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大 枝 神 社
大阪府守口市大枝東町2-23
祭神--誉田別神(応神天皇)
                                                     2020.03.18参詣

 京阪電鉄・守口市駅の東約300m、市民体育館南の市街地の中に鎮座する。

※由緒
 境内に掲げる「大枝神社 由来記」には、
 「創建
  年代不詳なるも、境内に現存する石造物より類推して、現在より三百年(前が脱字)と判断される。
   ・小燈籠  --元禄16年、皇紀2363年(1703)第113代・東山天皇時代
   ・石灯籠  --正徳3年、皇紀2373年(1713)第114代・中御門天皇時代
   ・高麗狗燈--文化2年、皇紀2465年(1805)第119代・光格天皇時代
   ・大常夜燈--文化10年、皇紀2473年(1813)第119代・光格天皇時代
   ・中燈籠  --文政8年9月、皇紀2385年(1825)第120代・仁孝天皇時代 ( )内は西暦年
  尚境内の老松・楠・榎等の樹木によりても、その暦年の齢は十分に立証さるものなり。

 境域
  古老の言によれば、明治初年頃の境域は周囲一体篠竹叢生し、老樹の根部洞穴は狐狸の棲所となり、昼尚暗く鬼気迫る感ありぬ。
  又社殿は頗る簡粗にして、ようやく神社の形態を留むるに過ぎざりしものなりと言う。

 社殿改築
  氏子の敬神の念益々高揚さるに当り、社殿改築の計画を進め、昭和2年(1927)10月竣工、同月盛大なる正遷宮祭を執行す。現本殿これなり。(以下略)

 また、大阪府全志(1922)には
 「当社は旧大枝村の北方紅雁にあり。創建年月不祥。祭神は誉田別命也
 もと産土神社と称し、旧大枝村の産土神なり。明治5年(1872)村社に列し、同17年(1883)今の社名に改める。社地の名を社名に冠したるものなり」
とあるが、いずれも創建由緒についての記載なく詳細不明。。

 当社の創建年次について、由来書に300年前とあり、境内石造物の紀年銘が西暦1700年以降であることからみて、江戸中期初頭にあったのは確かだろうが、その創建が何時まで遡れるのかは不明。


※祭神
  誉田別命ホムタワケ・応神天皇)

 上記由来記には
 「皇紀852年頃より熊襲九州に拠りて朝命に服さず、仲哀天皇征討の軍を進め給いしが戦い半ばにして崩じ給う。
  尚熊襲の後ろには新羅のある事明らかなるに及び、神功皇后は諒闇中、且つ御胎中にも拘わらず凜として男装、新羅御計略に御進発あり、やがて乱治まり遼啓の後、皇紀860年12月13日筑紫にて誉田別皇子を産み給う。

  皇子は幼少より才智優れ、慈愛殊の他深く御即位御在位42年、その間御仁政をなし給い、弓月君・王仁・阿知使主等半島より帰化する者多く文物続々と伝承し我国文化の発展に寄与するところ大なりき。
  皇子は101歳の御長寿をなし給い、長寿神・方位除宮又は文武の神として崇められる由以なり」
と、書紀(仲哀・神功皇后紀)を基にして記しているが、応神天皇を祭神とする由縁はもひとつはっきりしない。
 当社の原点は、八幡信仰の興隆流布の中で勧請された八幡宮かとも推測され、上記由来は後付けのそれと思われる。

※社殿等
 道路脇の鳥居を入った境内正面に入母屋造・瓦葺きの拝殿が、その奥に本殿が南面して鎮座する。
 ただ、外から見える本殿は側面のみで、社殿構造等は不明。

 
大枝神社・鳥居

同・拝殿 
 
同・本殿

◎境内社
 境内左奥に末社2宇が鎮座する。
 ・稲荷社  祭神:高吉稲荷神(社殿内には沢山の白狐が並んでいる) 向かって左
 ・東照大権現社  祭神:東照大権現 向かって右
   東照大権現とは、元和3年(1617)御水尾天皇から徳川家康に贈られた神号を指すが、その家康が如何なる由縁で当社に祀られるのかは不明。


左:稲荷社 右:東照大権現社 
 
稲荷社・鳥居
 
東照大権現社
  境内右手、手水社の後ろに注連縄を廻らした楠木が大きく枝を張っており、
  根元に 「神木命 産土クス 大枝神社
  との立て札が立っている。

  注連縄を廻らし神木命を祀るから所謂・ご神木であろうが、樹齢等は不明。



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