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機物神社(改訂)
大阪府交野市倉治 1-1-7
祭神--天棚機比売大神・栲幡千々姫大神・
  地代主大神・八重事代主大神
                                                       2020.12.19再訪

 JR学研都市線・津田駅の南南西約800m、駅前の交野久御山線(府道736号線)を南下、倉治(クラジ)交差点の南西角に「機物神社」との石標が立ち、少し入った処に一の鳥居が立つ。
 社名・機物は“ハタモノ”と読む。

※由緒
 頂いた由緒略記には、
 「当神社は由緒深く霊験あらたかで古くより崇敬者多く、勧請創建の年月はよく判りませんが、伝説によりますと、
  文明8年(1476)3月11日 神祇官領の卜部兼俱の奉幣があり  
  元亀3年(1572)3月 織田信長軍政の狼藉陣放火の禁制を出され
  元正元年(1573)11月17日 織田信長神境を東西260間南北67間余と定められました。
  又、神職の席次争いについて下知せられ、以後は神前での「くじ」で定めることになりました。
  天正10年(1582)6月9日 明智光秀武運長久を祈り、初穂料白銀壱百枚を奉納あり、
  天正11年(1583)7月9日 豊臣秀吉信長の先例に依り制札を立てられました。
  天正16年(1588)4月14日 豊臣秀吉聚楽第行幸の日の快晴を祈って感応あり、4月16日神饌米百俵宛を永年寄附され 
  文禄3年(1594)5月10日 豊臣秀次武運長久大満願成就・感応により、神殿の新造・神饌領・両膳部・下向・馬飼倂びに踊役等の配米として、歳出米壱千俵を奉納
  寛文7年(1667) 社地の境界を信長所定の通りとせられ、
  宝永5年(1708) 大破の為に社殿再建、これが現存のものであると伝えられています。 
  明治8年(1875)3月10日 本地の産土神に神宮寺、南町の神社を合祀して現在に至っています」
とあるが、創建由緒・年代についての記述はない。


 当社は、社名を“機物”と書いて“ハタモノ”と読ませているように機織り(ハタオリ)に関係する神社で、交野町史(1963)
 「古墳時代に養蚕・機織りの技術をもって渡来し、寺村・倉治・津田辺り一帯に村落を営んだ機織集団が(秦氏系という)、その統率者(或は先祖)・「漢人庄員」(カンジンショウイン)を祀ったのに始まる」
とあり、その集団にかかわって、新撰姓氏録(815)
 「河内国諸蕃  交野忌寸  漢人庄員より出ずる也」
とあることから、渡来系氏族・交野忌寸(カタノイミキ)一族がその祖先を祀ったことに始まったかと思われる。

 交野忌寸集団の渡来時期について、交野町史には古墳時代(3世紀から6世紀)云々とあり、当社の創建はそれ以降であろうが、その祭祀形態・年代等については不明。
 ただ、京の都が焦土と化した応仁の乱(1467--77)の終息直前の文明8年(1476)に、後土御門天皇が天下泰平を祈願するために神祇官領・卜部兼俱(ウラベカネトモ・1435--1511・卜部氏系神官・吉田家の初代)を遣わしたというから、それ以前から社殿を有する神社としてあったのは確かであろう。


※祭神
 当社由緒略記には
   天棚機比売大神・栲機千々姫大神・地代主大神・八重事代主大神
 とある。

*天棚機比売(アメノタナバタヒメ)
 記紀には見えないが、古語拾遺(802)に、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために
  「天棚機姫をして神衣(カムミソ)を織らしむ」
とあり(他にも種々の準備をしている)、機織りを司る女神という。

 平安時代になると、桓武天皇をはじめとする多くの大宮人が当地・交野の野に遊猟するようになり、敬天思想・七夕伝説などに親しんだ彼らは、当地で見聞する地名・山川名などを天上にからむ文学的な美称をつけて呼ぶことが流行したといわれ、そんな風潮の中で当社祭神も機織集団の祖神・漢人庄員が、七夕伝承の織女星・機織姫としての天棚機比売へと変わったのであろう。

