂神社)

 西埿部氏とは、神饌姓氏禄(815)
  『山城国神別(天神) 西埿土部 鴨県主同祖 鴨建玉依彦命之後也』
とある氏族で、陶器製作に携わったというが詳細不明。“(ハニ)は陶土を指す“埴”(ハニ)と同意か。

 祭神・タマヨリヒコは賀茂氏の祖神・タマヨリヒメの兄君で、賀茂県主一族の祖神というが、ヒメ神・タマヨリヒメに対するヒコ神として創られた観念的神名の可能性が強い。

 なお当社は、下鴨神社の境外摂社・賀茂波爾神社(カモハニ・左京区高野上竹屋町、祭神:波爾安日子神・波爾安日女神、通称・赤ノ宮)と共に、延喜式内社・賀茂波爾神社の論社とされているが、当社を式内社とする確証はないという。

※杉尾社
 祭神--杉尾神

 本殿が鎮座する神域内に祀られる小祠で、中門内にあるため一般者の参詣不能(写真撮影不可)。重要文化財
 鎮座年代不詳。林業の神として信仰が篤い、というが、杉尾の社名からの類推とも思われ、由緒・神格共に不明。

※山森社
 祭神--素盞鳴神・奇稲田姫神・田心姫神

 一の鳥居を入った参道の右手(東側)、ナラの小川の東岸に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)

 式内社調査報告(1979)によれば、古くは北区西賀茂山ノ森町(上賀茂社の西北約1.1km附近)にあった境外末社・“山森神社”(上記三座・山守社ともいう)が当社の前身で、賀茂別雷神社御由緒調書には
 「鎮座年代不詳、往古此地の産土神として鎮祭せられたりしを、此地が賀茂社領となりたる以後、当社の末社として祀ることとなりし」
とあり、その後(時期不明)、現在地に遷され境内末社とされたという。
上賀茂神社・末社/山森社
 今の祭神は、スサノヲと后・クシイナダヒメという夫婦神に、宗像三女神の一柱・タコリヒメ(タキリヒメともいう)を合祀しているが、古くは二座だったようで、その場合はスサノヲ・クシイナダヒメであろう。
 資料・上賀茂神社に「当社は、農神疫神としての信仰が篤い」とあることから、古くはスサノヲと同体とされる防疫神・ゴズテンノウとその后を祀ったのかもしれない。

※梶田社
 祭神--瀬織津姫神(セオリツヒメ)

 ナラの小川の東岸、山森社のすぐ南に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)

 旧参道の入口に祓戸神として祀られた社。「古より本宮における夏越祓(6月晦大祓)には当社へ必ず奉饌の儀がおこなわれる」という。

 セオリツヒメとは、速河の瀬に坐して、大祓によって祓われた罪穢れを大海原に持ち出してくれる女神(六月晦大祓の祝詞)

【境外末社】

※白髭社
 祭神--猿田彦神

 境外摂社・大田神社の参道右手(東側)・拝殿右前に鎮座する小祠(一間流造・檜皮葺)

 「創建年代不詳。地主神としてあがめられ・・・」という。

 社名・白髭社とサルタヒコとは直接結びつかない。サルタヒコは、その出現神話から道案内の神とされ、交通安全の神・道祖神ともされることから、当社も、この辺りを通る旅人の安全を守護する道祖神として祀られたのかもしれない。
上賀茂神社・境外末社/白髭社

※百太夫社
 祭神--船玉神

 境外摂社・大田神社の参道左手(西側)・拝殿左前に鎮守社と並んで鎮座する小祠。社殿は白髭社と同形。
 「創建年代不詳。地主神として崇められ・・・」という。

 祭神・船玉神とは、漁民などに広く見られる俗信で、船の守護神である“船霊”(航海安全・豊漁などを司る)を指すが、その船霊を山間の当社に祀る由緒は不明。また船玉神を祀る社を百太夫社と呼ぶ由緒も不明。

 社名にいう百太夫とは、古く傀儡師(傀儡子・クグツ)や遊女が信仰したという俗神で、傀儡子が操る人形を呼ぶ場合もある。特に西日本の神社の末社に祀られることが多く、西宮戎社の末社・百太夫社が原点(人形浄瑠璃の原点)ともいう。
 百太夫神は道祖神と同体ともされることから、当社本来の祭神は道祖神としての百太夫神だったのかもしれない。なお百太夫はヒャクタユウあるいはモモタユウと訓む。

※鎮守社
 祭神--大国主神・少彦名神

 百太夫社の隣に鎮座する小祠。社殿は白髭社と同形。
 「創建年代不詳。腫物その他皮膚病治癒に効顕あり、信仰する者が多い・・・」とある。
 ご利益は、オオクニヌシ・スクナヒコナの医療神・薬神としての神格によるものだが、両神がもつ国土造成神との神格から鎮守社と称するか。

※福徳社
 祭神--福徳神

 大田神社入口の鳥居左前(東側)に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)

 「鎮座年代不詳。大田神社を中心とする福神の一環に備わる神で、古くは賀茂の子弟の青年入りの儀式が此の社を中心に行われ、後の青年入り儀式の一環である幸在祭(サンヤレサイ)も、この神を中心におこなわれる」という。
 なお当社の裏(東側)に、昭和前期の粋人・「北大路魯山人生誕地」との石碑が立つ(1883--1959)
上賀茂神社・境外末社/福徳社

※藤木社
 祭神--瀬織津姫神(セオリツヒメ)
 
 上賀茂神社前のバス停から静かな小道を東へ、社家屋敷の東端・明神川の畔に聳える楠の大木の根元に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)
 鎮守年代・由緒など不詳。楠の大木の根元にあることから、古い巨木信仰の名残とも思えるが、明神川の畔に鎮座すること、祭神がセオリツヒメであることから、禊祓に関連する社か。 

明神川畔の楠の大樹
楠大木・明神川・社家屋敷
上賀茂神社・境外末社/藤木社
藤木社・社殿
上賀茂神社/社家屋敷と明神川
社家屋敷と明神川

※小森社
 祭神--水分神(ミクマリ・水神)
 北区紫竹上緑町の児童公園内にあるというが、所在地不明。

※半木社(ナカラギ)
 祭神--天太玉命(アメノフトタマ)

 京都府立植物園内・半木の森に鎮座し、殖産工業の守護神、植物園の守護神という。

 「植物園付近は、賀茂一族が開墾した処で錦部の里と呼ばれ、養蚕製糸の業が営まれたという。後一条天皇の御代(1018)、この地を寄進された賀茂一族が、養蚕製糸機織の守護神として四国阿波の太玉神を勧請したのが当社の前身」という。

 太玉命とは、古代祭祀に携わった忌部氏(インベ)の祖神で、天岩屋戸神話・天孫降臨神話などに登場するが、この神と賀茂氏との係わり、養蚕機織りとの関係は不明。

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