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白 山 神 社
大阪府守口市大日町2-31
祭神--菊理媛尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊・経津主尊・武甕槌尊・天児屋根尊
                                                    2020.06.09参詣

 京阪電鉄・門真駅から発する大坂モノレール・大日駅(近接して大坂メトロ谷町線・大日駅がある)の北約550mの市街地の中、民家に囲まれて鎮座する。
 この辺りの道路は輻輳していて、地図をもっていても少し迷った。

※由緒
 境内に掲げる案内には、
 「旧の六番村・三番村・四番村の氏神で、享和元年(1801)の河内名所図絵によれば、もとは現在地の西北約300m離れた位置にあり、今その地は藤之森の石碑が建てられています。
 現在、覆屋には白山権現・春日大神の二本殿が左右に並置されています。(以下略) 守口市教育委員会
とあるものの、当社掲示の案内には祭神名のみの記載で、創建由緒等は記されていない。

 当社関連資料として、大阪府神社庁第三支部HP
 「当社は旧大庭六番・旧大庭四番・旧大庭三村の氏神として、往古より鎮座されていた。
 明治維新まで社地内に禅宗白山寺があって社僧が当社に奉仕し、社号を白山妙理大権現神社と称し、厄除祈願のために浪華在および近郷より多数の参拝者があって賑わっていた。
 境内地は1177㎡を有し、藤の古木が多く、王昔初夏のころには藤の観賞地として名高く、河内名所絵図にある杜若(カキツバタ)の名所・藤の森は当社の元鎮座地であって、現在御旅所として保存されている。現在地に移った時期は不明である。(以下略)

 河内名所図会(1801・江戸中期)
 「白山権現祠(ハクサンゴンゲンノヤシロ)  
   六番村の中にあり。相殿:春日大明神。
   当村と三番村・四番村等の生土神とす。本地仏正観音は行基の作。長(ミタケ)五尺。例祭:九月廿日。
   当社の旧地は六番村田圃の中にあり。今藤森(フジノモリ)といふ」

 大阪府全志(1922・大正11年)
 「白山神社は旧大庭六番村の字宮地にあり。伊弉諾尊・伊弉冉尊・菊理姫命・経津主命・武甕槌命・天児屋根命を祀れり。
 由緒詳ならず。明治5年村社に列す。境内は316坪にして雑木繁茂し、本殿の外に弊殿・拝殿・神饌所・社務所・土蔵等を有す」
等があるが、いずれも創建由緒・年代についての記述はない。


 当社は、社名・祭神(菊理媛尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊)からみて加賀・越前を中心として栄えた白山信仰にかかわる神社と思われ、白山信仰の全国展開(2000社以上あるという)の中で当地にも勧請されたものだろうが、それが如何なる由縁で何時頃なされたのかは不明。

 第三支部HPが「白山妙理大権現」というように、江戸時代までの当社は神社というより神と仏が習合した白山修験系の社寺だったと思われ(別稿・白山比咩神社参照)、それが明治初年の神仏分離によって仏教色・修験道色が排除され、現在の神社単独になったと思われる。

 なお、当社旧社地・藤之森は、当社の北西約300mほどの大日町4丁目内にあり、今、『藤之森』と刻した石碑が立ち御旅所という(下記)


※祭神
 社頭の案内には、
  本殿--菊理媛尊(ククリヒメ)・伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)・経津主尊(フツヌシ)・武甕槌尊(タケミカツチ)・天児屋根尊(アメノコヤネ)
とある。

*菊理媛尊
 この神は書紀にのみ出てくる神で(5段・一書10)、そこには、黄泉国(ヨモツヒラサカ)から逃げ帰ったイザナギが泉津平坂(ヨモツヒラサカ)で、追ってきたイザナミと相争ったとき、泉守道者(ヨモツチモリビト)が伊弉冉尊の「ご一緒に帰れません」との言葉を取り次ぎ、続いて
 「このとき、菊理媛もまた申しあげることがあった。伊弉諾尊はこれを聞いて褒められた」
とあるが(古事記にはない)、その内容についての記述はない。

 そこから、その神格について諸説がなされているが、
 ・神名“ククリ”が“水を潜る”の“クグル”を連想されること
 ・菊理姫の言を聞いたイザナギが、筑紫の日向の橘の小門(オド)阿波岐原(アハキハラ)に赴いて、黄泉国で付いた穢れを祓う“禊祓”をおこなっていること(古事記)
から、菊理姫は穢れを祓う神・禊ぎ祓いの神ではなかろうかという。

 また、菊理姫がイザナギ・イザナミの仲を取りもったことから、“ククリ”を“二つをククル”として“縁結びの神”ともいうが、これは後世の付会であろう。

*伊弉諾尊・伊弉冉尊
 書紀に、菊理媛が伊弉諾・伊弉冉の仲を取りもったということから、祀られたものであろう。
 ただ、当社の本社と思われる加賀の白山比咩神社にも菊理媛・伊弉諾・伊弉冉が併祀されているから、三神一緒として勧請されたかとも思われる。

*経津主尊・武甕槌尊・天児屋根尊
 奈良・春日大社に祀られる所謂・春日三神だが、如何なる経緯で当社に祀られたのかは不明。


※社殿等
 当社西側道路の脇に参道入口があり、白山神社との石標が立ち、民家に挟まれた参道を進んだ突き当たりに鳥居が立つ。

 
白山神社・参道入口
 
同・参道

同・鳥居 

 境内正面に。唐破風付き向拝を有する入母屋造・瓦葺きの拝殿が、その背後、弊殿を介して同じく入母屋造・瓦葺きの本殿が西面して鎮座する。
 外から見る本殿は覆屋で、社頭の案内(教育委員会)には
  「現在、覆屋内には、白山大権現・春日大明神の二本殿が左右に並置されています。
  この二殿は、江戸中期頃(18世紀初頭)の様式を有する一間社流造・屋根は柿葺(コケラフキ)で、形式規模ともに同一であり、建立も同時期であります」
とあるが、当社設置の案内には
  「現社殿は明治34年10月20日 大阪天満宮大工柳佶兵衛棟梁に依って造営、正遷宮されたものであり、御旅所『藤ノ森』と相まって由緒深いものです」
とある。


同・拝殿(正面) 
 
同・拝殿(側面)
 
同・本殿覆屋

◎末社
 境内左奥に、朱塗りの鳥居を有する『稲荷神社』の小祠が西面して鎮座する。
  祭神--宇賀廼魂命(ウガノタマシイノミコト)

 
稲荷神社・鳥居
 
同・社殿

【御旅所 藤之森】
  守口市大日4丁目内
 当社の北西約300m、大日駅よりモノレール沿いの道路を北へ、淀川堤防近くまで行った右側(東側)に位置する。
 道路脇の小さな空き地の奥に、自然石に
  『皇紀二千六百年記念 藤之森』
と刻した石碑が立つだけで、案内等の表示はない(一般の地図にも表示なし)
 石碑は倉庫らしい建物の蔭になっていて、南側から接近しないと見落とす可能性大。


御旅所・藤之森
(西側道路より) 
 
藤之森・石碑
 
同・全景
(左の高架は阪神高速・守口線)

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