*栲機千々比売大神(タクハタチヂヒメ)
 栲機千々比売について、書紀には栲幡千々姫とあり、高皇産霊尊(タカミムスヒ)の娘で、天照大神の御子・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)と結ばれ、火瓊々杵尊(ホノニニギ、天孫降臨の神)を生んだとある(古事記--万幟豊秋津師比売命-ヨロズハタトヨアキツシヒメ)
 神名に“機(幡)-ハタ”を含むことから、これを機織りに関係するとして当社祭神とされたと思われるが、その出自からみて我田引水的な理屈で、当社に祀られる由縁はない。

 ただ、当社祭神は2柱ではなく天棚機栲幡千々比売との長い名をもつ1柱の女神とする説がある。

*地代主大神(トコシロヌシ)
 如何なる出自・神格をもつ神かは不明だが、当地の地主神とする説が多い。
 ただ、当社古来の祭神は渡来氏族・交野忌寸の祖神・漢人庄員だったが、これが平安時代に天棚機比売に変わったとき、漢人庄員が地主神へと貶められ、地代主大神の名を以て祀られたのかもしれない。

*八重事代主大神(ヤエコトシロヌシ)
 出雲神話の主神・大国主命の御子とされる神で神意を伝える託宣の神というが、元々は葛城・鴨を本拠とする託宣神という。
 その事代主が当社に祀られる由縁は不祥だが、事代主がエビス神と習合していることから、エビス神として祀られたのかもしれない。
 ただ、そのエビス神が本殿に祀られる由縁は不明(エビス神は境内社としての祭祀が多い)


※社殿等
 倉治交差点・南西角に「機物神社」との標柱が立ち、すこし離れた奥に「一の鳥居」が西面して立つ。

 
機物神社・社頭
 
同・一の鳥居
 
同・参道

 参道奥に、注連縄を渡した柱一対(〆鳥居)が立ち、その左右に白壁が延びている。
 境内に入ってすぐの左側(北側)に「二の鳥居」が南面して立ち、近接して拝殿・本殿が南面して建つ。


同・〆鳥居 
 
同・二の鳥居(社殿前)

同・境内 

 二の鳥居直後に、千鳥破風を有する入母屋造の拝殿が南面して建つ。
 現在の社殿は宝永5年に大破・再建の社殿を平成元年に修復したもので、境内の修復祈念碑には平成元年3月吉日とある。。

 
同・拝殿
 
同・拝殿(向拝部) 

 拝殿背後に朱柱・白壁の本殿が建つが、これは覆い屋であって、外からは本殿は見えない。
 ただ、拝殿内陣からみると、その奥に檜皮葺き一間社流造の本殿が鎮座している。

 
同・本殿(覆屋)
 
同・拝殿内陣(奥に本殿が見える)

◎境内末社
 本殿の左右に末社2社(合祀殿)が南面して鎮座し、覆屋の中に一間社流造の小祠が鎮座する。
 ・西宮(本殿向かって左)--住吉大神・大山咋大神(オオヤマクヒ・山の神)・比留子命(ヒルコ、エビス神としてのヒルコか)・菅原道真
 ・東宮(向かって右)--八幡大神・春日大神
 ただ、これら諸神の勧請由緒・年代等は不明。

 
西 宮
 
東 宮

東宮小祠(西宮も同形) 

◎その他
*石灯籠
 〆鳥居前の左右に古くて大きな石灯籠(常夜灯形式)が立ち、向かって右のそれには「文政2年(1819)」、左には「文政11年(1828)」との紀年銘が刻まれている。

*伊勢神宮遙拝所
 境内東側、鳥居後ろの低い玉垣の中に神籬(ヒモロギ)らしきものが鎮座する。

 
石灯籠(文政2年銘)

石灯籠(文政11年銘) 
 
伊勢神宮遙拝所

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