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寝 屋 神 社
大阪府寝屋川市寝屋南2-1525
祭神--誉田別命・気長足姫命・比咩大神
                                                      2020.01.13参詣

 JR学研都市線・星田駅の西約800m、JR星田駅西側から線路に沿って南西方へ進み、川の手前を右折、川沿いの府道154号線を北西方に進み、国道1号線(高架道路)を越えた次ぎの信号を左折、南に入った丘の上に鎮座する。

※由緒
 境内の案内(鉢かつぎ姫像)
 「寝屋神社の自然林
 神社の森は鎮守の森として長い間人々によって大切に守られてきました。
 この寝屋神社は、交野市榜示(星田の誤記か)の山中に源を発するタチ川左岸の丘陵上に位置しています。
 祭神は八幡神ですが、参道を入ると右手に流水疎通の神と雨をつかさどる竜神の二神も祀られており、水と人々の関わりを強く感じさせます。(以下、境内樹木の説明は省略)

 大阪府全志(1922)
 「本地(大字寝屋)は古来交野郡に属し寝屋村と称す。東南なる高野街道の西側に大谷といへる字地あり。・・・
 寝屋神社は南方字小山にあり、誉田別命を祀れり。創建の年月祥ならず。
 末社に度会県神社・甘水神社・水分神社あり」

 寝屋川市誌(1966)
 「元禄5年(1692)の文書に『氏神 八幡宮社』とあり昔から存在していたが、その造立や勧請の年は不明。
 本地は東高野街道の西に位していることから、八幡宮を八幡より勧請して斎き祭ったもので、平安中期以降の造立と考えてよいだろう。
 北参道の登り口に、水分神・高龗神の二社がある。前神は流水疎通の神で、後神は雨をつかさどる竜神のこと。
 ともに水の神であるのは、農作に好地の当地にて尊ばれてきたのであるが、この神に対しての行事は聞かない」

 ネット資料
 ・江戸時代には「八幡宮」と呼ばれており、現在の社名は明治初年の変更である。
 ・寝屋川市内に八幡宮は、寝屋神社以外に秦の八幡神社、国守神社などがあるが、このように近隣に八幡宮が多くみられるのは、近くの石清水八幡宮の存在が大きな理由と思われる。
 ・境内摂社に水や雨をつかさどる神が祀られており、水と人々の関わりを現在に伝えている。
 ・これらの神の祠の前の灯篭が建てられた年代が、当社の中で一番古く、元はこれらの神が主祭神だったのかもしれない。
などがある。

 案内及びネット資料にいうように、当社は八幡宮というより、鎮座する小山に坐す水神を、周辺の田畑に水をもたらす豊穣の神として祀ったのが本来の姿かと思われるが、創建由緒・年代について記した資料はない。


※祭神
 今の祭神は誉田別命(応神天皇)以下の八幡三神で、当社の旧称が八幡宮である(拝殿前の石灯篭に八幡宮と刻してある)ことからみて順当といえるが、当社が八幡神を祀る由縁ははっきりしない。

 境内社が水神を祀ることからみて、本来の祭神は水神だったのが、時代の流行にのって八幡神が勧請され、水神が末社祭神へとおとしめられたとも思われる。

※社殿等
 府道154号線・寝屋神社前信号横(バス停・寝屋神社前あり)の橋を南へ渡った右手に〆鳥居が立ち、すぐ横の石段を上って境内に入る。
 境内は広いが、東側に社殿があるだけで、他に是といったものはない。

 
寝屋神社・〆鳥居

同・石段 
 
同・境内

 石段の上、境内右手(西側)に鳥居が立ち、その反対側に横に長い入母屋造平入り(一間向拝付き)・瓦葺きの拝殿が西面して建つ。

 
同・鳥居
 
同・拝殿

同 左 

 拝殿の背後、渡廊下(弊殿)を介して春日造・銅板葺きの本殿が西面して鎮座するが、木立に邪魔されて全体は見えない。


同・本殿(正面、拝殿から) 
 
同・本殿(側面)
 
同・本殿(右方が正面)

◎境内社
 本殿の右手に切妻造・妻入りの小祠(下写真:左)が西面して、境内の北側に切妻造平入りの小祠(下写真:中)が南面して鎮座する。
 両社とも、中には壊れかかったような祠があるが、暗くてよく見えない。
 上記案内がいう水神(水分神・高龗神)を祀る社が是かと思われるが、案内等なく詳細不明。
  (ただ、案内と現地とは一致せず、これ以外に祠があるのかもしれないが、実見していない)

 また、石段を上った左手に古くて大きい石灯篭が立っている。 
 案内なく建立時期等は不明だが、ネット資料がいう当社で最古の石灯篭が是であろう。


同・境内社1 
 
同・境内社2

古い石灯篭 

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